「俺がいつでも許すと思ったら、間違いだからな!」

 突然大きな声で言われたその言葉に、空は盛大なため息をつく。

「……それ、ヤマトの前で言ったの?」

 盛大なため息と同時に、少しだけ呆れたように聞かれたその言葉に、太一は言葉に詰まって空から視線逸らす。

「言ってないのね?」

 そして、再度聞き返されたその言葉に、太一は素直にコクンと頷いた。
 その太一の行動に、空はもう一度ため息をつく。

「……言おうとは思ったんだけど、あいつ最近忙しくって、殆ど帰ってこないし……だから……」

 言い難そうに言い訳をする友人を前に、空は困ったような表情を見せる。

「愚痴なら、幾らでも聞いてあげるって言ったけど、太一のそれは愚痴じゃないでしょう?」
「…分かっているけど……けど、あいつ電話掛けてきても、直ぐに切っちまうし、俺なんて、どうでもいいんだ……」

 完全に拗ねたように言われるその言葉に、空は再度ため息をついた。
 そんな事、絶対に無いと思えるような事を、どうして考えられるのか、本当に呆れてしまう。
 ヤマトが太一にベタ惚れである事は、一目瞭然なのだ。

「どうして、そんな事思ったの?」

 だから、太一がどうしてそんな事を考え始めたかと言う方に、問題がある。

「……だって、全然会えないのに、テレビで見た限りじゃ、俺の事気にしている様子も見せないし……」
「それは、仕事だからでしょう?」

 自分の問いかけに、ポツリポツリと話し出した太一の言葉に、空は慰めるように言葉を返す。

「…それに、電話を掛けてくる時、絶対に誰かの声が聞こえるし……」
「ツアー中なんだから、それも仕方ないんじゃない」
「だって、すごく親しそうに女の人の声で『ヤマトくん』って、言ってるんだぞ!」

 自分の言葉に優しく返されたそれに、太一は泣きそうな視線で空に訴える。

「…そ、それは……」

 泣きそうな視線で言われたその言葉に、空は何も返す事が出来ずに、困ったような笑みを見せた。

「ヤマトが悪いわね…」

 そして、盛大なため息と共に、同意の言葉を吐く。
 自分がそんな事をやられたら、やはり太一と同じような反応を返してしまうだろう。

「だろ……やっぱり、許すべきじゃねぇだろう?」
「…そうねぇ……でも、やっぱりちゃんと話をしないといけないんじゃないの?」

 自分に同意してくれると思っていたのに、返されたそれは望んだ答えじゃない事に、太一は不機嫌そうに空を睨み付ける。

「睨んでも駄目よ。大体、ヤマトが太一以外を見るなんて事、絶対にありえないもの」
「……どうして、そんな事分かるんだよ……」

 自分を睨み付けてくる太一の視線苦笑を零しながらも、空はきっぱりとした口調で断言した。
 余りにもはっきりとした口調で言われたそれに、太一は不機嫌そうな視線のまま問い掛ける。

「分かるわよ。貴方は気付いてなかったでしょうけど、皆で集まった時、ヤマトの視線は何時だって太一だけに向けられているんだから」
「……そ、そんなの、昔の事だけ……」
「それは無いわね、今でもそれは代わらないもの。知っている?貴方が誰かに笑い掛ける度にヤマトが不機嫌そうに見詰めていたって事」

 自分の言葉を遮って言われたその言葉に、太一は何も言い返すことが出来なくなってしまう。
 何も言えずに自分を見詰めてくる太一に、空は笑みを見せた。

「だから、余計な心配だと思うけど、ちゃんと話をしなさい。それでどうしても許せないのなら、私や丈先輩だって、力になるから」
「空……」

 優しい笑顔と共に言われたその言葉に、太一はただ名前を呼ぶだけしか出来ない。
 いい友人に恵まれたと、心から思う。こうして、悩みを聞いてくれる大切な存在。

「有難う、な……愚痴零したら、少しだけすっきりした」
「どういたしまして……それより、今晩食べていく?」
「いいよ、丈との時間邪魔したくねぇからさ……それに、アグとガブ置いてきているし……」
「そう……そんな理由じゃ引き止められないわね。丈先輩も会いたがっていたのに……」

 少しだけ残念そうに呟かれたその言葉に、太一は思わず苦笑を零す。確かに、丈にもここ暫く会っていないのは本当だから、相対と思うのは正直なところである。しかし、家に残してきている子猫の存在が気になるのも本当なので、小さくため息をついた。

「また今度…丈に、宜しく伝えてくれよ」
「分かったわ。それじゃ、太一!くれぐれも先走った行動だけはしないでね」

 返る準備をして玄関先で言われたその言葉に、太一はもう一度苦笑を零す。
 自分の性格を良く知っている相手だからこその、言葉。

「……努力はする…ちゃんと、ヤマトと話するよ…悪かったな、愚痴零しちまって」
「いいのよ。いつでも聞いてあげるから、いらっしゃい」

 自分の言葉に優しい笑顔と共に言われたそれに、太一も笑顔を返した。自分の相談に乗ってくれる大切な幼馴染。そして、あの夏を一緒に乗り越えた仲間。その存在が、自分を支えている事を感じる。

「それじゃ、気を付けてね」
「ああ、またな、空!」

 元気に手を振って、その場を離れて行く太一の後姿を見送りながら、空はそっとため息をついた。

「……何も、起きなきゃいいんだけど、なんだか、嫌な予感がするのよねぇ……」

 盛大なため息と共に呟かれたその言葉は、誰にも聞かれる事はなく、そのまま風に流されていく。




「…折角、勇気貰って来たって言うのに、何で…だよ……」

 今まで話をしていた受話器を見詰めて、太一は泣きそうになるのをぐっと堪えるように持っていたそれを元の場所に戻す。
 携帯に電話を掛けたと言うのに、その持ち主ではない別の人物が電話に出て、そしてあっさりと切られてしまった。

『……困るのよね、こう言う事されると……ヤマトくんも、迷惑だって言っていたわよ、ツアー中に電話されるの』

 冷めた声が、自分に投げ付けたその言葉は、信じたくなんてない。
 しかし、はっきりとした口調で、『迷惑だと言っていた』と言われて、太一は泣き出しそうな気持ちをぐっと手を握り締める事で堪える。
 彼女がどうして、ヤマトの携帯に出たのか分からない。しかし、ヤマトがそれを預けたと言う事は、信頼している相手だと分かるから……。

「……俺は……」

 最近のヤマトの態度と、彼女の言葉が思い出されて、胸を締め付ける。
 ずっと、自分を好きで居てくれると言った相手なのに、今はそれさえも信じられない。
 彼女の言葉は、それだけ自分にショックを与えている。

「……もう、駄目なのかなぁ……ヤマト…俺は、迷惑なのか?」

 本人殻直接聞かされた訳ではないのに、まるで彼女の言葉がヤマトから言われたようなそんな錯覚を起こしてしまう。
 今すぐ会って真実を確かめたいと思うのに、その相手は遠く離れた場所に居る。

「…ヤマト…俺は、何を信じればいい……」

 そして、初めて、太一の頬を一筋の涙が流れた。




「何で、電話に出ないんだ?」

 もう既に数度目のコール音が響いている。
 最近、まともに話をしていない状態だからこそ、この電話には、大事な何かを感じたのに……。
 携帯に着信記録が残っていたから、急いで電話を掛けているのに、誰も電話に出る気配は無い。

「……太一……」

 ぐっと受話器を握り締めて、相手が出てくれる事を祈る。
 もしかしたら、風呂に入って居るのかもしれない。それとも、何かの用事で出ているだけか……。
 しかし、嫌な予感がするのだ。さっきからずっと拭えない、不安。

「ヤマトくん、明日の打ち合わせを始めるそうよ、来てくれるかしら?」

 しかし、無常にも自分を呼びに来た人物によって、その電話が繋がる事は無かった。
 また後から電話を掛けるしかないと諦めて、ヤマトは素直に受話器を戻す。

「…連絡、取れないの?」

 ヤマトのため息に気が付いて、呼びに来た女性が、心配そうな表情で尋ねる。

「……いや、ちょっと出掛けているみたいで……」
「そう?ごめんなさいね、電話がかかって来た時に、ちゃんとヤマトくんに伝えれば良かったんだけど……」

 申し訳なさそうに誤る女性スタッフに、ヤマトが慌てて首を振った。
「いや、俺があんなところに携帯置き忘れていたのが悪いんですよ……」

 責任を感じている相手に、苦笑を零して、ヤマトは盛大なため息をつく。
 本当は、気になっている。どうして、太一が電話を掛けてきたのかが……。
 太一が、ツアー中に電話を掛けてきた事など、一度も無いからこそ……。



 長い間鳴り響いていた電話のコールが聞こえなくなった事に、ほっとする。
 まるで責められているような、そんな錯覚を覚えてしまうそのコール音。相手なんて、確認しなくっても分かるから……。

「俺が、迷惑なら、電話なんて掛けてくるな……もう、何も聞きたくない……」

 枕に顔を埋めるように、太一は耳を塞ぐ。
 信じられない、幾つモノ想い。
 そして、思い出されるのは、彼女の言った『迷惑』と言う言葉。
 信じたいと思うのに、その言葉が、邪魔をする。

「……どうして……」

 止まらない涙が、枕を濡らしていく。




「……居るはずなのに……」

 玄関の呼び鈴を鳴らすが、何の反応も返ってこない。
 嫌な予感だけが拭えずに、膨らんでいく。

「……やっぱり、無理やりでも家に泊めた方が良かったのかしら……」

 扉の前で盛大なため息をついて、空は腕時計に視線を向けた。
 今は、9時半を回った所。何時もなら、絶対にこの家の住人が居る時間である。

「……実家に戻っているのかしら?」

 そう思って、バックから携帯を取り出して、もう暗記されているボタンを押していく。

「……今日、ヒカリちゃん休みだといいんだけど……」

 コール音を聞きながら、祈るような気持ちでそれが途切れるのを待つ。

『はい、八神ですけど……?』

 数回のコールの後、良く知った声が電話を取った事に、空はほっと息を吐き出した。

「もしもし、ヒカリちゃん?」
『空さん?』

 自分の問い掛けに、相手が確認するように名前を呼ぶ。

「そう、あのね、そっちに、太一戻っているかしら?」
『お兄ちゃんですか?戻ってきていませんけど……何か、あったんですか??』

 自分の質問に、不思議そうに返されたそれに、空は困ったようにため息をつく。

「大した用じゃないんだけど、居ないみたいだから、そっちに戻っているのかと思って……ごめんなさいね」

 心配させないように、慌てて説明する。ここで、もし太一の話していた事をヒカリに言おうものなら、後が恐ろしい。

『もしかして、空さんは、お兄ちゃんの家の前ですか?』

 しかし、次の言葉が空の言葉を奪ってしまう。どうしてそんなことが分かるのだろうと、正直に思うのが普通である。

『私も今からそちらに行きます!家に合鍵ありますから……すごく、嫌な予感がするんです』
「ヒカリちゃん?」

 慌てていると分かるヒカリに、空は心配そうに声を掛けた。

『10分ぐらいで、着くと思いますから!』

 そして、それだけを言うと電話が切られてしまう。

「……嫌な予感って……」

 自分も感じているそれを、ヒカリも感じたのだとすれば、本当に何かが起こったとしか思えない。

「……一体、何があったの、太一……」

 目の前の堅く閉ざされた扉を見詰めて、呟かれた言葉には、誰の言葉も返ってこなかった。




 それから数分後、慌てて来たヒカリが、合鍵で扉の鍵を開ける。
 一応、もう一度中へと呼び掛けてから、そっと扉を開いた。扉が開いた瞬間、中から賑やかな泣き声。悲痛なまでの子猫達の鳴き声が、部屋の中に響いていた。

「太一!」
「お兄ちゃん!!」

 その声に慌てて靴を脱いで中へと入ると、声が聞こえるところへと急ぐ。
 寝室のドアを掛けた瞬間、自分達に気が付いた猫が救いを求めるように飛び付いて来た。何時もは、人見知りをして決して自分達に近付かない灰色の猫までもが、自分達に飛び付いて来たのには、流石に驚かされる。

「お兄ちゃん!!」

 そして、目的の人物がベッドの上に膝を抱えるように座っているのを見つけて、ヒカリが慌てて傍へと急ぐ。

「太一?」

 空も同じようにその傍に近付こうとして、ある事に気が付いてその足を止めた。
 太一の着ている服は、昨日自分と会った時と同じもの。そして、俯いて表情は見えないが、自分達の声に反応を返さないのは、不自然である。

「お兄ちゃん!!」

 自分の考えたそれを裏付けるように、ヒカリが大きな声を上げて、肩を少し強くゆすっているのに、太一は何も反応を返さない。

「お兄ちゃん、返事をして!?」
「ヒカリちゃん、待って!」

 何の反応も返さない太一に、ヒカリが悲痛な声で呼び掛けるのを、空が慌てて遮った。今、闇雲に呼びかけても、意味が無いと言う事が分かるから…。
 丈の仕事の関係上、やはり医療関係の本を読む機会が多くなったから、冷静に対応する術を考える。

「……ヒカリちゃん、少しの間だけ、私と太一の二人だけにしてもらえるかしら……」
「でも…」

 そっと、優しく願い出れば、ヒカリが戸惑ったような表情を返す。それに、空は優しく微笑んだ。

「大丈夫、絶対に太一は、戻ってくるわよ」
「空さん……」

 ウインクつきのその言葉に、ヒカリが納得したのか、小さく頷いて、二匹の猫を抱いたまま寝室を出て行く。それを見送ってから、空は小さくため息をついた。

「……太一、分かる?私よ、空……何が、あったの?ヤマトとは、話できたの?」

 そっと太一の傍に寄り、その肩に手を添えて耳元に小さく囁きかける。自分の質問に、初めて太一の肩が小さく震えた。
 それに気が付いて、空はもう一度優しく問う。

「……ヤマトに、何か言われたの?」

 一つの質問に絞って問い掛けたそれに、太一が漸く顔を上げて自分を見詰めてくる。その瞬間、頬を涙が流れた。

「太一?」
「……空……」

 そっと名前を呼べば、初めて太一が声を出す。搾り出すように自分の名前を呼んだ太一に、一瞬掛ける言葉が分からない。
 泣いている所など、今まで一度だって見た事の無い相手の、涙。表情の無いその頬を涙が、伝っていく。

「太一、何が、あったの?」

 再度の質問に、太一が大きく首を振る。

「……私には、話せない?」

 ただ大きく首を振る太一に、少し悲しい想いを感じながら問い掛ければ、更に大きく首が振られた。
 そして、ポツリと太一が口を開く。

「……俺、やっぱり、ヤマトにとって迷惑だって……」
「なっ!」

 しかし、その呟かれた言葉に、空は驚いて一瞬掛ける言葉が浮ばなくなってしまう。

「それ、ヤマトが言ったの?」

 そして、次の瞬間には、問い掛けていた。空のその問い掛けに、太一がただ小さく首を振る。

「ヤマトから、直接聞いた訳じゃないのね?」

 太一のその態度に、少しだけ声を優しくして空が再度問い掛けた事に、今度は小さく頷いて返す。ただ動作でだけで、反応を返す太一を前に、空は小さくため息をついた。
 これだけでは、何があったのか分からない。
 しかし、太一をこれだけ傷付けている原因だけは、はっきりと分かった。
 誰かから、『迷惑』だと言われた事。それを誰が言ったのかは、流石に分からないが、ヤマトに関係している誰かと言う事だけは想像できる。

「それで、ヤマトとは、話は出来たの?」

 最後の質問とばかりに問い掛けたそれに、太一はただ頭を振った。

「……迷惑だって、言われたのに、話なんて出来ない・……」

 そして、小さな声がポツリとそう呟いて、また頬を涙が流れていく。そんな太一を前に、空はどうするべきかを、頭の中で考える。
 ここまで太一を傷付けている原因になっている人物は、ツアー中でここには居ない。本当なら、本人に確かめるのが一番早いと言う事は分かっているのだが、それも出来ない事に、空は内心苛立ちを感じた。
 自分にとって大切な人が傷付いて涙を流しているのに、何も出来ない。そんな自分自身に、腹が立つ。

「空さん」

 どうするかを考えている自分に、突然名前を呼ばれて振り返る。

「どうしたの?」
「これ、ヤマトさんの携帯の番号です」
「ヒカリちゃん?」
「お兄ちゃんを悲しませたあの人の事は、絶対に許せません。だけど、あの人じゃないと、お兄ちゃんを笑顔に出来ないって事も知ってるんです……私が掛けると、話が進まないから……」

 少しだけ困ったように差し出されたそのTEL番号を、空は小さく頷いて受け取る。
「今なら、ライブ中じゃ無いはずなので、連絡取れると思います」
「分かったわ。ヒカリちゃんは、太一をお願いね」
「はい」

 自分の言葉に頷く相手に、空はもう一度頷くとそのメモを持って、寝室を後にした。




 電話のコール音を聞きながら、心を落ち着かせるように大きく息を吐く。
 なかなか繋がらないコールに、少しイライラしてきた頃、漸くそのコール音が途切れた。

『はい?』
「ヤマト?」

 短い返事に、空は問い掛ける。

『その声、空か?』
「そうよ、わた……」
『空、太一知らないか?』
「えっ?」

 ヤマトの問い掛けに返事を返そうとした瞬間、自分の言葉を遮って尋ねられたそれに、空は驚いて聞き返した。

『昨日から、何度も連絡しているのに、繋がらないんだ。太一から、昨日電話があったみたいなんだが、俺が、携帯を控え室に置き忘れていて……』
「…置き忘れた?」
『ああ、俺の変わりにスタイリストの子が電話に出てくれたんだけど……空?』
「……そう言う事なのね……」

 ヤマトの説明に、空は漸く全ての理由が分かったと言うようにため息をつく。
 全ては、そのスタイリストが原因。

『空、どうしたんだ??』
「ヤマト!今日中に戻ってこられる?」
『いや、それは……俺としても帰りたいけど……』
「太一を失いたくなければ、戻ってきなさい!」
『空』

 突然、命令口調で言われたそれに、驚いたように名前が呼ばれる。そんなヤマトの声を聞いて、空は苦笑を零した。

「最近、殆ど太一と話をしてなかったそうね。太一が、寂しがっているわよ」

 そして、家に来た時に話をしていた事を思い出して、そう答える。
 そんな素振り見せないようにしても、直ぐに分かるのだ。太一が本当は、ヤマトに傍に居て欲しいと言うことが……。

「いい、戻ってこなかった時は、ヤマトに太一は返さないわよ」
『ちょっ、空!!』
「それじゃ!」

 電話の向こうで慌てているヤマトの声を完全に無視して、電話を切る。
 そして、空は盛大なため息をついた。今の太一に何を言ってもそれは、何の慰めに葉なら無いと言う事。だから、自分に出来る事は、これだけなのだ。

「……太一を救えるかどうかは、貴方に掛かっているって事よ……」

 夫婦だからと言って、全てが分かる訳ではない。
 だから、不安なのだ。ましてや相手は、殆ど家に居ない売れっ子のアーティストである。

「偶には、太一の不安を分かってあげるのが、夫としての義務よ」

 そして、そっと呟いて、空はまだ悲しみに包まれたままの大切な友人の元へと急いだ。



「それじゃ、私達は帰りましょう」
「空さん?」

 無理やり太一に食事をさせて、漸く落ち着きを取り戻してきた太一を前に、空がキッパリとした口調で言葉を口にする。
 確かに時間は、既に夜の11時を過ぎているのだから、そろそろ戻ると言う気持ちは分からなくも無いが……。

「あっ!そうだよな……丈、心配しているだろうし……うん、俺は大丈夫だから……」

 空の言葉に、慌てて太一がそう言って無理やり笑顔を作る。そんな表情を見せる太一は、どう見ても大丈夫なようには見えなかった。

「丈先輩が、迎えに来てくれるの、ヒカリちゃんも、帰りましょう」

 しかし、そんな太一の表情に気が付いているのに、空はヒカリも一緒に帰るように促し始める。

「空さん!」

 そんな空に、ヒカリが抗議の声を上げた。自分を睨むように見詰めてくるヒカリを前に、空は困ったような笑みを浮かべる。

「……大丈夫だから、今は太一を一人にして上げましょう」
「空さん……」

 そっと、自分の耳元で言われた言葉に、ヒカリはただ不思議そうに空を見詰めた。そんなヒカリに、空はただ優しい笑みを浮かべるだけ。

「そ、それじゃ、俺がヒカリを送って……」
「いいのよ、丈先輩が迎えに来てくれるって、言ったでしょう。ヒカリちゃんも私達が責任を持って送って行くから、太一はここで、待っていればいいのよ」

 自分の言葉に優しい笑みで返されたそれに、太一が不思議そうに首を傾げる。

「待つ?何を、待つんだ??」

 言われた言葉の意味が分からずに、太一が聞き返すそれに、空はただ笑顔を返す。

「直ぐに分かるわよ」

 楽しそうな笑顔を見せる空に、太一はただ不思議そうに首を傾げる。
 そう言えば、昨日のように自分を慰めるような言葉を全く言わなかった事を思い出して、太一はある事に気が付いた。

「……ま、まさか……」

 信じられないと思ったその瞬間、バンッと大きな音をさせて扉が開かれる。

「……ヤ、ヤマト……?」
「あら、随分早かったわね。今日中には無理かと思っていたわ」

 方で大きく息をしているその人物を前に、空が楽しそうな笑顔を見せた。ヒカリも太一と同じように驚いてそこに立っている人物を見詰める。

「た、太一を失うなんて、俺には出来ないから……」
「……ヤマト…だって、迷惑だって……」

 すっと自分に近付いて来たヤマトの手が、自分へと伸ばされる。自分の頬に触れるその手の感触に、太一は漸く止まった涙がまた流れ出すのを感じた。

「……迷惑?何の話なんだ??」

 突然自分の目の前で泣き出してしまった太一を前に、ヤマトはその言われた言葉の意味が分からずに首を傾げる。

「ヤマト、携帯をその辺に置き忘れ無いように、気を付けた方がいいわよ。知らない相手が勝手に出て、余計な事を言う事だって、あるんだかね」

 分かっていないヤマトに、空は少しだけ苦笑を零しながら、それだけを言うと部屋を出て行く。

「空?」

 しかし、空の言った言葉の意味が分からずに、ヤマトは更に首を傾げる。

「…ヤマトさん!」
「えっ?」
「お兄ちゃんを泣かせた事、絶対に許しませんから!!」
「ヒ、ヒカリちゃん??」

 きっと自分を睨みながらのその言葉に、分からないと言うような表情を見せるヤマトに、ヒカリは小さくため息をつくと、ぺこりと頭を下げた。

「……お兄ちゃんを、お願いします……」

 突然頭を下げてそのまま部屋を出て行くヒカリの後姿を見送ってから、ヤマトは全ての事を知っているだろう太一へと質問をしようとその顔を見た瞬間、言葉を無くす。
 驚いて瞳を見開いているその姿は、頼りなく見える。

「……携帯、置き忘れたって……」
「えっ?ああ、太一が携帯に電話くれた時、俺控え室に居なくって、携帯をそのまま控え室に忘れてて、太一から電話あったのを知ったのも、着信があったから分かったんだ……その時、スタイリストの子が、電話に出てくれたみたいだけど……って、太一??」
「……ヤマトが、あの人に出てもらったんじゃないのか?」

 自分の言葉を信じられないと言うように聞いている太一に、ヤマトは驚いてその名前を呼ぶ。
 そして、太一からの質問に、ヤマトは今までの事を考えて漸く、その理由が理解できた。

「……その子が、お前に言ったのか?迷惑だって??だから、空やヒカリちゃんが!」

 不安そうに、自分を見詰めていたその理由。そして、太一を泣かせてしまったと言うその訳が、今漸く分かって、ヤマトはその表情を険しいものへと変えた。
 自分が居ない間に、大切な人を傷付けられた腹立たしさ。そして、そんな事にも気が付けなかった自分の愚かさが腹立たしい。

「ヤマト……信じてない訳じゃなかった……だけど、最近、ヤマトとゆっくり話しもしてなかったから……」
「太一……」

 ヤマトが怒っていると感じて、太一が申し訳なさそうに顔を俯かせて言葉を募る。そんな太一を、ヤマトはそっと抱き寄せた。

「ごめんな、太一……不安にさせて……」
「ヤマト?」
「太一、迷惑じゃないから、太一からも電話、幾らでも掛けてきていい」
「えっ?」
「文句だってお願い事だって、幾らでも言ってくれ。太一の我侭なら、俺は幾らでも聞いてやるよ」

 ぎゅっと強く抱き締められたまま言われるそれに、太一は驚いて瞳を見開く。

「だから、太一……」

 促されるように名前を呼ばれて、太一の瞳にまた涙が溢れ出す。
 本当は、何時だって不安で仕方なかった。だけど、迷惑を掛けたくないから、だから、何も言わないでずっと我慢してきたのだ。

「……一緒に居たい…ヤマトと、ずっと一緒に居たい。俺は、それだけでいいから……」
「…ずっと一緒に居よう、太一……」
「ヤ、ヤマト……」
「ごめんな、一人にして……不安にさせて……俺には、太一だけだから」

 そっと優しく耳元で囁かれるその言葉に、太一はただ何度も頷いて返す。

「ただいま、太一…」
「お帰り、ヤマト」






「で、結局、どうしてるの?」

 それから数日後、空が太一の家に様子を来た時には、何時もの笑顔を見せる友人の姿に出迎えられた。

「えっと、ヤマトはまたツアーに入ったんだけど……」
「ずっと一緒に居るんじゃなかったの?」

 目の前で苦笑を零している人物に、空が呆れたようにため息をつく。
 あの時、自分を忘れてまで落ち込んでいた姿は、もう何処にも見えない。

「……それは、無理だって分かってるから……」

 諦めたように笑うその姿に、空は再度ため息をつく。
 あの後、電話に出たスタイリストの女の子は、ヤマトの担当から外されてしまった。勿論、嘘を言ったと言う事で、太一にも直接謝らさせたと言うから、よほどヤマトの怒りを買っていたと見える。
 それもそうだろう。太一を泣かせた相手である。自分だけって、正直言ってかなり腹を立てていたのだ。勿論、相手の気持ちも分かるのだが……。

「だけど、来年から、ツアーの数を減らすって言ってた……そんなの、無理だって思うけどな」
「太一…」
「大丈夫!もう平気だ。約束したから……」
「約束?」

 そっと笑顔を見せて言われたその言葉に、空が不思議そうに問い掛けた。それに、もう一度笑顔を見せて、太一が頷く。

「ああ、約束。1ヶ月以上俺の事放っておいたら、実家に帰るって」

 ニコニコとした笑顔で言われたそれに、空は思わず言葉をなくしてしまう。それは、約束と言うよりも、脅迫と言うモノでは……。

「そりゃ、ヤマトにとっては、一番の脅し文句になるわね……」
「だろ?だから、どんなに急がしくっても、1ヵ月中に一回は、絶対に家に帰ってくるようになるだろう?」

 嬉しそうに言われるそれに、空はただ頷いて返す。
 確かに、それは間違いないだろう。ヤマトは、何を置いても、太一の為に家に戻ってくると言う事は、嫌でも想像がついてしまう。

「一緒に居たいから、ちょっと位は我侭言ってもいいよな」
「そうね、そんな我侭なら、ヤマトにとっても嬉しいんじゃないかしら?」

 一も二もなく頷いたであろうヤマトのことを考えて、空はただ笑みを零した。
 

 夫婦だから、全てが分かる訳ではない。
 勿論、違う人間なのだから、言わなければ分からないのが当たり前なのだ。
 だから、時々は、精一杯の我侭とともに……一緒に居たい、君とずっと……。