「アグ!」

 ずっと姿の見えない大切なものの名前を呼んで、大きく息を吐く。

「……外には出て無いと思うけど、何処行ったんだ?」

 その相棒といっていい存在は、幸せそうにソファで眠っているのを横目で確認して、再度ため息。

「もう直ぐ出掛けないとやばいんだよなぁ……」

 チラッと壁に掛けてある時計に視線を向けて、困ったような表情をする。

「念の為に外も見とく必要あるかな?」

 可愛そうな事であるが、外に出した事は一度も無いので、心配になるのは仕方ないだろう。しかも、まだ相手は子猫なのであるから、その心配も仕方ないというものある。
 心配だからこそ、太一は慌てて玄関のドアを開いた。

「わっ!?」

 ドアを開いた瞬間、外から聞こえてきたその声に、驚いたように視線を向けた先には、懐かしい人物。

「だ、大輔??」
「……太一先輩」

 驚いてその名前を呼べば、そこに立っていた人物は、少しだけ困ったような表情を見せて苦笑を零す。

「何時、こっちに戻ってきたんだ?」

 今は、プロのサッカー選手でもある本宮大輔。彼に会うのは、自分も本当に久しぶりなのだ。

「あっ、昨日の夜に……ヒカリちゃんに、太一先輩が住んでいる場所聞いたんで……」
「そうなのか?でも、本当に久しぶりだよなぁ。頑張ってるのは、TVで見てるぜ」

 ニコニコと笑顔を見せれば、困ったような笑みが向けられる。そんな相手に、太一は不思議そうに首を傾げた。

「って、悪い、俺もう出掛けなきゃいけないんだ……大輔!」
「あっ、はい!って、出掛けるんすか?」
「ネコ、見なかったか?」

 大輔の質問には答えずに、まず先に聞かれたその言葉に、一瞬意味が分からないというような表情を見せてしまうのは仕方ないだろう。

「……ネコ、ですか??」
「オレンジ色のこの位のネコ!」

 手で大きさを示しながら、必死になって自分に尋ねてくる太一の姿に、大輔は思わず苦笑を零す。

「もしかしなくっても、こいつの事すか?」
「あ〜!アグ!!」

 困ったように自分の背中に張り付いているそのネコを見せるように大輔が後ろを向く。見せられた背中に張り付いているそれを見た瞬間、太一は大きな声でその名前を呼んだ。

「アグ?」
「ああ、アグモンのアグ。似てるだろう?サンキューv ずっと探してたんだ。悪かったな、こいつ人見知りしない奴だから、人の姿見付けると喜んで攀じ登るんだよ。驚いただろう?」
「……突然足に飛びついてきたのには、流石に……」

 苦笑を零しながら、大輔の背中に張り付いているネコをそっと剥がして、その頭を軽くたたく。そんな太一を見ながら、背中の重みがなくなった事にほっとしながら、大輔は素直に気持ちを伝える。そんな大輔に、太一は思わず苦笑を零した。

「だろうなぁ……ところで大輔、これから時間あるのか?」
「あっ!太一先輩、出掛けるんでしたら、俺出直して来ます」

 太一の質問に慌てて大輔が、言葉を返す。そんな大輔に、太一は笑みを見せた。

「暇だったら、付き合わないか?今、サッカークラブの監督してんだよ。プロのサッカー選手連れてったら、喜ぶからな…あっ、勿論、時間があればでいいんだけど……」
「滅茶苦茶あります!是非、ご一緒させてください!!」

 自分の言葉に勢い良く返されたそれに、太一は勢いに押されるように思わず一歩後ろに下がってしまう。

「相変わらずの元気だな…それじゃ、取り合えず家の中に入れよ。準備するから」

 にっこりと笑顔を見せて、招くように家の中に促す。それに、一瞬だけ戸惑いながらも、大輔は言われるままに中へと入った。

「ここで待ててくれよ」

 リビングに通されて、ソファに座るように言われて大人しく腰をおろす。その視線は、部屋の中を観察するようにきょろきょろと急がしそうである。
 そして、余っているソファにもう一匹のネコを見て、眉を寄せた。そのネコは、自分が会いたいとは思わない人のパートナーに良く似ているから……。

「待たせたな」
「いえ、そんな事無いすよ!あの、ところで、ネコ、2匹も居るんすか?」
「えっ?ああ。オレンジの奴はアグで、そこで寝てるのはガブ。こっちは人見知りするから、飛び付いたりはしねぇんだけどな」
「そ、そうなんすかぁ……」

 さらりと言われた事に、大輔は複雑な表情を見せる。分かっていた事ではあっても、やはり目の前で見せられるのとでは、精神的なダメージは違いすぎるだろう。

「どうかしたのか?」
「……な、なんでもないです!それよりも、時間大丈夫なんすか?」
「そうだった!俺が、遅刻する訳には行かないからな」

 自分の言葉に笑顔を見せる太一に、大輔も笑みを返す。そして、慌てて二人そろってウチを出て、そのまま近くのグラウンドに急いだ。




「八神監督!」

 もう既にグラウンドには子供達が集まっており、太一の姿を見付けるなり嬉しそうに手を振っている。

「悪い、遅くなった……」

 たどり着いた太一を待ちわびていたように、子供達は一斉にその周りに集まると、口々に太一に声を掛け始めた。そんな目の前の光景を目の当たりにして、大輔は一人残された状態で、呆然としてしまう。
 太一が人気があるというのは、当然だと思うのだ。自分だって、太一に憧れていた一人なのだから……。
 だが、改めて、目の前に居る人の魅力というものを思い知らされた気分である。

「あっ!本宮大輔!!」

 離れた場所でぼんやりとその様子を見詰めていた大輔は、一人の子供に名前を呼ばれて我に返った。
 その一人の子供の声によって、漸く大輔の存在に気が付いた子供達が、一斉にその視線を向けて来る。

「なんで、サッカー選手がこんな所に居るんだ??」

 その疑問は、当然であろう。言われた大輔は、思わず苦笑を零す。確かに、プロの世界に身を置いている自分が、小さなサッカークラブに顔を出す理由は無いのだから、そう思うのは当然であろう。

「忘れるところだった……悪い、大輔」
「いいですよ、太一先輩」

 申し訳なさそうに誤る太一に、大輔は笑顔を向けて小さく首を振る。
 しかし、その言葉に、子供達が驚いたように声を上げた。

「先輩って、八神監督の後輩なのか??」
「やっぱり、八神監督って、すげー!!」

 口々に声を上げる子供達が、自分の周りに集まってきて、色々質問攻め状態。そんな状態に、大輔は苦笑を零す。

「ほら、練習始めるぞ!折角、プロの選手が居るんだ、今日の練習を頑張らなくってどうするんだ?」

 パンパンと数回手を打って、子供達に囲まれている大輔を助けるように整列させる。

「大輔、毎日サッカーばっかで、嫌かも知んねぇけど、相手してやってくれるか?」
「えっ?いいんすか?俺なんかで……」
「ば〜か、今をトキメクサッカー界の期待の新人が何言ってんだよ」

 自分の言葉に、苦笑混じりに笑う。それに、大輔は困ったように頭を掻いた。確かに、そんな風にマスコミ達が騒いでいるのを知っているから……。
 しかし、自分がこうなれたのは、きっと目の前に居る人物のお陰なのである。

「だったら、俺、久し振りに太一先輩と一緒にサッカーしたいです……」
「……俺なんかでいいのか?」
「太一先輩と一緒にしたいんです!!」

 自分の言葉に、きっぱりとした返事が返されて、太一は少し驚いたような表情を見せるが、直ぐに何時もの笑顔を見せた。

「分かった。じゃ、紅白試合でもするか」

 そして、にっこりと笑って言われたその言葉に、その場に居た者達が嬉しそうな声を上げる。
 チーム分けは、太一が決め、数分後には、大輔チームと太一チームに分かれての紅白試合がスタートした。





「お疲れ様でした!」

 元気良く声が上がって、解散。
 空は既に薄暗くなっている中、子供たちが興奮状態のまま帰っていく。

「気を付けて帰るんだぞ!」

 太一はそんな子供達に声を掛けて、後ろを振り返った。

「大輔、何時までショックに受けてんだ?」
「……俺、これでもプロなんすよ!一様スタメンのメンバーで……」
「手を抜いたんだろう、お前」
「抜く訳無いじゃないすか!俺の性格は、太一先輩が一番知ってるはずですよ」
「……そうか?俺から見れば、手加減してるようにしか見えなかったぞ」

 拗ねている大輔に、苦笑を零しながらも、自分が思った事を素直に口に出す。それに、大輔は驚いて太一を見た。

「今日のお前の気迫は、TVで見てる半分も出てなかった」
「……気迫、ですか?」
「そう、お前は、敵チームにその気迫で戦ってんだなぁって、何時も思ってんだ。今日のサッカーは、楽しむ為のサッカーなんだから、それでいいんだけどな」
「……太一先輩……知ってたんすか?」

 優しい笑顔と共に言われた言葉に、大輔は信じられないと言うような表情を見せる。
 ずっと誰にも言えなくって、そして、こんな気持ちは間違っているのだと自分に言い聞かせたモノ。それを、まるで溶かすような太一の言葉は、今まで自分が悩んでいたものを全て洗い流してくれた。

「仕事にしているお前には難しいかもしれないけど、やっぱり、楽しむ事を忘れちゃいけないよな」

 にっこりと笑顔を向ける目の前の人に、大輔は何も言えずに俯いてしまう。

「……俺、やっぱり太一先輩に会いに来て良かったっす……」
「そうか?俺は、何もしてないぞ」

 ポツリと零したそれに、太一はさらりと言葉を返す。それが、この人らしくって、大輔はばっと顔を上げた。

「やっぱり、ヤマトさんになんて、渡したくなかった……」

 真剣な表情を向けられて、はっきりとした口調で言われたその言葉に、一瞬太一は何を言われたのか分からずに思わず首を傾げてしまう。
 しかし、その意味を理解した時、顔が赤くなるのを止められなかった。

「お、お前、知ってるのか??」
「はい、ヒカリちゃんに教えてもらってます。それに、その指にしてる指輪って、やっぱりあれなんですよね?」

 すっと指された左手の薬指。そこには、ヤマトとお揃いの結婚指輪。

「俺、ずっと太一さんの事好きだったから、だから、確認も兼ねて来たんです……太一先輩は、今、幸せですか?」

 真剣な瞳が自分を見詰めてくるのを受け止めて、太一は少しだけ困ったような表情を見せる。

「……幸せだと思う……」

 ポツリと零したそれは、曖昧な物。はっきりと言えないのは、どこかで寂しいと感じているからかもしれない。

「思うだけなんすか?」
「……あいつ、忙しいから……だから、一人で居る時は、やっぱりちょっとだけ寂しいんだ…でも、一緒に居る時は、本当に幸せだから……」

 フワリと笑顔を見せる太一に、大輔は小さくため息をついた。

「……そんな風に言われたら、何も言えないっす……それに、こんな時だけ、タイミング良く迎えに来る人が居るんですよね……」
「えっ?」

 大輔に言われて、驚いて振り返る。そして、ゆっくりとこちらに歩いてくるその姿を見付けて、太一は驚いたような表情を見せた。

「……太一先輩!」

 驚いてその人物を見詰めていた中、突然名前を呼ばれて、太一は視線を大輔へと戻す。

「今日は、本当に楽しかったです。あいつらが、生き生きとサッカーしてるの見て、俺も頑張れる気がしました。本当に有難うございます」
「こっちこそ、付き合わせちまって悪かったな。頑張れよ、応援してるぞ」
「はい!」

 元気良く返事をする大輔に、笑顔を見せれば、すっと大輔の顔が近付いて来るのに気が付いた。

「大輔?」
「感謝の気持ちです!それじゃ、またオフの日には、絶対に遊びに来ますね」

 そっと頬に触れるだけのキスを残して、大輔が走り去って行く。その後姿を見詰めながら、太一は苦笑を零してため息をつく。

「なんで、あいつが居るんだ?!」

 そして、後ろから突然がっしりと肩を捕まれて言われたその言葉に、太一は思わず笑顔を引き攣らせた。

「…ヤ、ヤマト、今日は、早かったんだな……」

 乾いた笑いを浮かべて、振り返るとそこには不機嫌そのままの姿があって、太一は盛大なため息をついてしまう。

「怒るなよ、ただの挨拶だろう?」
「……そうか、挨拶なんだな!それじゃ、これからは、俺にもその挨拶をしてくれるんだろう?」

 にっこりと笑顔で言われているのに、怖いと思うのはどうしてなのか?

「と、兎に角、帰ろうぜ。俺、腹減ってんだよ」
「まだ、返事聞いてないぞ!」
「……それは、また今度な!ほら、ヤマト、急げよ!!」

 ごまかすように、慌ててその場から歩き出す。
 もう既に暗くなっている空を見上げれば、星が僅かに瞬いている。

「……頑張れよ、大輔」

 そして、一度だけ振り返って、もう姿も見えなくなった人物へと小さく応援の言葉を送った。
 行き詰まる時が、必ずある。
 それは、ほんの些細な小さな事でかも知れない。だけど、それは前に進むための大切な事。