目が覚めたら、何も覚えていなかった。

 正直言って、状況が分からなくて呆然としてしまう。


 えっと、なんでこんな状況になってるんだ。
 って、寝る前の記憶さえないから、理由なんて分かるはずもないんだけど

 必死で、働かない頭を動かしていると、ドアが開く音がして、ビクリと大きく体が震えた。
 ど、どうしよう、誰か人が入ってくる。

、入るよ」

 いやいや、入るよって、普通はノックして返事貰ってから入るもんじゃないんでしょうか?!
 しかも、って誰?もしかして、俺の事??

 ギュッと布団を握り締めて、相手が入ってくるのに身構える。
 そんな状態で居れば、顔を覗かせたのは茶色の髪に琥珀の瞳の制服を着た男の子。

「あれ?珍しいね、が起きてるなんて」

 その男の子が顔を覗かせて、俺を見るなりニッコリと綺麗な笑顔を見せて声を掛けてくる。

 ああ、やっぱり、って言うのは俺の事なんだ。
 それじゃ、今俺に声を掛けてきているこの人は、一体誰なんだろう。

?」

 じっと警戒したままの状態で相手を見詰めていれば、不思議そうな顔でまた名前を呼ばれた。

「えっと、って言うのは、俺のことですよね?俺のこと、ご存知なんですか?」

 心配そうに自分を見詰めてくる相手に、恐る恐る質問してみる。
 だって、今の俺の状態から言うと、何にも分からないから

?まだ寝ぼけてる?」

 だけど、俺のその質問に返されたのは本当に不思議そうな顔をした相手からの言葉だった。
 いや、確かに寝ぼけてるような質問かも知れないけど、俺はいたって真面目ですし、ちゃんと起きてます、多分……

「起きていると思います。でも、今の状況が分からないと言うか……貴方は、誰ですか?」

 自分で考えて自信がなくなってきたので、頼りなく返事を返して再度質問をする。
 相手は俺の事を分かっているみたいだけど、俺には目の前の相手の事が全然分からないから

 ああ、でも、俺は俺の事も分からないんだよな。
 どうして、今ここに居るかさえも

「……冗談、じゃなさそうだし、そう言う冗談をが言うとは思えないからね……寝る前までは普通だったのに、一体何があった訳?」

 だけど相手から返されたのは、再度の質問。

 いや、俺の質問には答えてもらえないんでしょうか?
 って、俺内心で突っ込みまくってるんだけど!

「何があったって、それさえも分からないんですけど……俺は、俺の事さえも分からない……」

 寝る前までは変わらかったって事は、当然俺はこの人の事を知っている。
 しかも夜まで一緒に居たって事は、一緒に暮らしてるって事だよね?
 こんなかっこいい人が、俺の知り合いなんてすごい事のような気がするんだけど

 じーっと相手を見詰めていれば、真剣に何かを考えているようだ。
 でも、その視線は、しっかりと俺の方へと向けられている。

「……酷いな、覚えてないなんて……オレは、の恋人なのに」

 見詰められる事に居心地悪く感じて視線を逸らした瞬間、零れたその言葉に一瞬わが耳を疑ってしまった。

 あれ?今恋人とか聞こえたような気が……

「あ、あの今、何とおっしゃったんでしょうか?」

 多分聞き間違いだろうと思いながら、恐る恐る聞き返す。

「オレは、の恋人だって言ったんだけど?」

 オレの質問にあっさりと目の前のお兄さんが答えてくれる。
 けど俺には、それが良く伝わらなくって、必死で頭の中でその言葉をリプレイ。

「はぁ?!いや、俺、勝手な認識してたんですけど、多分男ですよね?じ、実は、お兄さんは女性だったんですか?」
「お兄さんって、オレはと同い年だけど……って、オレが女に見える?」

 そして、漸く理解した瞬間、再度相手に質問を投げ掛けてしまった。
 それに、お兄さんが更に質問で返してくる。

 いや、中性的だから見えない事はないかもしれないけど、女性らしさと言うものは感じられない。

「み、見えない事はないかもしれないけど……女性だって言ったらちゃんと納得します」

 必死で返した俺の言葉に、目の前の人がクスリと笑う。
 それも、すっごく綺麗な笑顔なんですけど……

「残念ながら、オレは男だよ。勿論も男だからね。でも、性別なんて関係ないぐらいちゃんと愛し合ってたんだけど」

 その綺麗な綺麗な笑みに見惚れていた俺に、名前の分からない自称俺の恋人だと言う人が性別を教えてくれた。
 ちゃんと、俺の性別も教えてくれたけど、あ、愛し合ってるって、きょ、許容範囲を超えてます!

「なに、嘘を教えてやがるんだ」

 頭がパニックを起こしてしまって何も考えられなくなっていた俺の耳に、新たな声が聞こえて何とか思考を戻す事が出来た。

 でも、嘘って?
 それって、目の前のお兄さんと俺が恋人って言うのが??

「嘘は言ってないだろう、リボーン」

 必死で考えをまとめようとしていた俺の直ぐ傍で、不機嫌な声が誰かの名前を呼ぶ。
 リボーンって、もしかして、誰かの名前?

「嘘だらけじゃねぇか、ダメそいつの言う事を真に受けるんじゃねぇぞ」

 変わった名前だなぁと思いながら声がした方を振り返れば、黒いスーツを着た小さな子供が呆れたように声を掛けてきた。

 いやいや、こんな小さな子供が流暢にしゃべっているってどうなんですか?!
 しかも、その子供にダメって呼ばれてるんですけど、俺!

「いや、あの、俺、本気で状況が理解できないんですけど……お兄さんは名前を教えてくれないし、小さい子供にダメとか言われるって、俺は一体、何者なの?!」
「チッ、全部なくしてやがるじゃねぇか、実験は失敗だな」

 一人だけ置いてけぼり状態で、不安が爆発して不満を口に出せば、リボーンと呼ばれた小さな子供が舌打する。
 それから、なんかボソリと聞こえたような気がするだけど、気の所為ですか?

「やっぱり、お前の所為か」

 良く聞き取れなかったその言葉に、首を傾げた瞬間不機嫌な声がお兄さんから聞こえて来た。

 えっ、リボーンくんの所為って、何がですか?

「否定はしねぇぞ。まぁ、ちょっとした実験だ」

 不機嫌な声に質問されて、小さな子供が同意するような言葉を返す。
 そこで漸く、俺の記憶がない理由がこの小さな子供の所為だという事が分かった。

「じ、実験って、俺の記憶がないのは、君の所為って事なの?!」

 だから、信じられないその内容に、思わず声を上げても仕方ないと思う。
 だって、普通に考えれば、実験で人の記憶を無くす事が出来るなんてそんな事考えられるはずもないから

 それとも、俺に記憶がないだけで、そんな事が世の中では普通に起こっているんだろうか?

「そうだぞ。薬の効力を試す為にお前に実験台になってもらったんだが、実験は失敗だな」
「えっ、実験失敗って……記憶を無くす実験していたのなから、俺は全然覚えてないから実験成功なんじゃ……」
「違げーぞ。全部の記憶を抜くんじゃなく、ある一定の記憶だけを無くすのが目的だからな、全部無くなっちまったら、実験は失敗だぞ」

 驚いた声を上げた俺に、リボーンくんがため息をつきながら口を開く。

 いや、実験失敗って、それじゃ俺は記憶が無くなってどうすればいいんだろう……
 記憶を戻す為の薬は、ちゃんとあるのかな?

「なにを勝手に実験台にしてる訳」
「一番扱い易いからな」

 不安な気持ちを隠しきれない俺の直ぐ傍で、またしてもお兄さんが不機嫌そうにリボーンくんを睨み付ける。
 かなりの迫力のある睨みつけなのに、リボーンくんは全く気にした様子もなくサラリと理不尽な言葉を返した。

 そ、それって、俺、むちゃくちゃ扱い酷くないですか?!
 扱い易いからって記憶喪失状態にされるって……本気で、記憶は戻るんでしょうか?

「治す薬はあるんだよな?」
「ねぇぞ。まぁ、実験だから、時間が経てば戻るんじゃねぇのか?」

「………今すぐ戻す為の薬を作らせろ!」

 ショックを受けている俺は完全に置いていかれて、お兄さんとリボーンくんが話をしている。
 その内容は、俺の記憶を戻す薬のことみたいだけど、ないんだ、やっぱり……

「えーっ、面倒くさいんだもん」
「もんじゃないだろう!作らないって言うのなら、もう二度とのエスプレッソが飲めないと思えよ」

 だけど、その返事にお兄さんが命令口調で言えばリボーンくんが可愛く拒否する。
 それに対して、お兄さんがやっぱり脅すように口を開いた。

 えっと、俺のエスプレッソって何の事だろう。
 そもそも、エスプレッソって何だっけ?

 脅し文句に、一瞬リボーンくんがチラリと俺の方へと視線を向けてきた、それから深い深いため息を一つ。

「それは確かに困るな。早急に作らせるぞ」

 えっ、そんなに大事なのエスプレッソ?!
 お兄さんの言葉で、リボーンくんが、あっさりと頷いた事に、かなり驚かされた。

「だが、3日は掛かるからな、その間はお前が誤魔化せよ」

 その後、部屋を出て行きながらお兄さんへと当然のように言葉を投げ付ける。

「そんなの分かってるよ」

 お兄さんはお兄さんで、当たり前だと言うように頷いてるし……ほ、本当に、俺の恋人なんだろうか?
 そうじゃなければ、記憶を失っている人間の世話なんて普通したくないものだよね?
 でも俺は、いまだにお兄さんの名前を知りません。
 同い年だと、聞いただけなんだけど

「何か、考え事?まぁ、今のこの状態が不安なのは仕方ないけど、オレがを守るから心配しないで」

 不安な気持ちを隠せないまま、恐る恐るお兄さんを見上げれば、ニッコリと綺麗な笑顔で言われる言葉。

 や、やっぱり、恋人って言う言葉は本当なんだろうか?!
 だって、どう考えても、恋人に言うような甘い台詞だよね?
 いや、記憶が混乱してるから、多分としか言えないんだけど……

「あ、あの、や、やっぱり、俺とお兄さんは、その、こ、こい、恋人なんですか?」

 優しい瞳で俺を見詰めてくるお兄さんに、必死で質問する。
 どもっているのは、やっぱり何となく恥ずかしいから

「……それは………」

 俺の必死の質問に、お兄さんが驚いたように瞳を見開く、そして口に手を当てて困ったような表情。

 俺は、聞いちゃいけない事を聞いたのかな?

 その表情に、俺の胸がズキリと痛む。
 だって、そんな顔を見たくないと思ったから……

「……オレの、願望かな」

 続いた沈黙の後、ポツリと漏らされたその言葉に一体どれほどの想いが込められていたのだろう。

 記憶を失くす前の俺は、お兄さんの事をどう思っていた?
 記憶がないのに、俺はお兄さんを見ているだけで、ドキドキしている。
 ねぇ、それって、俺もお兄さんの事が好きだったって事じゃないのかな?

「……名前、教えてくれないですか?」

 だから、お兄さんの名前を呼びたくて、俺はそっとお兄さんへと質問した。
 だって、同じ年だって言ってたし、何時までもお兄さんって呼ぶのは何となく嫌だったから

 恐る恐ると言う様子で質問した俺に、お兄さんが一瞬驚いたような表情を見せたけど、直ぐにクスリと笑って、俺の質問に答えてくれる。

「オレの名前は、綱吉だよ。は、オレの事をツナって呼んでた」
「つな、よし、さん」

 教えてくれた名前を口にして見る。

 なんだろう、やっぱり記憶がなくても覚えてるって言うのはこう言う事を言うのかな?
 呼び慣れていると、そう感じる名前。

「さん付けしなくてもいいよ」

 まるで自分に言い聞かせるように途切れ途切れに名前を呼んだ俺に、綱吉さんが笑って返してくれる。
 俺は、どうしてこの人の事を忘れているんだろう。

 だって、覚えている事が当たり前だった人なのに……


 当たり前?

 どうして、そう思えるんだろう。

 覚えていないのに、どうしてそう思うの?


?」

 不意に名前を呼ばれて顔を上げる。


 ああ、この人は、俺にとっての世界には欠かせない人……


「ツ、ナァ」

 思い出した。

 どうして、俺は全てを忘れてしまったか

「ツナを忘れる事は、俺にとって全てを忘れる事と同じなんだ……」
?」
「何だ、思い出したのか?」

 リボーンは、確かに言った。
 一定の記憶だけを忘れるようにするのが、実験だったと

 俺に忘れさせようとしていた記憶は

「ツナを忘れる事」

 昨日の夜、確かにリボーンは俺にそう言った。

 だけど、俺が朝起きた時に忘れていたのは、自分の全て
 だから、実験は失敗したと言われたんだけど、俺にとっては内容が悪かったんだ。

 だって、沢田綱吉は俺の世界にとって欠かせない人だから、だから、綱吉を忘れるという事は、俺の全てが無くなるという事。

「どう言う、意味?」

 何時の間にか戻ってきていたリボーンが、俺の言葉を聞いて、感心したように聞き返してくる。

 そう、思い出したんだ。
 俺のカギは、綱吉と言う言葉。

「言っただろう、この実験は一定の記憶を消すのが目的だったんだぞ。こいつの一定の記憶ってのは、『沢田綱吉を忘れる』だったんだからな」
「なっ!」

 説明するように言われたりボーンの言葉に、綱吉が言葉を失う。

 そう、俺が忘れるように暗示をかけられた内容は、『沢田綱吉を忘れる』だった。

 でも俺は一定の事ではなく、全てを忘れてしまったのだ。
 だって、綱吉は俺の中に欠かせない人だから……

「どっちにしても、キーワードで思い出すのは成功のようだな。そっちはちゃんと連絡しとくぞ」
「って、キーワードで思い出すって、そんな事さっきは言わなかったし!」

 満足そうにサラリと言われた内容に、思わず突っ込んでしまう。
 だって、リボーンはそんな説明全然してくれなかったんだから、仕方ない。

「そのウチ戻るんじゃ、なかったのか?」
「戻ったじゃねぇか。問題ないぞ」

 不機嫌な綱吉の声にも、リボーンは動じる事無くサラリと返してくれる。

 確かに、あっさりと記憶が戻ったから良かったかもしれないけど、俺、本気でかなり焦ったんだけど……

 あれ?そう言えば、記憶が無かった時の記憶はちゃんとあるかも、ツナは、俺の事何て言ってたっけ?
 確か、恋人……いやいや、気の所為だから!

 俺、きっと寝ぼけてたたんだよね?!

、顔が赤いけど、どうしたの?」

 思い出した内容に、思わず顔が赤くなるのは止められなくって、そんな俺を心配したようにツナが顔を覗き込んできた。

「な、何でもない!!あっ!!!もうこんな時間だし、学校!!!!!」

 それに誤魔化す為に時計を見れば、信じられない時間になっていた。
 だから、誤魔化す為じゃなく本気で焦った声を出してしまうのは止められない。

 だって、今日は普通に学校がある日なんだよ、リボーン、頼むからそんな日にこんな悪戯しないで欲しいんだけど

「今日は特別に休んでもいいぞ。ヒバリには連絡してあるからな」

 ワタワタし始めた俺に、リボーンが信じられない事を言い出した。
 えっ、休んでいいって、本気で言ってる?

「ただし、しっかりと勉強はしとけよ」

 だけどその後に続けられたその言葉に納得。
 うん、普通に休ませてくれる訳無いよね。まぁ、勉強するのが学生の仕事だから当然だけど

 いう事だけ言うと、リボーンは部屋から出て行ってしまう。
 それを見送って、俺は小さくため息をついた。

「安心したら、眠くなった……ツナ」
「何?」
「一緒に寝よう!」

 それから、直ぐ傍に立っているツナに声を掛ける。
 俺が名前を呼べば、直ぐに返事を返してくれる事に嬉しくなりながら、その腕を掴んで引き寄せる。

「……、オレ制服なんだけど……」
「大丈夫、大丈夫」

 俺の行動に驚いたのだろうツナは、呆れたようにため息をついて文句を言ってくるけど、聞き入れる気なんて全然ない。
 だって、記憶もちゃんと戻ったし、何よりも俺にとって大切な人が傍に居てくれるから

 ねぇ、もしも俺と兄弟じゃなかったら、本当に恋人同士になれたかもしれないね。
 でも、兄弟じゃなければ、こんなに惹かれることは無かったのかな?

 俺の事を恋人だと言ってくれたツナの言葉が嬉しかったなんて、きっと一生言えない言葉だよね。
 だって、俺達は血を分けた兄弟なんだから……

?」

 遠去かる意識の中で、大好きな声が聞こえてくる。
 それを嬉しく思いながら、俺の意識は完全に幸せな夢の中に引き込まれてしまった。



 名前を呼んでも反応しないことに、小さくため息をつく。
 オレの腕をしっかりと掴んだまま、は夢の中へと旅立ってしまったようだ。

 寝付きが早いのは、今に始まった事じゃないけど、この状況はどうかと思うんだけど……

「オレは、本気での恋人になりたいと思ってるんだけどね」

 でも、オレと言う存在がにとって、欠かせない人間だと言う事が分かって嬉しかった。

「ねぇ、オレにとっても、は欠かせない人間なんだよ……は、オレの全てだから……」

 そっと耳元で囁けば、君に届くだろうか?

 聞こえるとは思ってないけど、言わずにいられない。

 オレにとって、君が全てなのだと
 君とって、オレが欠かせない人間である以上に、オレにとって君はなくてはならない存在。

「はぁ、確かに疲れたかもしれない……」

 大切な存在をその腕に、本気で疲れた事は否めない。

 君に『貴方は、誰ですか?』と聞かれた時、心臓が凍るかと思った。

 知らない人を見るような瞳で見詰めてきた時、本気で心が冷えた。
 もうこんな想いは、二度としたくない。

「お休み、

 ギュッと、その存在を失わないように抱き締めて目を閉じる。





 お互いがお互いを全てだと思っているのだと言う事に気付けるのは、一体何時の事だろうか……

 もしかしたら、一生気付けずに終わってしまうかもしれない。
 だけど、その想いはどちらの胸にも確かにある気持ち。