今日、ここから卒業する。
見上げる校舎。
もうここで学ぶ事は二度と無いだろう。
殆どの者が、お台場小学校からお台場中学校に上がる事が決まっているから、寂しいとは思わない。
それでも、今この瞬間に、自分がこの学校を後にするのだと言う事を胸に、ただ校舎を見詰める。
― 卒業 ―
「太一先輩!」
突然大きな声で名前を呼ばれて、はっとしたように意識を取り戻す。
ボンヤリとしていたのは本当だが、それは今までの事を思い出していたから……。
「大輔、それに、お前達……」
サッカー部の後輩達、その中で、先頭にいる人物は、自分の妹と同じ年で名前は、本宮大輔。その人物が、今にも泣き出しそうな顔で自分を見つめてくるのに、太一は思わず苦笑を零した。
「何で、お前が泣くんだよ……」
呆れたように呟いて、ハンカチをポケットから取り出して、自分の目の前に来た瞬間流れ出してしまった涙に呆れたようにそれを差し出す。
「だって、先輩がここから居なくなるなんて……」
「何言ってるんだよ?練習見に来るから、サボってんじゃねぇぞ、大輔」
自分のハンカチを受け取ってから、本当に泣き出してしまったその頭を優しく撫でて、太一は全員の顔を見回した。
全員の目に涙が溜まっている状態に、思わず苦笑を零してしまう。
「それとも、しごかれるの分ってるから、遠慮したいか?」
だから、少しだけからかうように、言葉を続ける。
「そんな事無いです!絶対に来てください、俺達、待ってますから!!」
自分のからかうようなそれに、慌てて大輔が言葉を返してくるのに、太一は満足そうな笑顔を見せてその頭を優しく叩く。
「卒業したからって、俺は変わらねぇよ……」
何時もの笑顔を見せながら呟いたそれは、まるで自分に言い聞かせるようなに口から出される。
それに、後輩達が嬉しそうな表情を見せた。憧れの先輩だからこそ、卒業してしまって、遠くに行ってしまうのが嫌だったのだ。だからこそ、その言葉を自分達にとっては、一番欲しかった言葉と言える。
漸く後輩達の表情に笑顔が戻った事に、太一はほっと息を吐き出すと、もう一度校舎へと視線を向けた。
この風景を、目に焼き付けるかのように……。
「太一」
だが、そんな自分に聞き慣れた声が聞こえて、太一は声のした方へその視線を移した。勿論、相手は確認しなくっても分かっている。
視線を向けた瞬間、自分にとって大切な仲間と呼べる人達が立っているのを見つけて、太一は嬉しそうな笑顔を見せた。
「太一さん」
あの冒険で、自分の事を信じてくれた。そして、何よりも自分の道を示してくれた一つ下の少年。
「太一さん」
正直で優しい心の持ち主。少しだけ我侭なのに、それも可愛いと思える少女。
「お兄ちゃん」
自分のたった一人の大切な妹。自分が守らなければいけないと、本気で思えるそんな存在。
「太一!」
幼馴染の少女で、優しくって面倒見が良く、何時だって自分の事を理解してくれる人。
「太一」
そして、初めは、喧嘩ばっかりしていたのに、今では親友と呼べる唯一の存在。
自分の名前を呼んで、手を振っている人達に、太一も同じように手を振り返す。そして、すぐ傍に居る後輩達を振り返った。
「悪い、それじゃ、練習頑張れよ」
ぽんっと近くに居た後輩の頭に手を置くと、にっこりと笑顔を見せてその場を離れる。残念そうに自分を見詰めている後輩達に、もう一度笑顔を見せて、手を振った。
「じゃあ、またな!」
また会う約束をして、そのまま大切な仲間の元に急ぐ。
あの夏休みに手に入れた、大切な仲間。誰か一人でも欠けるなんて考えられない、大切で唯一の存在。
それは、自分が小学生ではなくなった今でも、何も変わらない。
「探したんだぜ」
「悪い……」
苦笑を浮かべながら、差し出される手をしっかりと握り返す。そして、ここを一緒に卒業する人物二人に笑顔を見せて、太一はもう一度校舎を振り返った。
「……終わったね…」
同じように校舎を見詰めて、ポツリと呟かれたそれ。きっと、自分が感じている事を、一緒に卒業する二人も感じているのだと分かる。
「…ああ……」
「一番、長く居た場所だからな……」
呟きに返事を返せば、隣から少しだけ寂しそうな声が返された。
「…丈も、卒業する時、こんな気分だったんだろうな……」
寂しいような、それでいて嬉しい気持ち。
ここを離れて、新しい世界にまた一歩進んでいく、期待と不安。
「卒業、おめでとうございます」
「おめでとう、太一さん、空さん、ヤマトさん」
ボンヤリと校舎を見詰めている3人の卒業生に、後輩でもある2人が少しだけ寂しそうに挨拶の言葉を呟く。
「サンキュー…何か、まだ実感ねぇんだけど……」
「卒業式は終わったのにねぇ……」
「まぁ、確かに、変な気分ではあるな……」
祝いの言葉を、今日は何度も聞いた。しかし、こうして改まって言われても、複雑な気分なのだ。
苦笑を零しながら、照れたようにお互いの顔を見合わせる太一達に、残りの者達は笑みを零す。
「今日は、丈さんとタケルくんも来るって言ってたから、あの場所に行くんだよね」
そして、ヒカリの嬉しそうなその言葉に、全員が顔を見合わせて、大きく頷いた。
久し振りに集まる事になって、嬉しい気持ちは本当だから……。
「皆さんの為に、ボク達がお祝いを用意してますから、楽しみにしててくださいね」
ニッコリと笑顔で言われたそれに、卒業生組みは、苦笑を零す。
「別に気にしなくっていいのよ……」
「そうだぜ、久し振りに集まるんだから、お祝いなんて、必要ないだろう?」
「いいのよ、卒業するって事が、お祝いなんだもの。ちゃんと貰ってくれないと、私たちが困るんだから」
困ったように口を開く太一達に、ミミがウインク付きの笑みを見せる。
「……卒業ってもなぁ……」
別段、小学校を卒業するのに大変な事は無い。
しかも、これから卒業して3人同じ中学校に通うのだ。何も、変わる事は無い筈である。
「…気持ちだけで十分だ…俺たちが、変わった訳じゃないからな…」
苦笑を零しながら、ヤマトが荷物を肩に掛け直す。
「いいんですよ、ボク達がしたいからするんです。それに、丈さんの時にやろうと言い出したのは、太一さん、貴方ですよ」
「そうよ、丈先輩が、皆が卒業する時にも、絶対にするんだって、張り切ってたんだから」
力を込めて言われたそれに、太一が罰悪そうな表情を見せた。確かに、丈が卒業する時に、その計画を出したのは、間違いなく自分なのである。
「……分った。サンキューな……だけど、来年覚えてろよ!」
「……太一さん、それって、何か違いますよ……」
太一の言葉に、どっと笑いが起きる。
皆で笑い合ってから、その笑いが収まった時、何度も振り返っている校舎にもう一度全員が視線を向けた。
一瞬の沈黙。
誰も何も言えずに、ただ校舎を見詰める。
卒業する3人は、既に懐かしいとも思える気持ちで校舎を見詰め、まだここに残るもの達は、複雑な表情でそれを見詰めた。
そして、誰もが動けないで居る中、突然全てを振り切るように太一がその視線を校舎から、逸らすように踵を返す。
「……卒業って言っても、俺たちが変わる訳じゃねぇんだから、な」
一歩歩き出したその姿が、まだ動けないで居る者達を振り返って嬉しそうな笑顔を見せる。
突然の行動とその笑顔に、そこに居た全員が、思わず苦笑を零した。
確かに、太一が言うように、ここを離れるからと言って、自分達が変わる訳ではない。嫌、変わるかもしれないが、それは自分達がまた新しい自分に成長できる印なのだ。
「……本当、その通りなのよねぇ……」
不安だからと立ち止まらない、その強さ。
何時だって自分達を前に進ませてくれる彼の言葉。
「確かにな……」
卒業する事が、寂しいと思うけれど、それは確かに明日へと繋がって行く旅立ち。
そして、ここを離れると言うことが、その旅立ちへの第一歩に繋がるのだ。
ここは、自分達にとって、一番長く居た場所。
色々あった思い出と共に、今この場所から前に進んでいく。
「サンキュー!」
校門で、最後にもう一度振り返って手を上げる。
この場所からの卒業。それは、確かに自分達にとって、必要で大切な行事の一つ。
この場所を出た時から、また新しい道が出来始めるのだから……。

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