兄貴が風邪をひいた。

 鬼の撹乱……いや、そんな事は思ってないが、珍しい事である。
 兄貴は、人一倍健康管理に気を使っているのだから、熱を出したのは本当に何年ぶり状態なのだ。


                     - 風邪 - 


「母ちゃん、烈兄貴の熱下がったのか?」

 朝からバタバタ状態の母親に、豪は昨日から熱を出してしまった兄を心配するように問い掛ける。

「それが、全然下がらなくってねぇ…あの子が、熱だすなんて疲れてたのかもしれないわね」

 盛大なため息をついて言われたその言葉に、豪は心配そうに天井を見上げた。
 この上に寝ているであろう兄を心配するように……。

「本人は、大した事ないから大丈夫だって言ってるんだけど、流石に、ちょっと辛そうだから、これからお医者様を呼んで見てもらうから、大丈夫だと思うよ」

 心配そうに天井を見つめている豪に、苦笑を零しながら母親が言ったそれに、小さくうなずいて返す。
 烈は、風邪をひいたりなどめったにしないが、昔は、よく熱を出していた。
 それは、自分の持っているその能力の所為だと、聞かされた事をも出だして、豪は盛大なため息をつく。そして、自分の隣に居る黒猫に視線を向けた。

「『夜』お前の所為だって言うのなら、俺は容赦しねぇからな」

 母親に聞こえないように、自分の隣で丸まっている猫に呟けば、一瞬だけその顔を上げて、それから興味なさそうに大きく欠伸をするとそのまま、またその体を丸くしてしまう。
 そんな猫の姿を見つめながら、豪は再度ため息をつく。

 昔から、自分は兄が熱を出したとき何も出来ない事に、イライラを感じていたのは本当の事。辛そうにしている兄の姿を見て、胸が痛んだことを今でも覚えている。
 そんな昔の事を思い出させる事に、豪は小さく舌打ちした。

 自分が熱を出した時、兄は文句を言いながらもちゃんと自分の看病をしてくれる。
 それは、母親よりも当たり前に、傍に居てくれるのだ。

 だから、熱を出した時、自分は寝ている中で、無意識に兄の姿を探してしまう癖がついてしまった。
 それくらい、自分は色々してもらっているのに、今自分が出来る事がない事に、豪はイライラした気持ちを隠すことが出来ない。

『あいつが、熱を出したのが、そんなにショックか?』

 豪が、自分の気持ちを落ち着かせるように再度ため息をついた瞬間、突然聞こえてきたその声に、慌てて隣に視線を向ける。今まで丸くなっていた猫が、ちょこんとソファに座った格好で自分を見上げていることに、豪は不機嫌そうな視線を向けた。

「悪いかよ……」
『別に…でも、言っとくけど、ボクの所為じゃないよ』

 楽しそうに目を細めて笑う猫に、豪は複雑な表情を見せる。

『あいつが、熱を出したのは、風邪の所為なんだろう?今年の風邪は、よっぽど強いって事じゃないのか?』
「どう言う意味だ?」
『あいつがひいた風邪なんだから、強いよ。あいつは、無意識に病気なんかを寄せ付けないようにしてるからね。あっ!でも、最近は、その力が弱ってたか…勉強とかで、遅くまで起きてたから』 
「……お前、分かってるんなら、止めろよ!」
『ボクが言ってあいつが聞くと思う?』

 楽しそうな口調で問いかけられたそれに、豪は思いっきり表情を硬くしてしまう。どう考えても、烈は人の忠告を聞きはしない。しかも、それが今目の前に居るモノだったら尚更であろう。

「……兄貴って、こうって決めたら引かないからなぁ……」

 盛大なため息をついて、思わず頭を抱え込む。
 そんな豪の態度に、『夜』は興味なさそうに、体を伸ばしてトンッとソファから降りてしまう。

『医者が来れば、すぐに直るんだろう?だったら、問題ない……それに、これくらいで、死ぬようなら、ボクが主人とは認めない』

 ソファから降りて、窓際の日のあたる場所に移動しようとしているその猫が、一瞬だけ振り返って自分に笑顔を見せながら言ったその言葉に、豪はなんとなく苦笑を零してしまうのを止められない。

「…あいつ、何だかんだ言ったって、兄貴の事ちゃんと主人って認めてるのか?」

 日向へと移動してしまった猫を見送りながら、豪は自分の呟いたその言葉に、笑顔を見せる。
 どう見ても反発しているようにしか見えない『夜』の態度に、そんな事を言われるとは思ってなかっただけに、豪にしてみれば意外な言葉を聞かされた状態なのだ。

「なら、安心していいのかもしれないな……」

 そして、ほっと息をつくと再度天井に視線を向ける。
 ずっと自分が傍にいて、助けたいと思う大事な存在。
 だけど、自分一人では助けることが出来ないと知っているから、あの『夜』の言葉に安心できる。

 自分には、兄が見えるようなモノは見えない。
 だから、その分は、あの猫が兄を助けるだろう。勿論、文句をいいながらだろうが……。

「さて、風邪ひいてる時は、やっぱり果物だよなぁ……母ちゃん、兄貴に持っていくモノあるか?」

 電話を掛け終わって、キッチンに居る母親に声をかける。
 勿論、寝ているであろう兄を見舞うため。
 自分は、烈が傍に居れば安心できるように、兄にも自分が居ることで安心してもらいたいのだ。

「それじゃ、そこの飲みモノを持っていってくれるかい。喉が渇いてると思うからね」

 言われるままにそれをもって兄の部屋のドアをノックする。
 風邪をひいてしまった兄に、今『夜』が言った事を教えれば、なんと言うのかを想像しながら、部屋の中から小さな声が返事を返してくるのを待って、ゆっくりとドアを開く。