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「兄貴!」
部屋に入ってみても、その部屋の主は見当たらない。
「あれ?」
出掛けた様子など全く無かった。
だが、今現在、その姿は家の中にない。
「……どっかに、出掛けたのか?」
別段大した用事がある訳ではないのだが、何時も通り部屋に訪れたのに、居ないとなるとなんとも寂しく感じられてしまうのだ。
勝手したるとばかりに、部屋の中に入って綺麗に片付けられている床に座る。
「…こんな時間に、何処に行ったんだ?」
不思議そうに首をかしげながら、部屋の中を見回して、豪はもう一人見当たらないモノがあるのに気が付いた。
もっとも一人と言っていいのかさえ分からないモノなのだが、何時も烈のベッドで、我が物顔をして寝ている黒猫の姿。
その姿さえ、この部屋の中には見当たらない。
「…出掛けるのに、『夜』は連れて行かないよなぁ……」
疑問に思った事を呟いて、豪は不思議そうに首をかしげた。
「まっ、いいか……」
深く考えない性格から、豪はそれ以上気にせずに、勝手したる状態のまま、烈の部屋で寛ぐように座り込んだ。
― 秋の夜 ―
「豪!」
突然名前を呼ばれて、肩を揺すられた事で、意識が次第にはっきりしてくる。
気持ちよく寝ていた状態だっただけに、豪はまだ眠そうに相手を確認した。
「……兄貴?」
「ほら、こんな所で寝ると風邪ひくぞ」
優しい口調で言われたその言葉に、豪の意識が次第にはっきりとしてくる。
そして、漸く豪は、烈が言った言葉を理解して、完全に目を覚ました。
「あ、兄貴?…今、何て言ったんだ?」
「風邪ひくぞ……せめて、布団ぐらいは掛けた方がいいと思うけど」
ニッコリと笑顔を見せながら言われた事に、豪は思わず自分の耳を疑いたくなる。
いや、別に烈が優しくないと言う訳ではないが、何時もの烈ならば、まず始めに勝手に部屋に入った事を怒るだろう。
それから、呆れたように風邪ひくとか注意が来るはずなのだ。
なのに、一番初めに自分の事を心配されてしまうと、怖いものを感じてしまうのは、やはり長年に渡る経験からといえるだろう。
「……あ、兄貴、俺、何か悪い事しましたでしょうか?」
「どうしてそんな事聞くんだ?ボクがおまえの心配するのは、当然だろう。大切な弟なんだからな」
ニッコリとさわやかな笑顔で言われたそれに、豪は更に恐怖を感じてしまうのを止められない。
いや、それどころか、目の前に居る兄が本物かどうかと言う点まで疑いたくなってしまう。
「何て顔してるんだよ。ボクが偽者だとでも思えるのか?」
「……偽者の方が有難いです……xx」
楽しそうに笑顔を見せる兄に、豪はビクビクした状態で、本心を語る。
「豪…もしかして、悪い夢でも見てたのか?なんだか、怯えてるみたいだけど……それとも、ボクが何かした……」
ポツリと呟かれたその言葉に、烈の顔から笑顔が消えて、変わりに悲しそうな表情に変わって、上目使いで心配そうに自分の顔を覗き込んで来る。
今にも泣き出しそうな表情で、自分の事を見上げてくる烈の瞳に、豪は思わず一歩後ろに下がった。
「あ、兄貴?!」
「豪、ボクの事、嫌いになったの・……ボク、豪に嫌われるような事、した?」
うるうるとした視線で自分を見詰めてくる兄の姿に、豪は慌てて大きく首を振って返す。
「な、何もしてねぇって!!だ、だから、そんな目で俺の事見るのやめてくれよ!!」
迫ってくる相手から逃げるように後ろに下がるが、その都度に相手が自分の方に迫ってくる。
もうそれ以上下がれないと言うところまできた瞬間、突然烈が大声をあげて笑い出した。
「あ、兄貴?」
「お、お前って単純!!」
慌てていた豪は、突然大声で笑いだした相手に、思わずきょとんとした表情をしてしまう。
お腹を抱えて笑っている烈を前に、豪は意味の分からない状態のまま、何が起こったのかを必死で考えてみる。
まず、転寝していた自分を起こした烈のよすが可笑しかった事。
そして、必要以上に自分に絡んできたこと。
更に極めつけが、自分の行動を楽しむかのように大笑いしている今の状態とを合わせると、もう大体の答えは出てきてしまう。
「お、お前、『夜』だな!!」
「…今頃気が付いたのかよ…鈍い奴!本物なら、今出掛けてるぜ」
目元に浮かんだ涙を拭いながら、烈の姿をした相手が楽しそうな声をだす。
すっかり騙されてくれた相手に、満足しているようだ。
「……て、てめぇ!!」
「いいのか、この姿のボクを殴っても」
からかわれた事に、相手を殴りつけようと手を上げた豪は、ニッコリと笑顔を見せられた事で、そのままその動きを止めてしまう。
「豪は、ボクの事を殴るなんて事、しなよなぁvv」
にこやかな笑顔で言われたそれに、豪は身動きが出来ない状態である。
自分には、この顔を殴る事など、一生出来ない。
「ひ、卑怯だぞ!」
「卑怯って、言葉は、ボクにとって誉め言葉なんだよ、豪くんvv」
烈の顔をしたまま、ニッコリと笑顔を見せる相手に、豪は思わず言葉を失ってしまう。
「ボクさぁ、お前の事からかうのが楽しみなんだよなぁ。だから、この部屋に入った時に、姿消してお前が寝るの待ってたんだ」
嬉しそうに笑いながら言われたそれに、豪は思い当たった事が一つ。
この部屋に入った時から感じられた眠気の原因を作ったのは、どう考えても目の前に居るモノの所為だとしか考えつかない。
「…まさか、お前……」
「夢魔ってさぁ、人を眠らせるの得意じゃねぇと、やってらんねぇんだぜ」
にやりと意地の悪い笑顔を見せて、烈の姿をした『夜』が軽いウインクをして説明する。
確かに、夢魔…いや、夢を主食にしていると言っていたのだから、そのくらいの芸当は出来るだろうが、自分をからかうためにだけ使うという相手に、豪が怒りを感じても仕方ないだろう。
「お、お前……」
「おっ、やるんなら、相手になるぜvv 勿論、この格好でだけどなvv」
握っていた拳をわなわなと振るわせる豪を前に、『夜』が楽しそうにけらけらと大笑いをする。勿論、その姿を相手に、豪が何も出来ないという事を知っているからこそ、の言葉であるのだが……。
「…俺は、手を出さないぜ……『夜』お前、気が付いてねぇだろう?」
だが、自分の事を馬鹿にして笑っている『夜』を前に、豪が呆れたように呟いたその言葉を理解する前に、後ろから誰かに肩を捕まれる。
「……『夜』…人の姿で、何をやってるのかなぁ?」
ニッコリと笑顔を見せているのに、それが怖いと思えるほどの殺気を感じられるのは、気のせいではないだろう。肩を捕まれた『夜』さえも、その殺気を感じて、びくっと肩を振るわせた。
「……人が部屋に居ない時に、何をやってるんだ!さっさと、その姿から元に戻れ!!」
「……烈…い、いつの間に……」
ドアに背を向けた状態だった『夜』は、戻ってきた烈に、全く気が付いていなかっただけに、本気で驚いているようだ。
「たった今だけど……ボクの格好で、何をしていたのか、説明してもらおうかなぁ、『夜』くん」
満面の笑顔を見せて、烈が問い掛けたその時に、『夜』の姿が、烈の姿から黒猫の姿に戻る。
「逃げようたって、無駄だよ!暫く、水晶に戻ってろ!!豪!!」
「は、はい!!」
「お前も、勝手に人の部屋に入るなって、何度も言ってるだろう!大体、『夜』に騙されるなんて、情けないぞ」
「いや、あの……すみません……」
勢いのままに怒鳴られて、素直に謝ってしまう。
「…『夜』文句を言うつもりなら、ボクも本気で怒るからね」
そして、水晶の中に無理やり閉じ込められた方の『夜』が自分に対して文句を言おうとする前に、烈が先に釘をさしておく。
その言葉に、『夜』もそのまま大人しくなった。
どうやら、『夜』も、烈を怒らせるのは、本気で怖いらしい。
「あ、兄貴、どこかに行ってたのか?」
「ああ、ちょっとコンビニにな……で、お前は、何か用事でもなるのか?」
「…大した用事はねぇんだけど……ちょっと教えてもらいたい事が……」
「勉強なら、幾らでも見てやるぞ」
ニッコリと笑顔で言われた事に、豪が言った事を後悔したのは言うまでもないだろう。
秋の夜は、長いとは言え、その夜、豪がなかなか寝られなかったのは言うまでもない。
そして、その夜、水晶の中から出してもらえなかった『夜』が次の日に、豪に八つ当たりをしたとか、しなかったとか……。
兎に角、星馬家のランク付けで、豪が一番下に見られているという事が、分かったのであった。
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