今日の約束、楽しみにしていたのに………。
『仕事で、1時間遅れる』と言うメールが届いて、その気持ちを遠去ける。
別に、駄目になった訳じゃない。
仕事だから、仕方ないって言うのも、ちゃんと分かっている。
だけど、楽しみにしていたのだ、本当に。
久し振りに、二人で待ち合わせしての、デートだったのだから、力が抜けたって状態。
結婚していている自分達が、デートって言うのはちょっと違うかもしれないけど、あいつは忙しいヤツだから、普通の家庭のように、結婚したからって、ずっと一緒に居られる訳じゃない。
そんな訳だから、一緒に出かけられる時間なんて、本当に久し振りだったから、自分で考えていたよりも、ずっとずっと、楽しみにしていたのだと言う事に、今更ながらに気が付かされた。
「……後、一時間も、待たなきゃいけないのかよ……」
嬉しくって、約束の時間よりもずっと早く来ていた事が、悔やまれる。
こんな事、あいつに言うのは恥かしいから絶対に言わないけど、そのお陰で、この時間少し前に送られてきたメールは、俺を脱力させてしまったのだ。
「………雨の中、後一時間は、辛いよなぁ………喫茶にでも入るか……でもなぁ」
もし、少しでも仕事が早く終って、あいつが来たら時、その場に居られないのは、絶対に嫌だ。もっとも、あいつが居たら、『なんで、喫茶で待っていないんだ』って言うんだろうけど……。
メールを送ってきた相手の事を考えて、思わず苦笑を零す。
楽しみにしていた気持ちを邪魔したメール。だから、少しぐらい、報復しても、許されるだろう。
「よしっと」
思い付いて、手にしていた携帯からメールを送信。
「喫茶にでも、行くか」
良く行く喫茶店が、この近くにある。
ヤマトとも何度か来ているから、迷う事は無いだろう。
楽しみは、先延ばし。
うん、遅れてくるだけで、駄目になった訳じゃないのだから……。
追い込み作業におわれて、待ち合わせの時間には、どうしても間に合いそうになく、仕方無しにメールを送った。
本当に楽しみで、久し振りのデートだって言うのに、こんな事をしなきゃいけないのが、悔しくなる。
「ヤマト、これチェックしてくれ」
そう言って渡された譜面を、不機嫌そのままに受け取った。
「………悪かった。俺の所為で、約束の時間に間に合わかった事は、謝る。だから、頼むから、睨むのは止めてくれ」
不機嫌そのままに、ここに留まらなければならなくなった原因のメンバーを睨みつければ、慌てたように謝罪の言葉を、告げられる。
俺が睨むと、かなり迫力があるのだと言う事は、昔から何度か聞いているので、自覚はあるのだが、どうしても睨まずには居られない。折角の時間を、こんな事で潰されたのが、それくらいは、許されるだろう。
「ヤマト、携帯鳴っているぞ」
ぼんやりと考え事をしている中、声を掛けられて振り返る。言われて聞けば、確かに俺の携帯の着信音。あの音は、メールだな。
鞄から、携帯を取り出して、相手を確認すれば、俺が待たせているであろう相手から……。
「奥さんか?」
サッと、俺の顔色が変わった事に、周りの奴が気付いて声を掛けてくる。
奥さんって言う言葉は、聞き慣れないけど、言われて、悪い気はしないな。
「……げっ!」
満更でもない気持ちのままメールを開けば、思わずそんな声が出てしまう。
「どうした?」
「今何時だ!」
思わず携帯を持ったまま、時間の確認。いや、携帯で、時間分かるのに、動揺しているな、俺……。
「ああ、あれから40分は過ぎているな」
40分?!慌てて、携帯の時間を確認。
一時間遅れると言った約束の時間まで、後20分もない。
太一からの送信時間は、俺が送った時間から、10分も空いていないと言うのに、何でこんな時間に……。携帯のメールは、時々タイムラグを引き起こすのは分かっているつもりだが、こんな時に起きるなんて、役立たずだと思わずには居られない。
「大体の作業は、終ったんだよな!俺は、帰るぞ」
「えっ?ヤマト、確認作業……」
「んなもん、後だ!」
「おい!」
呼び止める声も無視して、自分の荷物を掴むとスタジオを後にする。
「………さすが、奥さん一筋……」
そんな言葉が、俺の居なくなった場所で呟かれていたとしても、関係ない。
『バーカ………
約束の時間より、1分でも遅れてみろ、今日の予定は、チャラだからな。
……何時もの、喫茶店で待っている、遅れるなよ。 太一』
兎に角、待ち合わせの場所へと急ぐ。
太一から送られてきたメールで、場所が変わったのはちゃんと確認した。場所が変わっても、それは俺が悪いので、何の文句もない。
それどころか、雨の中、太一を外で待たせると思うよりも、ずっと安心できる。
ただ、その場所が、自分が居たスタジオから、元の待ち合わせ場所よりも、少し離れていると言う事が、問題なのだ。
「と、兎に角、急げ!!」
「いらっしゃいませ」
カランという鈴の乾いた音と共に、ドアが開いて待ち人が飛び込んでくる。
その姿は、走って来たと言うのが、一瞬でわかるような姿で、俺は思わず苦笑を零す。
殆ど全身ずぶ濡れ状態で、本当に、傘をさしていたのかさえも、疑わしい。
「ま、待たせた、悪い……」
店内を一瞬っだけ見回してから、直ぐに俺を見つけて歩いてくるその姿を見詰めながら、笑みを浮かべる。
鬱陶しそうに濡れた髪を無造作に拭う姿に、俺は、笑みを隠して、少しだけ怒ったような表情を作った。
「遅い。今、約束の時間過ぎちまったぞ。ちょっとでも遅れたら、チャラって書いといただろう……はい」
鞄から、タオルを取り出して、差し出す。
本当は、怒ってなんていないのに、怒ったような顔をしている俺に、申し訳なさそうに、差し出されたタオルを受け取って、もう一度謝罪の言葉。
「……その、メールがタイムラグ起こして……見てから、直ぐにスタジオを出てきたんだけどな……」
受け取ったタオルで、顔や髪を拭きながら、ヤマトが俺の前の席に座る。
「ありゃ、タイムラグ起こしていたのか?そりゃ、悪い事しちまったな。でも、間に合ったんだから、いいか」
すまなさそうに俺を見詰めてくる瞳を前に、俺はニッコリと笑顔を見せた。
ちょっとした意地悪だったのに、こうして自分のために走ってきてくれた事が、嬉しい。
「チャラには、したくなかったからな」
真剣な顔で言われた事に、俺は思わず苦笑を零す。
「……冗談だったんだけど………」
「えっ?」
ちょっとした報復だったんだけどなぁ・……。本気で、チャラにするつもりは無かったのに……。
ポツリと呟いた、俺の言葉に、ヤマトが驚いたような声を上げる。
「まぁ、えっと、アイスコーヒーでいいんだよな?頼んでおいたぞ」
「お待たせいたしました。アイスコーヒーをお持ちいたしました」
それに慌てて、話を誤魔化した俺の耳に、タイミング良く、アイスコーヒーが運ばれて来た事が伝えられた。
「ああ、有難う……」
礼を言って、ヤマトがそれを受け取る。ついでのように置かれていったのは、水とお手拭。
「何にしてもだ、仕事は終ったんだろう?」
「…………まだ…….」
運ばれて来たお手拭で、手を拭いているヤマトに、駄目押しとばかりに、話を振る。
しかし、戻ってきたのは、暫くの沈黙と、言い難そうに呟かれた言葉。
って、『まだ』って、なんだ?!
終ってないって事なのか?俺、メンバーに迷惑掛けたんじゃ………。
「まだって、まだって、事だよな?」
「ああ、後は、確認作業だけだったんだけど………俺にとっては、太一の方が……」
慌てている俺に、落ち着いた口調で語られるそれは、どう聞いても、問題だろう。
「ああって、違うだろう!どうすんだよ!今から戻るぞ!!」
「戻らなくってもいい。俺のする事は終っている」
「終ってないから、遅れてきたんだろうが!!いいか、俺も一緒に戻ってやるから、最後まで責任もって、仕事終らせろ!じゃないと、暫く口聞かねぇからな!」
「………分かった」
しぶしぶ頷くヤマトに、とりあえずコーヒーを飲んでから戻ると言う話で納得させる。
そして、30分もしない間に、そのままスタジオへと戻ることになった。
全く、何を考えてるんだよ、こいつは!!!
折角の約束だったのにも関わらず、その日は、ヤマトに付き合って、何も出来なかった。
まぁ、久し振りに生で、ヤマトの演奏と歌を聞く事が出来たから、良しとして置こう。もっとも、そんな事、あいつには話してやらないけど……。
それから暫く、不機嫌なフリをする事で、しっかりとヤマトに反省させる事に成功したようだ。
もっとも、あんなメール送った、俺も悪いんだけどな。