「ヤマトvv」
ニッコリと嬉しそうな笑顔で名前を呼ばれて、ヤマトはただ不思議そうに妻に視線を向ける。
「福引、当たったんだvv」
満面笑顔で差し出されたそれは、温泉2泊3日の旅の目録。
「……当たったって……」
「町内の福引だったんだけど、偶々一回出来るって言われてやったら、大当たりしたって訳」
嬉しそうに言われるそれに、ヤマトはただ呆然とした表情で太一を見詰めた。
「だから、一緒に行こうvv」
ニコニコと嬉しそうに言われたそれは、嬉しい誘いのはずなのに、複雑なモノがある。
「行こうって……休み無……」
「あっ!心配ないぞ。それは、マネージャーさんにお願いして、3日間だけ、休み空けて貰った。最近、まともな休みが無かったヤマト達に、連休だってさ」
ヤマトが言おうとした言葉を遮って、太一が嬉しそうに説明したそれは、全く聞かされていなかった事であった。
確かに、ここ数ヶ月、殆ど休みの無い状態である。
だから、数日間の休みは非常に有難い。
しかも、大好きな相手と温泉旅行出来ると言うのなら、これ以上ないほどの、幸せである。
「俺たち、新婚旅行も行ってなかっただろう?だから、これって、代わりになるじゃんvv」
そして、続けて言われた太一の言葉に、更に嬉しさを噛み締めてしまう。
確かに自分達は、新婚旅行に行っていない。
いや、それだけでなく、結婚式だってまともにしていないのだ。
身内だけのパーティーで終わった自分達の結婚式を思い出して、ヤマトはただ盛大にため息をついた。
「それとも、行きたくないか?」
そのため息をどう勘違いしたのか、太一が心配そうに問い掛けてきたそれに、ヤマトは慌てて首を横に振る。
「そんな事、絶対にあるわけ無いだろう!!太一と一緒だったら、何処だって行くぞ!!」
キッパリとしたヤマトのその言葉に、太一がニッコリと笑顔を見せた。
「んじゃ、日程決めて、ガブとアグは、ヒカリが預かってくれるって言ってたからさvv」
準備は万端とばかりの太一の言葉に、思わず苦笑を零してしまう。
楽しそうにしている太一を前に、偶にはこんなのもいいものだと思ってしまうのは、自分の身が忙しいからかもしれない。
温泉旅行
車で、5時間。
朝も早くから、車での移動。
「ヤマト、本当に大丈夫なのか?」
ずっと運転をしている相手を心配して、何度も交代を申し出たが、全て断られてしまった。
「大丈夫だ。ちゃんと、休憩も入れてるし、久し振りに長距離運転するのは、ストレス解消になってるからな」
心配そうに自分に問い掛けてくる相手に、笑顔を見せて返せば、納得出来ないまでも、口を閉じる。
そんな太一に、ヤマトはそっとため息を付いた。
夫としてのプライド。
妻に、車の運転をさせるのは、絶対に嫌なのだ。
「太一、地図の確認、頼むぞ」
「おう、任しとけって!」
だから、運転よりもナビに専念してもらいたくって、そう言えば元気良く返事が返された。
それに、笑みを零して、運転に集中する。
「……なんか、コンサートだよな……」
しかし、ポツリと呟かれたそれに、ヤマトは不思議そうな表情を浮かべて、一瞬太一へと視線を向ければ、楽しそうに笑っている姿が目に入る。
「太一?」
「だって、ヤマト、さっきから気持ちよさそうに歌ってるから、カーステいらねぇもん」
笑いながら言われたそれに、今まで自分が歌を歌っていたと言う事を指摘されて、ヤマトは複雑な表情を浮かべてしまう。
自覚が無かっただけに、そんな風に言われると恥ずかしくなる。
「俺だけが独占するの、悪いとは思うけど、やっぱり、夫婦の特権って奴だよなvv」
だが、嬉しそうに言われる言葉に、笑みを零す。
自分の歌が好きだと言ってくれるから、だから歌えるのだ。
何時だって、自分はこの人の為に歌っているのだと断言できる。
「俺も、太一に聞いてもらえるのが、一番だな……俺の歌は、太一の為にある訳だし、聞く権利が一番なのは、やっぱり太一だな」
「……だから、そう言う恥ずかしくなるような事、さらりと言うなって……」
自分の気持ちを正直に伝えれば、恥ずかしそうに太一が窓の外へと顔を向けた。
少しだけ見えた顔は、確かに赤くなっているのが確認できる。
「……そんなに、恥ずかしいのか?」
「…に、決まってるだろう!何時も何時も、結婚してまで、俺の事くどいてどうすんだよ」
恥ずかしい事を言っていると言う自覚が無い訳ではないが、自分にとっては本心なので、恥ずかしいと感じる事がない。
だからこそ、そんな風に言われると、困ってしまう。
「……結婚していても、俺には太一だけだからなぁ……」
「…だから、それが、気障なんだよ、バカ……」
好きな人を口説きたいと思うのは、自然な行動である。
それが、本当に失いたくない人なら、尚更で……。
「そうだな……けど、俺の言葉で口説けるんなら、安いもんだろう?」
「……もう、いい……お前に言った俺が、バカだったみたいだし……」
堂堂巡りな会話に、太一が盛大なため息をついて終止符を打つ。
誰もいないと言っても、恥ずかしいものは恥ずかしいのである。
しかも、相手には、そんな感情が無いだけに、自分一人が疲れてしまうのは、遠慮したい。
「あっ!そこ右な……ここ曲がれば、旅館見えてくると思うけど……」
そして、道のナビをする事で、完全にその話から離れる。
長い時間の最後の話が、どうしてこんなに疲れる会話になってしまったのかを思い出して、太一は再度ため息をついた。
「旅館って、あれか?」
そして、車が自分の指示通り右折した瞬間、ヤマトが前方を見ながら質問をしてくる。
それに、太一も確認するように前を見た。
「多分、あれだと思う……へぇ、思ってたより、綺麗だな」
道の真中にある純和風な作りの大きなその建物には、確かに自分達が泊まる予定になっている旅館名が書かれている。
車を駐車場に停めて、二人が同時に車から下りた。
「……福引って、バカに出来ないんだなぁ……」
車から降りて、旅館を見上げながら、感心したように呟かれたそれに、思わずヤマトが苦笑を零す。
最も、福引の景品となっているのは、この旅館の宿泊券のみで、ここに来るまでの旅費などは含まれていない。
「ほら、ここでボーっとしてても仕方にから、行くぞ」
ボンヤリと旅館を見詰めている太一に、荷物を車から取り出したヤマトが促すように歩き出す。
それに、太一も慌ててその後を追った。
「いらっしゃいませ!」
音を立てて自動ドアが開いた瞬間、着物姿の女性が、挨拶をしてくる。
「ご予約の方ですか?」
「はい、予約してた、石田です」
持っていた荷物を預けながら、ヤマトがフロントで話をしているのを、太一は少し離れた場所で見守ってしまう。
「遠いところ、お疲れ様でした。何も無いところですけど、ゆっくりしていってくださいね」
ボンヤリとヤマトを見詰めていたところに、人の良さそうな笑顔を見せた女性が声を掛けて来る。
それに、愛想笑いを返しながら、太一もぺこりと頭を下げた。
「この旅館のお勧めは、一部屋一部屋に、露天風呂がついてるんですよ。まずは、お部屋で休んでから、楽しんでくださいね」
「えっ?一部屋づつに露天風呂があるんですか??」
「はい、昨年改装しまして、そう言う作りにしたんですよ。お客様にも好評でして、勿論、大浴場もありますので、お好きな方で、楽しんでいただけるようになっております」
旅館の説明をしてくれる女性に、太一はただ頷くだけで返事を返す。
まさか、一部屋一部屋に露天風呂がついているとは思っていなかったので、正直驚かされてしまう。
「太一!」
感心している中、用事を済ませたヤマトが自分の所へと戻ってくる。
「では、私、谷元が、ご案内させていただきますね」
ヤマトが戻ってきた瞬間、今まで話をしていた女性が自分達の荷物を持つと、ぺこりと頭を下げて歩き出す。
それで、漸く自分に声を掛けた理由を納得して、太一はヤマトとそろって、その女性の後に続いた。
「こちらがお客さまのお部屋になります」
ポケットから鍵を取り出して、ドアを開いて中へと案内される。
畳の作りになっているそこは、入ったとたん目の前に海が広がって見える造りをしていた。
従業員の女性が、色々と注意や説明をするのを聞いてから、落ち着いたように腰を降ろす。
「お茶飲むか?」
「頼む……」
置かれてあるポットから、お茶を入れる準備をして、太一は湯飲みにお茶を入れると、すっとヤマトに差し出した。
「長時間の運転、お疲れ様」
「ああ……隣で座ってるだけってのも、疲れただろう?」
ニッコリと差し出されたそれを受け取りながら、心配そうに尋ねてくるヤマトに、太一はただ笑顔を見せる。
「先に、風呂入るか?」
先程の説明に、部屋に露天風呂がついているという事で、さり気なく問い掛けるヤマトに、太一が一瞬複雑な表情を向ける。
しかし、それは直ぐに、苦笑によって消えてしまう。
「……長時間の運転後、最低でも30分は時間置かないといけないんだぞ」
「えっ?そうなのか??」
「疲れすぎてる体で、温泉に入るのは、逆に体に悪いんだって、はな○で言ってた」
お茶を口にしながら、説明をする太一に、ヤマトはただ苦笑を零す。
奥様向けの番組を見るようになったのは、自分と結婚してからなのだろうと思うと、嬉しさがこみ上げてしまう。
すっかり主婦と化している奥様を見るのは、はっきり言って幸せである。
「何笑ってんだよ……」
「別に、ただ、本当にいい奥さんだなぁって思ってただけだぞ」
嬉しそうに笑っているヤマトを前に、不機嫌そうな表情を見せれば、ニコニコと笑顔で言葉が返されてしまう。
「ば〜か!」
少し照れたように呟けば、そっと甘いキス一つ。
「バカでもいいさ、太一と一緒ならなvv」
「……大バカ…」
嬉しそうに笑うヤマトに、悪態をつけば、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
久し振りに過ごす、のんびりとした時間。
そして、結婚して初めての二人だけの旅行。
「太一に感謝しないとだな……」
「なんだよ、急に……」
のんびりと時間を過ごす中、突然呟かれたそれに、意味が分からないというような表情で太一がヤマトを見る。
「新婚旅行に来れたのは、太一のお陰って事だな」
「……それなら、俺の運の良さに感謝しなきゃいけないよな……一回の福引で当たるなんて、思ってなかったし……」
「確かに、強運だな……でも、そのお陰で、こうして太一と幸せな時間持てる訳だ。しかも、3連休付きで」
用意周到な奥様に感謝感激モノ。しっかりとマネージャーと話をして、休みまで取っているのだから……。
「事務所の社長さんが、いい人で本当に良かったよなvv」
そして、ニコニコと言われたその言葉に、一瞬言われた事の意味が分からずに、ヤマトは驚いて太一に視線を向ける。
「しゃ、社長と話したのか?!」
「ああ、久し振りに話したけど、本当にいい人だよな、あの人vv」
嬉しそうに言われる言葉に、何も言い返せない。
この業界で、自分達の所属している事務所の社長は、切れ者で通っているのだ。
嬉しそうに『いい人』と言い切れるような人物では、全くないのである。
「今度、一緒に食事に行こうって、言われてるんだvvやっぱり、お礼に行かないと不味いかなぁ?…って、ヤマト??」
電話で話をした内容を嬉しそうに口にしていた太一は、自分の言葉に何も反応を返さないヤマトに心配そうに声を掛けた。
「……食事に誘われたのか!!」
「えっ?ああ……それが何かあるのか??」
自分の言葉に驚いている相手に、意味が分からないと言うような表情を向ければ、複雑な表情が返されてしまう。
「絶対に、駄目だからな、太一!」
「えっ?何でだよ……社長さんのお陰で、今回の休み取れたのに……」
「いいんだよ、そんな事!絶対に、断るんだ!!」
「わ、分かった……」
断る事の出来ない雰囲気に、太一が素直に頷いて返す。
何がそんなに問題なのか分からないが、ヤマトはそれほど必死なのである。
「まぁ、いいか……ヤマトとこうしてここに来れたんだし……」
複雑な表情を浮かべているヤマトを横目に、太一はただお茶を口に運ぶ。
折角出来た時間を楽しく過ごす為に、今は、分からない事は深く追求したくはない。
しかも、それが、ヤマトを不機嫌にすると分かっているような事なら、尚更である。
「折角ここまで来たんだから、楽しまなきゃ損だよな」
2泊3日の楽しい旅行。
自分達にとっては、新婚旅行。
二人だけの楽しい旅行を、苦く悲しいものにはしたくは無いから……。
だからこそ、今は、楽しまなきゃ損である。
まだまだ時間は、始まったばっかり。
折角の温泉旅行。沢山お風呂にも入って、美味しいもの食べなきゃ勿体無い。
楽しい時間は、これからなのだから……。
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