「ヤマトのバカヤロー!」
その一言と共に、鞄が投げつけられる。それをぶつけられて、ヤマトは、走り去ってしまった太一の後姿を見送るしか出来なかった。
投げつけられた鞄の中に、辞書が入ってなかった事を、良かったと思いながらも、相手を怒らせてしまった事に対して、思わず盛大なため息をついてしまうのは、止められない。
相手が怒った理由がわかるだけに、そのため息は重いのである。
仕方が無かったと言うのは、ただの言い訳でしかないであろう。
何が悲しくって、終業式の日に恋人を怒らせなくてはいけないのだろうか?しかも、今日はクリスマス・イヴである。
「……どうするかなぁ……」
盛大なため息をもう一度つくと、投げつけられた鞄を拾い上げて、埃を払う。
せっかく今日は、ウチに招待して、二人だけの時間を過ごそうと考えていたヤマトは、ずきずきと痛む頭を抱え込んだ。
「…本当に頭痛いよなぁ……」
再度ため息をついて、ゆっくりとした足取りで歩き出す。
あの調子だと、いくら電話を掛けても太一が出てくれないだろうと考えて、さらに重いため息をつく。
折角準備していた、今日の料理も台無しになりそうだ。
「……何か、本当にクラクラしてきた……」
落ち込んできた気分と一緒に、ヤマトは気分まで悪くなってきたことに、再度頭を抱えるように、家路を急ぐのだった。
「ヤマトのバカ!あんなヤツ、もう関係ない!絶対に、許してやらないんだからな」
ブツブツと文句をいいながら、太一はズンズンと道を歩いていた。
何度罵倒しても気持ちが落ち着いてこない。
それだけ自分が、腹を立てている事に、太一はそっとため息をついた。
本当は分かっているのだ、アレがどうしようもなかったんだと言う事を……それでも、頭では分かっていても、気持ちがついて行かない。
複雑な表情を浮かべながら、太一は再度ため息をついた。
折角のクリスマスなのに、思いっきりヤマトに鞄をぶつけた上に、『バカヤロー』の言葉まで残してきてしまった自分がいる。
予定では、今晩ヤマトの家に泊まりに言って、二人だけのクリスマスを過ごす事になっていたはずなのだ。
泊まりに行くにあたって、ヒカリを説得するのに時間が掛かったことを思い出して、太一は思わず苦笑を零した。
そんな苦労してまで、楽しみにしていたのに、何が悲しくって喧嘩をしなくってはいけないのだろうか?
「お兄ちゃん!」
盛大なため息をついた瞬間、後ろから嬉しそうな声が聞こえて、太一はゆっくりと振り返る。
勿論、声の主は確かめるまでも無い。
「ヒカリ…それに、タケルと大輔も一緒なのか?」
「お久しぶりです、太一さん」
「先輩、元気ないみたいですけど、大丈夫なんですか?」
にっこりと自分に挨拶してくるタケルに苦笑を零せば、大輔が心配そうに自分の顔を覗き込んでくるのに、太一は再度苦笑を零す。
そして、慌てて首を横に振った。
「んな事無いだろう!大輔、お前の気の所為だて!!」
慌てて笑顔を見せれば、タケルと大輔が不思議そうな表情で自分を見詰めてくるのに、太一は慌ててその隣のヒカリに視線を向ける。
「と、兎に角、何でも無いんだからな!心配するなよ、ヒカリ!!」
「……うん、大丈夫だよ、お兄ちゃんvv 理由が何となく分かったからvv」
「ヒ、ヒカリ?」
自分が言った言葉に、これ以上ないほどにっこりと嬉しそうに言われたそれに、太一は意味が分からないと言うように、首を傾げた。
「お兄ちゃん、一緒に帰ろうvv」
意味が分かっていない太一を前に、ニコニコと嬉しそうな笑顔を見せて、ヒカリがその腕を掴む。
「えっ、ああ……」
嬉しそうなヒカリを前に、太一はその勢いに押されるように返事を返して歩き出す。
「太一さん、今日の予定は?」
そして、何気に聞かれたタケルのそれによって、太一は一瞬だけ複雑な表情を見せた。
「えっと……」
「あっ!もし予定無いんでしたら、俺達皆で集まってクリスマスパーティーするんですけど、太一先輩も来ませんか?」
言葉に困っている太一に、大輔が嬉しそうな表情を見せながら伝えてきたそれに、太一は素直に首を傾げた。
「……クリスマスパーティーって、何処でやるつもりなんだ?」
「デジタルワールドでよ、お兄ちゃん」
素直に疑問に思った事を尋ねれば、笑顔のままのヒカリが言葉を返す。
「光子郎さんと空さんも来るそうなんで、太一さんも一緒に行きませんか?」
「……そっか、空達も一緒なのか……」
ポツリと呟けば、自分の事を期待のまなざしで見詰めてくる3つの瞳がある事に気が付いて、太一は思わず苦笑を零してしまう。
しかし、先程の事を思い出すと、どうしても素直に楽しむ事など出来そうにない。
「……悪い、今日は約束があるんだ……」
申し訳なさそうに誤って、太一はそっとため息とつく。
「でも……」
そんな太一を前に、何か言いたそうに口を開いたヒカリを困ったような笑顔を浮かべて見詰めれば、ヒカリはそれ以上何も言えなくなってしまう。
「ごめんな、ヒカリ……」
それでも、諦めきれないというような瞳をしているヒカリの頭に優しく手を置いて、太一はもう一度だけため息をついた。
「用事があるんでしたら、仕方ないよ……ボクも太一さんと一緒にクリスマス過ごしたかったんだけどね……」
残念そうに呟くタケルを前に、太一が申し訳なさそうな表情を見せる。
「お兄ちゃんも、誘ったんですけど、バンドの方が忙しいからって、断られちゃって……」
「ヤマトさんは、どうでもいいけど、太一先輩とは、一緒に過ごしたかったです…」
自分の言葉に続けて、がっくりと肩を落としながら言われたそれに、タケルは思わず苦笑する。だが、少しだけ表情を強張らしている太一に気付いて、タケルは、不思議そうに首を傾げた。
「太一さん?」
何も反応を示さない相手に、心配そうに声を掛ければ、驚いたように肩が大きく揺れる。
「あっ…いや、何でもない……そっか、ヤマトはバンドの方、忙しいのか……」
「えっ?ああ、ボクはそう聞いたけど……」
複雑な表情を見せている太一に、タケルは意味が分からないと言うように小さく首を傾げた。
「ヤマトさん、タケルくんにそんな風に言ったの?お兄ちゃんと約束してたんじゃ……」
タケルのその言葉に、黙って話を聞いていたヒカリが文句の声を上げた事で、太一が何故そんな表情を見せたのかを理解する。
「ヒカリ!」
慌ててヒカリの言葉を遮るように名前を呼ぶが、時すでに遅く、タケルにも大輔にも、太一が誰と約束していたのかを知って、その表情が怒りを表す。
「お兄ちゃん、太一さんと約束してたんですか?」
「えっと、だから、違うんだって……あいつ、急にライブが決まって、その…練習が忙しくなったって言うのは本当で……だから……」
「太一先輩との約束を、無視したんですか?」
「嫌、だから、無視とかそんなんじゃなくって……あいつも謝ってたし……」
「ヤマトさんが、別な用事作ったんだし、お兄ちゃんも約束は無効になったんでしょう?」
トドメとばかりに言われたその言葉に、太一は困ったような表情を見せる。
先程まで自分は、確かにその事に大して怒っていたのだが、今は自分以上に怒ってしまったその3人に思わず弁解してしまう。
「確かに、ヤマトとの約束は無くなったけど、今皆と騒ぎたい気分じゃないんだ。……皆で楽しむために集まるのに、今の俺じゃそんな気分を壊しちまうだろう?だから、今回は、ごめんな」
申し訳なさそうに頭を下げる太一に、3人がそれ以上何も言えない。
「分かりました。でも、気が変わった時には、メールして下さい。迎えに行きますから……」
「ああ、サンキュー。それじゃ、気を付けて行けよ……ヒカリの事、宜しく頼むな」
「はい!任せて下さい!!」
ドンッと胸を叩く大輔の返事に、漸く笑顔を返す。そして、それぞれが、自分の家へと一度帰っていくのだった。
ヒカリを送り出して、太一は盛大なため息をつく。
今日は両親も戻って来ない事を思い出して、太一は再度ため息をついた。
家の中は静まり返っていて、物音一つしない。そんな中、時々聞こえるのは、太一の深いため息だけである。
そして、部屋に持って来ている電話の子機が、時々不通話音をさせては、そのまま切られてしまう。
「……謝るべきなんだろうなぁ……」
通話ボタンを押してはそのままダイヤする事も出来ずに電話を切ると言う行為を繰り返して、何度も呟いたその言葉を呟いては、ため息。
折角のクリスマスと言う日に、こんなにため息をついている人物など、きっと自分だけだろうと、太一は思わず苦笑を零した。
「……時間が経てば、余計誤り難くなりし……よし!」
勇気を出して、もう一度受話器を持つと、太一はもう既に空で覚えている番号を押し始める。そして、最後の数字を押す前にその動きが止まった。
後一つ押せば繋がる電話を前にして、太一はじっとそれを見詰めたまま動けなくなる。
そして、そのまま電話の向こうからツーツーと言う音が聞こえて来た頃、太一は体の力を抜くように、大きく息を吐き出した。
「……俺って、こんなに意気地なしだったか?」
最後の数字が押せない自分に、太一は頭を抱えてしまう。何時もは、何も考えずに押しているナンバーなのに、こんなに緊張している自分に、ため息は止まらない。
「……電話を掛けようと思うからいけないんだよな!よし、直接、会って誤った方が、いいよな……」
誰に言うでもないのに、言い聞かせるように呟いて、太一は膳は急げとばかりに上着を掴むと家の戸締りをしっかりとして、電気を消してからヤマトの家に向けて歩き出す。
のんびりとした足取りで、通いなれた道を歩きながら、何気に時計に目をやればまだ時間は夜の7時を回った所。
「……って、ヤマト、バンドの練習だって言ってたよなぁ……遅くまで練習するって、言ってたし……」
その所為で、喧嘩をしたのだと言うのに、肝心な事を思い出した太一は、自分自身に呆れたように盛大なため息をつく。
だが既に、ヤマトの住んでいるアパートは目の前と言う場所。そして、何気に太一はヤマトの家の階を見上げた。
「……電気、点いてる?」
ヤマトの部屋の窓から、明かりが漏れているのを見て、太一は思わず不思議そうに首を傾げてしまう。確かにヤマトは、急にバンドの練習が入って、遅くまで家には帰れないと言ったのだ。なのに、ヤマトの部屋に電気が点いていると言う事は、既に練習が終わったと言う事なのだろうか?
「…何か、あったのか?」
ヤマトが遅くなると言っていたのに、こんなに早くに戻ってきたと言う事は、何かあったと見た方がいいだろう。
「そう言えば、帰る時なんか調子悪そうだったような………」
あの鞄をぶつけた時、元気が無かったのを思い出して、太一は嫌な予感を感じてしまった。
そして、その前にヤマトが、咳をしていた事を思い出し、エレベーターが来るのを待つのも時間が無いとばかりに、慌てて階段を上っていく。
「あいつ、もしかして……」
ヤマトが風邪をひいた時、高熱を出すと言うのを知っているから、太一は自分がここに来た目的も忘れて、ヤマトの家のチャイムを何のためらいも無く押す。
暫く待ってみるが、中からはなんの返事もない。それに、イライラしながら、太一はそっとドアノブに手を触れてみた。
「……開いてる?」
何のためらいも無く開くドアに、不信に思いながらも、そのまま扉を開く。用心深いヤマトが戸締りをしてないと言う事も、自分の心配を誘う。
「ヤマト?」
一様、中に向けて声を掛けてみるが、何の返事も返ってこない。そして、躊躇いながらも中に入った瞬間、脱ぎ散らかされた靴が目に入ってくる。
そう言う事はちゃんとしているヤマトなだけに、太一は自分の予感が的中している事を知って、小さく息を吐き出した。
そして、靴を綺麗に揃えると、ちゃんとドアに鍵を掛けて、意を決したように自分の靴も脱いで、きちんと揃えるとそっと足音を立てないように、リビングに移動した。
「……ヤマト……」
ヤマトの部屋の前に立つと、躊躇いながら静かにその扉を開く。そっと、中を覗き込めば、ベッドに倒れこんでいるヤマトを見つけた。
「ヤマト!」
どう見ても戻ってきた時そのままの格好で、ヤマトがベッドに倒れこんでいるのを見た瞬間、太一は慌ててその傍に近寄ると様子を伺うためにその顔を覗き込んだ。
元々、色が白いために、まるで死んでいるかのようなヤマトの顔色に、太一はぞっとしながらも、その額に手を当てる。
「…やっぱり……」
自分が考えていた通りの結果に、太一は呆れたようなため息をつくと、暖房も入っていない冷たい部屋の中、制服のままのヤマトに自分が着ていたコートを掛けると、慌ててエアコンのスイッチを入れた。
数分もしない内に、部屋の中が暖かくなる。それに、ほっとしながら、制服を着替えさせると言う事は流石に出来ないので、ジャケットだけを脱がすと悪戦闘の末に何とか布団の中に寝かす。
「……さて、こいつの事だから、どうせ薬も飲んでないんだろうなぁ……」
動いたために浮かんだ汗を拭いながら、太一は苦笑を零して、またリビングに足を運ぶ。
勝手したる状態で、看病の為の準備をしていた時、突然電話が鳴り出して、太一は慌ててそれを止めるために受話器を持ち上げた。
「はい、やが、じゃなくって……えっと、石田です…」
『って、その声、八神か?』
言い間違いに慌てて訂正すれば、電話の相手がヤマトのバンドのメンバーの一人だと言う事に、太一はホッと胸を撫で下ろす。
「ああ……えっと、ヤマトの事だよな、多分……」
『あいつ、今日練習だって、言ってあったんだけど、何時まで待っても来ないし、連絡もないから心配してたんだよ。八神がそこに居るって事は、何かあったのか?』
心配そうな声で尋ねられて、思わず苦笑を零してしまう。
「あいつ、風邪ひいてたらしくって、熱出して倒れてた……」
『倒れてたって、大丈夫なのか?!』
「大丈夫だと思う……あいつ、風邪ひくと熱を出すから、治りは早いし……けど、練習は。行けそうも無いって、他の奴にも伝えておいてくれないか?」
『分かった、伝えとく……じゃ、ヤマトの事頼むな』
「んっ……」
小さく返事を返して、そっと受話器を戻す。そして、太一はそっとため息をついた。
「……あんまり、人に心配掛けるなよな……」
人の気配を感じて、ゆっくりと瞳を開く。
額に感じる冷たいモノ正体が分からなくって、ヤマトはそっと手を伸ばした。
「…気が付いたのか?」
手を動かした瞬間よく知っている声が聞こえて、ヤマトはそちらに視線を向ける。
「……た、太一?」
「お前、熱出してぶっ倒れてたんだぜ、っても、覚えてないんだろうけどな」
苦笑を零しながら、太一が自分の額に置いてあったタオルをとって、変わりにその手が額に触れてきた。水でも扱っていたのだろう、太一の手は冷たくって気持ちがいい。
「うん、少しは下がったみたいだな。皆、心配してたんだぜ。お前、バンドの練習無断で休んでるって……」
少しだけほっとした表情を浮かべながら、太一が呆れたように呟いて、またタオルを額に戻す。
「バンド……?あっ!今何時だ?」
太一に言われて、慌てて起き上がろうとした瞬間、めまいを感じてまたベッドに倒れこむ。
「…何やってんだよ!まだ熱あるんだぞ!!そのまま寝てろって……今の時間は、1時回っちまってる…バンドのメンバーにも話してあるから、心配するな」
「1時?」
「ああ、昼の1時じゃねぇからな」
驚いているヤマトに苦笑を零しながら、落ちてしまったタオルを取ってもう一度濡らし、絞ってからまた額の上に乗せる。
「……悪い…」
額に感じるその冷たさに、ヤマトは静かに瞳を閉じた。だが、ここに来て、漸く働き出した頭が、自分は太一を怒らせていた事を思い出して、慌てて太一に視線を向ける。
「何?どうかしたのか?」
突然驚いたように自分の事を見詰めて来るヤマトに、太一が不思議そうに首を傾げた。その表情からは、怒っているようには見えない。
「……太一、もう、怒ってないのか?」
「はぁ?…って、ああ……病人相手に怒っても仕方ないだろう。それに、俺はここに誤りに来たんだから、心配するなって!でも、俺が来なかったら、お前凍死してたかもな。しかも、鍵かかってなかったぞ」
苦笑を浮かべながら、太一がそれでも優しい表情をしている事に、ヤマトはそっと息を吐き出す。
「そっか…約束、破っちまって……ごめんな、太一」
「俺も、鞄投げつけたから…ごめん……あっ!!」
素直に謝って、照れたような笑いを浮かべる中、太一が驚いたように大きな声を出したのに、ヤマトは不思議そうに相手を見詰めた。
「……今日はもうクリスマスだよなぁ……メリー・クリスマス、ヤマト…」
「そっか…今日は、クリスマスか……ごめん、太一…そんな日に心配掛けて……」
「いいよ、約束とはちょっと違うけど、お前と一緒に居られたのには、変わりないからな……」
にっこりと笑顔を見せて、太一はそっとヤマトの頬に手を添える。
「んで、これは俺からのクリスマスプレゼント……風邪が、早く直るように、おまじないな……」
「えっ?」
言われた事の意味が分からなくって、問い返した瞬間、頬にそっとキスされる。余りにも突然の事に、ヤマトは驚いて言葉をなくした。
「んじゃ、俺、飲み物でも持ってくる!」
驚いて見詰めたのが悪かったのか、太一が真っ赤な顔をして慌てて部屋から出て行ってしまう。
「……本当、適わないよなぁ……」
閉められたドアを見詰めながら、まだ頬に残るその幸せに、ヤマトは苦笑をこぼしながら、そっと瞳を閉じる。
昨日までは、あんなに感じていた嫌なモノも今では全く感じない。それどころか、幸せだと思えるのは、一番大切な人が傍に居てくれるから……。
その感じられる幸せを胸に、ヤマトは大切な人が戻ってくるのをただ静かに待つ。
今ならきっと言えるだろう。
ありったけの想いと共に、メリー・クリスマスと……。

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