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ねぇ、君は忘れてしまっているけど、僕は忘れた事はない。
あの日、君が月を見ながら泣いていた時の事を………
だって、僕はその顔に生まれて初めて、見惚れてしまったのだから
「あのさぁ、ここ本当に、俺なんかが入ってもいいのか??」
目の前にある立派なマンションに、恐る恐る質問してしまうのは、庶民として当然だと思う。
「入れなくてどうするの?」
恐る恐る質問した俺の言葉に、逆に質問で返され複雑な表情になってしまった。
って、逆に聞くなよ!!
そりゃ、建物なんだから人が入れない訳はないんだろうけど、俺が聞いたのはそんな事じゃないって!
「帰るって言ったはずだよ。今日から君はここで生活してもらうんだからね」
内心で文句を言っていた俺に、恭弥がまた理不尽な事を言う。
って、ちょっと待て!
「ここで生活って!!」
俺にはちゃんと家があるんだけど……そりゃ、待っている人は居ないけど
「何?言ったはずだよ、君は僕のモノだって」
いや、確かに聞いたけど、だからっておまえ、普通は人を簡単にモノ呼ばわりするか?
約束だって、俺は覚えてないのに……
って、そうだよ!約束、その約束だって、俺は全然記憶にない。
「なぁ」
「何?まだ何かあるの?」
思い出した事に、エレベーターに乗ってボタンを押した恭弥に、そっと声を掛ければ不機嫌な声で聞き返されてしまう。
う〜っ、何でこんなに短気なんだろう、こいつ。
「約束って、何なんだよ!」
冷たく返された事で挫けそうになる自分を叱咤して、再度問い掛ける。
約束。
今、俺とこの目の前の男とを繋いでいるのは、その約束なのだ。
一体、俺はどんな約束をこいつと交わしたんだ?
「さぁね、自分で思い出すんだね」
何度も問い掛けているその質問に、ふっと恭弥が笑ったように見える。
あれ?機嫌が直ってるのか??
何処か嬉しそうな顔をする恭弥に、思わず見入ってしまう。
「何?僕の顔に何かついてるの?」
ジーっと見つめる中、恭弥が不思議そうに問い掛けてきた。それに慌てて首を振った瞬間、チンと軽い音がしてエレベーターが止まる。
「ほら、行くよ」
思わず見上げた階数を見て呆然。
そう言えば、ボタン押す時一番上のヤツを押していたような……って、ちょっと待て、最上階かよ!!
呆然としている俺に、恭弥が促すように声を掛けてくる。
開いた先には赤い絨毯のひかれた廊下が見えるんですけど……どんなとこだよ、ここは!!
目の前に広がった光景に、呆然としてしまうのは止められない。
だって、俺はちゃんと自分が庶民だって自覚してるから……
「何してるの?さっさと行くよ」
立ち止まって動かない俺に気付いた恭弥が、振り返って声を掛けてくる。
いやいや、こんな所をどうしてお前は堂々と行動できるんだよ、って、こいつはここに住んでるんだった。
「恭弥、今すぐ帰っていいか?」
「……何度同じ事を言わせる気、君の家はここだって言ったはずだよ」
このまま回れ右して帰りたいと訴えれば、盛大に呆れたようなため息をついてまた言われた。
いやいや、俺の家はここじゃないから!
「バカなこと言ってないで、行くよ」
思いっきり拒否しようとした瞬間、少し前を歩いていた恭弥が戻ってきて俺の腕を掴んで無理矢理歩き出す。
腕を掴まれた俺は、否応無しに歩く事になる訳で……
「ちょ、恭弥!」
バランスを崩しそうになるのを足を動かす事で何とか整えて、慌てて目の前の相手の名前を呼ぶ。
「何?」
「そんなに引っ張ったら、俺コケる!!」
「コケないようにちゃんと付いてきなよ」
って、離してくれる気はないのか!!
俺の腕を掴んだまま、ズンズンと廊下をを歩く恭弥の後は否応無しに付いて行く事しか出来ない。
「ほら、入るよ」
そして、最奥の場所に着いた瞬間、言われたその言葉で、漸く足が止まった。
見えたのは一つのドア。
シンプルだけど、何ていうか高級感が漂っているように見えるのは、やっぱり俺が庶民だからな?!
そんな事を考えていた俺には気付かずに、恭弥は既にドアを開けて中へと入っていく。
いや、俺も腕を掴まれたままだから、強制的に中に入ることになったんだけど
「ねぇ、なんか作ってくれる?」
中は、予想通り広い。
って、人の気配感じられないって事は、こいつまさか一人暮らしとか言わないよな?
こんな高級マンションに中学生が一人暮らしって、有り得ないだろう!
「ねぇ、聞いてるの?」
「えっ?何?」
呆然と中を見ていた俺は、不機嫌そうに声を掛けてきた恭弥の声で漸く我に返った。
「……お腹すいたから、なんか作って」
でも何を言ったのか分からなかったので聞き返した俺に、恭弥はため息をついてあっさりと答えてくれたけど、いやいや、有り得ないから!
なんで俺が、恭弥に飯を作らないといけないんだよ!!
「なんで……」
「だって、は今日からここに住むんだから、料理作ってくれるんでしょう?」
いやいや、なんでそうなるんだ?!
って、何だ、俺は家政夫になるためにここに連れて来られたのか?
「なんで俺が、恭弥に飯作らないといけないんだよ!」
「何言ってるの、も食べるに決まってるでしょ」
いや、そう言う問題じゃねぇから!
でも、これ以上文句を言っても疲れるだけのような気がする……今までの状況を考えると
「分かった、作ればいいんだろう!まずくても文句言うなよ」
「大丈夫、その時は容赦しないからね」
全然大丈夫じゃねぇじゃんか!
容赦しないって、何だよ……でも、咬み殺すんじゃないんだ……そう言えば、俺まだこいつから一回も咬み殺すって言う口癖聞いた事ないかも
取り合えず、材料を見て何を作るか考えるか……
深く考えずに、立派としか言えないシステムキッチンを前にため息をついて、冷蔵を開ける。
…………おい、殆ど空じゃねぇか!
こんなんで、何にも作れる訳ねぇだろうが!
仕方がないので冷凍庫のドアを開ける………
氷と冷凍食品が幾つか……って、こんなに大きいのになんでそれしか入ってないんだよ!
いや、だって、ここの冷蔵庫本気で大きいのに、物が入ってないから食品が良く冷えるよなぁ……て、現実逃避してどうする俺、何か作れって、何にも作れねぇだろう!
あの様子から考えて、外に買いに行くと言っても多分許可下りないよな……。
あるのは、ハンバーグ・ミックスベジタブルの冷凍食品と食パン、牛乳にバター。あっパスタと小麦粉も何とかある……よし、グラタンでも作るか。
本当はサラダでもほしい所だけど、流石に材料ない状態だと作れない。
人に作れって言うのなら、材料ぐらいちゃんとしとけ!
ブツブツと文句を言いながら、ホワイトソースを作る。
まぁ、時間が掛かるのは仕方ないだろう、何もない状況で作れって言ったあいつが全部悪い。
それから、1時間ぐらい時間をかけてグラタンを作った。
ホワイトソースから作って、この時間なんだから、まだ早い方だと信じたい。
「ほら、作ったぞ……って、こいつ寝てるし」
出来上がったグラタンを持って恭弥が居るリビングに戻ったら、作れと言った本人は気持ち良さそうに寝てやがった。
どうりで、時間かけても全然文句言ってこなかったはずだ。
その姿を見て盛大にため息をつき、持っていたそれをテーブルに置いて俺は恭弥を見上げるように床に直接座った。
ああ、やっぱりこいつって綺麗な顔してる。
睫長いし、目鼻口が綺麗に顔の中に納まってる……いやいや、だからって、こいつは男だから!
見惚れてる場合か、俺!
そんなことよりも考えろ、俺はこいつとどんな約束をしたんだ?
それが分かれば、家に帰れる。そう、家に帰れるんだぞ!!
「ねぇ、何を考えてるの?泣きそうな顔になってるよ」
そんな事を考えている中、突然声が聞こえて来てかなり驚いた。だって寝てると思っていた奴が、俺の事をジッと見詰めているんだから、驚くなと言う方が無理な注文だろう。
「なっ、何で、起きて……」
「そんなに見詰められたら起きるに決まってるでしょう。まぁ、君だから許すけど、僕の眠りを妨げたら普通なら容赦しないよ」
理不尽だ。
自己中心だし、見ただけで普通は起きないだろうが!!
「出来たの?」
「一応、お前が寝てたから、ちょっと冷めたかも」
心の中で、盛大に突っ込んでしまうのはもう止められない。
それでも、それを口に出して言わないだけまだ理性が残っているという事だろうか?
こいつにそんな暴言吐いたら、確実に咬み殺される。
自分を落ち着かせる為に小さくため息をついた瞬間、恭弥がテーブルに置いてあるモノを見て質問してきた内容に頷いて返す。
凄いだろう、サラダは無理だったけど、スープぐらいはちゃんと付けられたんだぞ。
「ふーん、グラタンなんだ。良く何も材料なかったのに作れたね」
おい、材料ねぇの知ってたのかよ!先に言っとけ!!
「在り合わせのもので作ったに決まってんだろう、人に作らせるなら、ちゃんと材料仕入れとけよな」
「君をここに連れて来たのは、僕としても予想外だったからね。まぁ、近い内には連れて来る事になるのは分かっていた事だけど」
って、何処まで横暴なんだよ、こいつは!!!
でも、流石に今日連れて来たた事は予想範囲外だったと……俺も、屋上で閉め出し食らう事になるなんてこれっぽっちも予想できなかったしな。
もうこれ以上こいつに何を言っても無駄だと悟った俺は、ため息を一つ。
「そうかよ……もう何も言う気になれねぇ、さっさと食ってくれ」
だから、言えたのはそれぐらい。
俺も正直言ってお腹空いてたし、折角作ったモノが冷たくなるのは悲しいぞ。
料理に関しては、親父と二人暮しだったって事もあるから、普通の中学生男児よりは出来る方だ。
上手いかどうかを聞かれれば、まぁ、無難ってところだろう。
食えなくないって言うところ。
可もなく不可もなくってところだろうか、さて、こいつ、恭弥の反応は?
パクリと自分で作ったそれを口に運んでから、チラリと恭弥に視線を向ける。
恭弥も、俺に言われたからだろうか、大人しくグラタンに手を伸ばしす。
それを俺は、グラタンを食いながら伺い見る。
何だろう、俺が作ったグラタンのはずなのに、こいつが食っているからなのかすっごく優雅に見えるのは気の所為だよな?
「ふーん、食べられない事はないね。美味しいって感動するモノでもないけど」
そんな事を考えていた俺の耳に、恭弥の声が聞こえて来た。
ああ、やっぱり当然の反応が帰ってきた。
分かってたさ、俺の料理が平凡だって……でもなぁ、レシピ見ずに作るとどうしても平凡な味になるんだよなぁ、万人受けするからいいかもしれないけど
今度、近所のお料理上手か奥さんに料理教えてもらおうかな……近所の家でね、すっごく美味しい料理をお裾分けしてくれる家があるんだよ、本当にめちゃめちゃ美味いの!
あそこの息子さんは幸せ者だよな、確か同じ中学校だったはずだけど、会った事はないと思う……多分。
「ねぇ、手が止まってるけど、何考えてるの?」
ご近所のお料理上手な奥さんの事を思い出していた俺は、そんな声にハッと我に返った。
「って、もう食い終わってるし!!」
そして目の前の相手を見れば、綺麗に俺の作ったグラタンとスープがなくなっている。
って、俺そんなに長い時間考え込んでないぞ、どれだけ早食いなんだよ、こいつ。
「ゆくっり食べてたら仕事が進まないからね」
「いやいや、ちゃんとゆっくり食べないと体に悪いだろう!」
思わず突っ込んでしまうぐらいには、めちゃめちゃ体に悪いだろう。
ちゃんと噛んで食べなきゃダメだなんだぞ!
「ねぇ、食べ終わったら、コーヒー入れてくれる。これから仕事するから」
俺の突込みを完全に無視して、続けて言われた言葉に盛大にため息をついてしまうのは仕方ない事だろう。
って、俺はお前の家政夫じゃねぇぞ。
ま、まさか、こいつが俺を連れ帰ってきたのは、雑用係が欲しかったのか?
そんな理由だって言うのなら、速攻で帰るぞ。
「何?」
じーっと恭弥の事を睨み付ければ、意味が分からないと言うように問い掛けてくる。
「別に、恭弥が俺の事を雑用係に連れてきた事に対して文句言いたいと思っただけだ」
俺の事を見詰めてくる恭弥から顔を逸らして、正直に自分が思った事を口に出す。
だって、流石に雑用係で連れてきたって言うのは誰だって、許せないともうんモンだろう。
俺は、ちゃんと帰る家だってあるんだから……誰も居ない家だとしても、あそこはここまで俺が育ってきた大切な家なのだ。
そう、親父との思い出が詰まった、大切な、大切な……辛い場所でもある。
「なんで君を雑用係にしなきゃいけないの?雑用に使うのならもっと効率のいい相手を選ぶに決まってるでしょう。は、僕にとっては特別なんだよ」
いやいや、特別だと言われても、その前の台詞から考えると、俺は効率良く動けない人間って言ってるようなもんじゃねぇかよ!
「お前、人をバカにしてるだろう!」
「馬鹿になんてしてないでしょう。約束、早く思い出しなよ」
バカにされたと思って文句を言えば、サラリと返される言葉。
で、最後にはやっぱり『約束』と言う言葉が口に出された。
俺、本気でこいつとどんな約束したんだ?!
「思い出せって言うなら、ヒントぐらい出せ!」
「病院、屋上、満月、涙……『咬み殺すよ』」
思い出せない事に自棄になって言えば、淡々とした口調で言われた内容。
そして、初めて自分に向けて言われた口癖。
その言葉を言われた瞬間、ドクンと心臓が大きく鳴った気がした。
初めて聞いたはずなのに、初めてじゃないそんな感覚。
こいつの口癖だっていう事は噂でイヤと言うほど知っている。
だけど、俺はその台詞を一度だって聞いた事はない、はずなのに……
胸が、苦しい。
視界がぼやける。
「!」
その瞬間、慌てたように名前を呼ばれて、グイッと強い力で引かれた。
そして、包まれる温もり。
「……だから、言いたくなかったんだよ」
「えっ?」
そして、ボソリと言われた言葉に、意味が分からなくって聞き返してしまう。
だから、言いたくなかったって事は、意図して口癖を言わないようにしていたって事だろうか?
なんで、こいつがそんな事してたんだ?
「君は、僕のその言葉を聞いて取り乱したから……」
俺が、取り乱した?
それが、多分こいつとの約束に関係が……そして、俺が覚えてない理由…?
「ねぇ、思い出してよ、僕との約束」
ギュッと、強く抱き締められる。
包まれるのは、暖かな体温と恭弥の香り?
それは、確かに初めてじゃない温もり。
俺が、忘れ居ているのは、この温もりを初めて貰った時の事
俺は、どうやってあの日の夜を過ごした?
俺は、どうやって自分を落ち着かせたんだ?
俺は、どうやって真実を受け入れた?
そんなに簡単に全てを受け入れるなんて、俺には絶対に無理だ。
だったら、あの時俺は一人じゃなかったって事。
どうして、俺はそんな簡単な事さえも思いつきもしなかったんだろう。
泣いてなんて居られないって、意地を張る事が出来たのは、あの夜があったからだ。
俺が忘れてしまった、親父が死んだと言われて急いで向かった病院で、冷たくなった親父を見たあの夜の事……
次の日には、現実を受け止めてしっかりと出来ていたのは、その前に何かがあったからだ。
そう、誰かが俺を支えてくれた……
「恭弥が、俺を支えてくれたんだな」
約束を思い出した訳じゃないけど、コレだけは言える。
今俺が、変わらずに居られたのは、全部あの夜に恭弥が支えてくれたからだという事が
「この温もりだけ、覚えてる……約束、忘れちまってごめんな。思い出すから、だからそれまで、待っててくれるか?」
忘れてしまった約束。
だけど、今はじめて思い出したいと思った。
悔しいからとか、恭弥から逃げ出したいとか、そんな理由じゃなく、俺が本気で恭弥とどんな約束をしたのかが知りたいと思ったのだ。
「それじゃ、新しい約束だよ。絶対思い出しなよ」
「おう!んじゃ、それまではここに厄介になるって事でいいのか?」
「何言ってるの、思い出しても帰す訳ないでしょ、あの家からここに引っ越してもらうからね」
と言う訳で、恭弥と新しい約束をする事になった。
なので、素直に頷いて質問をすれば、とんでもない言葉が返ってくる。
って、それはそれでどうかと思うんだけど
「いやいや、俺はあの家が帰る場所だから!親父の位牌だってあるし!」
「全部ここに持ってくればいいでしょ、ああ、ちなみに来月からあの家、人に貸し出すからそれまでに引っ越し済ませるよ」
「って、何勝手な事してるんだよ!!」
とんでもない恭弥の言葉に突っ込みを入れたら、更に信じられない言葉が帰ってきた。
って、何持ち主に許可なくそんな勝手な事を!!
「月々6万の収入になるんだから、有難いと思いなよ」
しっかりと家賃取るのか!
いや、それは確かに有難いけど、だからって、俺の家を人に貸すなんて……
「心配しなくても、リフォーム禁止あのままの家で使う事が条件で貸すんだからね」
親父との思い出が詰まった家が他の人に貸し出されるのが寂しくって、それが顔に出たのだろう恭弥が付け足すように言ったその言葉に顔を上げた。
「しかも、1年ごとの更新確認。君が嫌なら出て行ってもらうって言う条件をつけてもいいよ」
って、そんな横暴な家を借りる人が居るのか?
でも、それぐらいこいつなら遣りそうだ。
「……そこまで言うなら、納得してやるよ……でも、俺が出て行きたくなったら出て行くからな!」
「いいよ、出て行かせないから」
強気で言った俺の言葉に、返されたのはもっと強気の発言だった。
まぁ、もともとこいつに勝てる訳ないんだよな。
だったら、今は新しい約束をちゃんと果たして、晴れて自由の身になってやろうじゃねぇか!
見てろよ、絶対に思い出してやる!
と言う訳で、奇妙な同居生活が始まってしまった。
そして、俺は、自分で考えていた事が見事なまでに間抜けだったと知るのはもっと先の話。
本気で俺は、恭弥とどんな約束したんだよ!!
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