「八神監督、おはようございますvv」

 嬉しそうに声を掛けられて、太一も笑顔で挨拶を返す。
 慕ってくる子供達のお陰なのか、何の問題もなく、このクラブに馴染む事の出来た太一は、既にその人気は不動のものと言えた。
 伝説の『八神太一』が、監督に入ったと言う噂は、早いものでアッと言う間に知れ渡り、気が付けば、クラブに参加したいと申し出る子供が、後を絶たなくなった等と言う、そんな噂まで浮上する程である。
 勿論、太一自身は、噂だと信じて疑っていないようであるが、その噂が事実であると知っているのは、オーナーをはじめ、関係者。そして、クラブに初めから所属していた子供達であろう。

「監督、今日は、どう言った練習内容なんですか?」

 嬉しそうに自分に尋ねてくる少年に、太一は一瞬考える様子を見せて、それから苦笑を零す。

「先に教えると面白くないからな。練習が始まるまでは、内緒。ほら、着替えて準備しないと、遅刻になるぞ」

 自分にそう言われて、数人の少年達が慌てて走り去っていく。それを見送って、太一も自分の準備のために、歩き出す。

「太一くん」
「あっ、おはようございます、オーナー」

 名前を呼ばれて、振り返れば、優しそうな笑顔を見せた人物が立っていた。それに、慌てて頭を上げ挨拶をすれば、相手の笑顔が更に優しいものへと変化しする。そして、書類の入った封筒を差し出された。

「オハヨウ。また、今日から新しい子が何人か入るけど、大丈夫かな?」
「えっ?そうなんですか?」

 渡された封筒を受け取って、中身を確認。その中には、今日から入ると言う子供達の写真付きプロフィールが数枚。

「人数が増えて大変だと思いますが……」
「大丈夫ですよ。人数が増えると、出来る事が増えますから、俺としても、本当に楽しいです」
「そうですか?そう言って頂けると、頼もしい」

 ニコニコと笑顔を見せる相手に、太一もニッコリと笑顔を返す。

「では、今日も頑張って下さいね」

 そして、最後に言われた応援の言葉に、謝礼の言葉と一緒に頷いた。



 このクラブに来るようになって、早くも一週間が過ぎる。
 望んでいた自分の夢。それが、こうして叶った事に、太一は毎日これ以上ないほどの上機嫌で、練習へと出掛けている。
 そして、このクラブに入ってから、不思議な事に、入会希望者が後を絶たないと言う状態を引き起こしていた。
 もっとも、その原因になっている人物は、そんな事実などまったく知らない。それどころか、人数が増えると言う事自体に対して、何の疑問も、持っていない状態なのだ。

「練習初める前に、ストレッチはきちんとしとけ、怪我の元だからな。ちゃんと体温めろよ」

 子供達が集まった事に、何時ものように注意を伝える。
 運動をする前の準備運動を怠ってしまうと、とんでもないしっぺ返しがくる事を、きちんと分かってもらう事は、大事な事だ。
 太一の言葉に、子供達が返事を返す。それに、満足そうに頷いて、ストレッチを始めた子供達の監視。

「八神監督」
「はい?」

 そして何時ものように、その様子を見詰めている自分に、声が掛けられて、振り返った。

「彼らが、今日から新しく入る子達です」

 振り返った先に居たのは、数人の子供達と、監督補佐と言う立場の相手。

「話は、オーナーから伺ってます。それじゃ、君達の自己紹介は、ストレッチが終ってからだ。君達も、各自体を温めてくれ」
「はい!」

 自分の言葉に、元気良く返事が返されて、子供達が目の前でストレッチしている中間達のもとへと移動する。それを見送りながら、満足そうに頷いた。

「これだけ、子供が多くなると、名前を覚えるのも大変ですね」
「そうですね。でも、楽しいですよ」

 綺麗に整列している子供達を見詰めながらの補佐の言葉に、太一は笑みを浮かべながら返事を返す。
 確かに人数が増えて大変と言う事は、事実である。しかし、それ以上に、子供達が楽しそうにサッカーしているその姿に、太一は嬉しそうな笑みを浮かべた。

「……何にしても、選抜を優勝に導いた有名人に教えてもらえる幸運を、彼らは手にした訳ですからね」
「はい?」

 うんうんと、満足そうに頷きながら言われたその言葉に、意味が分からないと首を傾げてしまうのは、仕方ないだろう。

「では、今日の練習メニューの確認なんですが……」
「あっ、えっと……」

 しかし、その真意を問いかけようとした瞬間、今日の予定を聞かれてしまって、そのまま聞き流す状態になる。





「有名人に教えてもらえる幸運なぁ……」

 ポツリと呟いて、ため息をつく。

「一体どう言う意味だ??」

 練習が終って、何時ものように子供達を見送ってから最後にクラブを出て来て、家路を歩きながら、疑問を口にして、首を傾げた。

「大体、有名人って、誰の事だ??」

 分からないと言うように、再度首をかしげながら歩く。

「考え事しながら歩いてると、危ないですよ」
「えっ?」

 腕組して、首をかしげながら歩く自分に、突然声を掛けられて、驚いたように声がした方を振り返った。

「今、お帰りですか?八神監督」

 ニッコリと笑顔で質問されたその言葉に、太一は一瞬考えるそして、ポンッと手を打った。

「確か、松崎だったよな?」
「はい、松崎裕也です。名前、覚えててくださってるんですね!!」

 確認するように名前を呼ばれて、少年が嬉しそうに笑顔を見せる。

「一応、頑張って名前は覚えてるんだけどなぁ……自信は、ねぇよ。まだまだ新米だしな」
「そんな事ありません!!監督が、来てくださってから、俺達、色々と勉強になりました」
「そうか?俺、そんなに教えた事ないけど……」
「いえ、自分達がどうやって動いたらいいのかって言う、適切なアドバイス。本当に勉強になります!!それに、俺達一人一人に合った練習メニュー組んでくださってるの、もう皆気が付いてるんですよ」

 嬉しそうに目を輝かせながら言われたその言葉に、太一はただ曖昧な笑みを返す。
 確かに、個人に合ったメニューを考えている事を否定できない。しかし、そのメニューを考えているのは、自分だけではないのだ。
 それは、クラブに関わっている人たちが、手を貸してくれるからできる事。

「確かに、個人のメニュー組んでるけど、それも、他の人たちが居るからできるんだ。俺一人の力じゃない」
「でも、監督が来て下さったらから、俺達今の練習が出来るんです。今度、試合がある時が、スッゴク楽しみだって、皆言ってるんですよ!!」
「そっか……それじゃ、近い内に、練習試合でも組んでおくよ。でも、あんまり無理はするな」
「はい!」
「いい返事だ。それじゃ、もう遅いから早く帰れ。サッカーだけじゃなくって、学生の本分も頑張れよ」
「勿論です!!親との約束ですから!」

 自分の言葉に元気に返されるそれに、満足気に頷いて、走り去っていくその後姿を見送る。

「で、何時になったら、声、掛けてくれるんだ?」

 そして、その姿が見えなくなってから、そっと自分の後ろへと振り返った。

「……気付いてたのか?」
「ああ、途中から……俺が、ヤマトに気付かない筈、無いだろう?」

 自分に近付いてくるその姿に、嬉しそうに笑みを見せる。

「……その割には、嬉しそうに子供と話してたな……」

 自分に笑みを浮かべて言われたそれに、ボソリと呟かれた言葉は、無視。

「今日は、早かったな。久し振りに、どっか食べに行くか?」
「………遠慮する。俺が作るから、家に戻るぞ」

 小首を傾げての質問に、ゲンナリとした表情で返事を返して、先を急かされる。それに、太一は笑みを浮かべて、言われるままに、歩き出した。

「ところでさぁ、質問なんだけど、俺の入ったクラブって、有名人が居るらしいんだよなぁ。ヤマト、密かに、サッカークラブに入ってるのか?」
「はぁ??」

 歩きながら質問されたその内容に、ヤマトが素っ頓狂な声を上げる。
 勿論、言われた内容は、理解できるが、一体何処からそんな答えが導き出されたのかは、謎。

「今日さぁ、補佐の人から聞いたんだけど、有名人に教えてもらえる幸運って奴、言われたんだけど、有名人なんて、居ないんだけどなぁ……俺が知ってる有名人って、お前くらいだし」

 分からないと言うように言われるその言葉に、ヤマトが呆れたように盛大なため息をつく。
 自分の事には、とことん疎い。今だにその言葉のままに、存在する、自分の一番大切な相手を前に、ヤマトは、知らぬは本人ばかりと、もう一度ため息をついた。


 そして、その事実に、本人が気が付く事は無いであろうと、そう思う気持ちを、そっと胸に仕舞うのだった。