日本には、沢山の行事がある。
 今日と言う日も、一年に一度の行事。
 甘い甘いお菓子と共に、自分の気持ちを好きな人に伝える為の日。
 始めは、お菓子会社の陰謀だったはずのこの行事も、今ではすっかり定着されてしまっている。
 2月14日、バレンタインデー。
 この日、日本では、甘い気持ちを込めて、相手にチョコレートを贈るのだ。


 今更告白と言う間柄ではないが、好きな人にチョコレートを渡したいと思うのは、大切な気持ちだと思っている。
 そして、それは結婚してまだ一年も過ぎていない自分にとっても、代わらない変わらないものなのだ。

「……チョコレートは用意したんだけど、あいつ、今日帰ってこれるのか?」

 別段チョコレートを渡すのに抵抗があるわけではない。それどころか、毎年の行事になっているので、当たり前として認識されている。
 だが、今年の心配は、そんな事ではなくって、その渡す相手が不在であると言う事にあるのだ。
 まぁ、バレンタインライブとはよく言ったもので、朝から家に居ない人物の事を思って、太一は盛大なため息をついた。

「……確か、もう時間的には終わってるはずだよなぁ……」

 時計で時間を確認してから、太一は目の前に用意されているチョコレートケーキに視線を向ける。今日の朝から、妹のヒカリに習って作ったそれは、初めて作ったとは思えないくらいの出来栄えだった。
 頑張って作ったそれを、やっぱりその日に相手に食べてもらいたいと思うのは、自分の我がままなのだろうか?

「……人気があるのは、正直喜んだ方がいいんだと思うんだけど……」

 疲れたようにため息と付いて、リビングの隅に置かれているダンボール箱に視線を向けた。
 何処で調べるのか分からないが、直接送られてきたそのチョコレートの数に、太一の気持ちは、複雑である。

「……本当、こう言うのは、事務所に贈れよなぁ……」

 ダンボール3箱分のそれらを、どうするべきなのか、考えるだけで頭が痛くなってしまう。
 家の方に直接贈られてくるそれらがあると言う事は、太一だって知っていた。だが、まさかこんなに数が多いとは思っていなかったのだ。
 しかも、当たり前の事だが、家の方の住所など公表されていないのだ。

「……家にこれだけって事は、事務所の方には、もっとあるって事だよなぁ……」

 ポツリと呟いて、もう一度ため息。
 人気のあるアーティストが、プレゼントを貰うのは当然の事である。いや、貰えないと言うのは、人気がないと言う事なのだ。だから、正直喜んでいいものなのだが、正直いって素直に喜べないものがある。
 勿論、そんな人物と一緒になったのだから、覚悟しておかなければいけない事なのだ。だが、頭では分かっていても、やはりなぜか納得出来ないのは、仕方ないだろう。

「俺、心狭いよなぁ……」

 自分が考えたそれに、太一は反省するように盛大なため息をついた。
 勿論、今まで何度もそう言う気持ちは持って来たという事は認めている。だけど、それは、本当に相手が好きだから、思うことなのだと、一番大切な人が教えてくれた。だから、納得できない事ではあるのだが、ちゃんと仕方ない事だと諦めているのだ。

「……帰って来ないなんて事、ないよな……絶対…今日くらいは、素直になるって、決めたんだし……」

 気合を入れるようにガッツポーズを作った瞬間、賑やかともいえるくらいに電話の呼び出し音が鳴り響く。

「げっ!」

 今、自分が言った事を応援するように鳴り出したそれに、太一は慌てて受話器を取った。

「もしもし!」
『太一か?』

 電話の向こうから聞こえて来たその声に、太一の表情がぱっと笑顔を作る。

「ヤマト!」
『悪い、今日中には帰れそうにない……』
「えっ?」

 嬉しそうに名前を呼んだ瞬間言われたそれに、笑顔が一瞬で消えてしまう。

『雪の為に、交通機関が混乱してるんだ……だから……』
「うん、仕方ないよ……気を付けて帰ってこいよ……ああ、俺は、先に寝てるから・……」

 事務的な会話を交わして、ゆっくりと受話器を戻す。
 今まで一生懸命考えていた事は、一瞬で砕かれてしまった。

「……仕方ないよな…雪、のせいなんだから……」

 自分に言い聞かせるように呟いて、太一は近くにあった椅子に座る。こんな事は何度もあったと、自分に言い聞かせながら、盛大なため息を付いてしまうのは止められない。

「……もう、寝よう……」

 疲れたように、重い体を引きずるようにしながら寝室に移動する。
 そして、そのまま何も考えないように瞳を閉じた。




 何かの物音が聞こえて、太一は夢の中から意識を取り戻す。
 そっと近くに置いてある時計に視線を向ければ、まだ12時前である事に気が付いて、太一はゆっくりと体を起した。
 そして、何気に辺りを見回してみる。だが、自分の探している人物が見当たらない事に、そっと息を吐き出してしまう。

「……帰れないって、言ってたんだから、居る訳ないよなぁ……」

 呟いて苦笑を零す。もしかしてと、思ったのは、正直な気持ちだから……。

「そう言えば、さっき物音が……」

 自分が目を覚ました原因を思い出して、太一は近くに置いてあった上着を着ると、寝室を後にする。
 どうしても、期待してしまうのは止められない。例え、それが違うと分かっていても、願わずにはいられないのだ。
 そして、ヤマトが帰ってきたときの為にと言う配慮から、ほのかな明かりを照らし出しているキッチンのドアに手をかける。
 少しの期待を込めて、ゆっくりとドアを開いた。
 ドアを開いた瞬間、見慣れた後姿を見つけて、驚いて呆然としてしまう。期待通りに相手がそこに居るのに、どう言う反応を返せば良いのか分からない。

「ヤ、ヤマト……」

 驚いた視線を向けながら、ポツリとその名前を呼べば、相手が気付いて振り返る。

「……ただいま、太一vv」
「お、お帰りって、何してんだよ!」

 ニッコリと笑顔で言われたそれに、太一はヤマトが何をしていたのかに気がついて、思わず声を上げてしまう。

「何って、俺に用意してくれてたんだろう?」

 嬉しそうな笑顔と共に、残っていたケーキを口に入れる。

「って、お前全部食べたのか?」

 最後の一切れだったそれを満足そうな表情で口に入れたヤマトに、太一は綺麗にケーキがなくなっていることに呆れたように問い掛けた。

「当たり前だろう。太一が俺に用意してくれたんだからな。ちゃんと今日中に食べたかったんだ」
「って、お前、どうやって帰ってきたんだよ?!」

 まだ外は雪が降っている状態である。どう考えても交通機関が正常に動いているとは考え難いだろう。

「歩いてに決まってるだろう」

 そして、キッパリと言われたそれに、太一は頭を抱え込んだ。

「お前は!人気バンドのボーカルだって自覚あるのか?!そんな事で風邪ひいたらどうするつもりだよ!!」

 呆れたように大声で言ってから、太一は慌ててヤマトに近付くとその頬にそっと手を伸ばす。まだ、冷たいそれに、思わず眉間に皺が寄ってしまうのは、仕方ないだろう。

「ばか…チョコなんて、明日食っても一緒だろう・……」

 ポツリと呟かれたそれと同時に、太一は泣き出しそうな表情のまま笑顔を見せた。

「一緒じゃないさ。俺にとっては、約束はちゃんと守りたかったんだ」
「約束?」
「そう、言っただろう。太一が俺に居てもらいたいって思ってる時は、絶対に傍に居てやるって……だから、だよ」

 優しい笑顔と共に言われたそれに、太一は驚いたようにヤマトを見詰める。まるで自分の心がわかっているといわんばかりのそれに、太一は笑みを零した。

「なら、俺もちゃんと約束守る……大事な時くらいは、素直になるって……ヤマト…好きだから……」

 少しだけ照れたような表情を見せながら言われたそれに、ヤマトはこれ以上ないほどの優しい笑顔を見せた。

「ああ……」

 優しい笑顔で頷かれて、太一もニッコリと笑顔を返す。
 そして、それと同時に時計の針が12時を回ったのを確認して、二人はお互いに笑みを零した。


 たまには、素直になるのもいいものかもしれないね。