南アメリカ

アルゼンチン   ブラジル   ペルー


充実の南米三ヵ国周遊(16日間)   

 待望のマチュピチュ遺跡とアマゾンでピラニア釣り

 2005年1月21日〜2月5日(16日間)、某ツーリスト主催の「遥か地球の裏側へ、驚異と感動の世界にご案内します。」に魅せられて参加する。

 総勢25名は夫婦連れが殆どと女性グループ、中には社長と銀座のママの不倫組?のような方もいた。

                                      クスコ・ウアイポ湖(3,800m)にて

 成田発19:00、RGヴァリグ・ブラジル航空で一路、中継地ロスアンゼルスへ、飛行時間九時間四十分。給油待機二時間、その後三時間でブラジル・サンパウロへ、飛行時間十二時間四十分。未だ着かない、次はアルゼンチン・ブエノスアイレスへ二時間四五分、乗継時間と飛行時間を合わせて、合計十九時間半であった。

南アメリカは広く、飛行機に乗るたびに時差調整するので、日本時間なぞ全く分らなくなる。

出発にあたり、使い捨て下着を買い、長旅に備えた。ビデオや電気カミソリの充電器、変圧器は今回の前の、一月のイタリア旅行で揃えてあり、ビデオ撮りも少しは上達していた。スペイン語も、少〜し勉強?したので何とかなるでしょう。

―旅の見所、ポイントー

     世界三大瀑布の一つ、世界遺産 イグアス国立公園

     幻の空中要塞、世界遺産 マチュピチュ

     インカ帝国時代の数々の遺跡が残る、世界遺産 クスコ市街

     世界遺産、アマゾン川クルーズとピラニア釣り

     サンバショー、タンゴショー、フォルクローレショー

     世界遺産、ナスカの地上絵遊覧観光

             
        イグアスの滝                           マチュピチュ                         クスコ市街


           
      アマゾン川クルーズ・ピラニア釣り                  サンバショー                           ナスカ地上絵遊覧飛行機

 今回のツアーで、確認した中で世界遺産は八ヵ所あった。旅発つ前ににわか勉強で「地球の歩き方」を三冊、アルゼンチン、ブラジル、ペルーを購入し、かなりの日数をかけて予習した。旅は行く先さきの歴史・文化・政治・地理等を研究していくものだ、と言われるが全くその通りである。ツアー仲間を見ていてもその差は歴然としており、楽しみ方が倍加している。

 世界遺産について整理してみた。二〇〇四年現在、登録134カ国で合計788件。

多い国ベスト3は、スペイン38、イタリア37、フランス30.日本は12、南アメリカは13カ国で59ヶ所。やはりヨーロッパの文化に対する思いが違う事が分る。

 ツアー仲間のある夫婦が、世界遺産を訪ね歩くのを目的に旅行していると言っていたが、金はもとより、体が続かないと思うが、意欲は立派である。

 ツアーの順番はアルゼンチン一泊、ブラジル六泊、ペルー五泊、ロスアンゼルス一泊、機中泊二泊で十五泊十六日となる。

―三カ国の特徴―

★アルゼンチン

  ☆人口 3,700万人 ☆首都 ブエノス・アイレス(いい空気だ!の意)☆スペイン語 ☆歴史 銀の財宝を求めて、スペイン等ヨーロッパ人が開拓、人口の95%はヨーロッパ系 ☆産業 牛肉、穀物果物

★ブラジル

  ☆人口 1億7、000万人 ☆首都 ブラジリア ☆ポルトガル語 ☆歴史 ヨーロッパ、日本、アラブ等の移民と原住民との人種が入り乱れ、構成の調べが無意味 ☆産業 コーヒー(世界の三分の一の生産量)、農産物、鉄鉱石

 

★ペルー

  ☆人口 2,700万人 ☆首都 リマ ☆スペイン語 ☆歴史 チャビン文化→インカ族→スペイン・ピサロ→サン・マルティン将軍(独立)、先住民52% ☆産業 金・銅・スズ・鉄

もう少し、三カ国の特徴が必要と思う。

     アルゼンチン は銀の国とヨーロッパで当時有名、神秘と魅惑の響きにひきつけられて、探検家や征服者達はラ・プラタ川をさかのぼった。しかし南米大陸は余りにも広かった。灼熱のジャングルに始まり、アコンカグア(6960m、南米1の標高)のようなアンデス山脈の氷の大地あり、地平線が全て平原だったり、向こう側が見えない湖があったり。その様な情報に基づき、スペインを筆頭にイタリア、ドイツ、フランスから大量の移民がやってくる。そしてさまざまな理由から生まれ故郷を離れた人々は、希望と失望の間をさ迷いながら、アルゼンチンを第二のヨーロッパに塗り替えていった。

首都ブエノス・アイレスはラ・プラタ川に位置する大都市でタンゴがマッチする魅惑の近代都市。チリ国境に近い北側は山肌が照る乾燥地帯、アルゼンチンフオルクローレ(アンデスの音楽)が似合う、南には人よりも動物が多く、世界に残された数少ない大自然を実感出来るパタゴニア地方がある。

     ブラジル は南米大陸の半分を占め、世界五位の広大な土地を持つ。南部はリオ・デ・ジャネイロやサンパウロの様な平地が多く、北部はマナウスを中心として、アマゾン流域が広がる。人種構成は白人55%、混血38%、黒人6%、黄色人系1%。面白いのはそれぞれの移民は、自分の本国と同緯度に住んでいる。日系人はサン・パウロ、ドイツ人は南部、黒人は北部に多いという。

国民性は楽天主義とダイナミズム、感情的で無頓着。アマゾンの熱帯樹林の中で殆ど近代的な物を持たずに暮らす人々、近未来的なブラジリアの人工都市、サルバドールの黒人文化、リオのカーニバル、コパカバーナ海岸の美女達、サン・パウロの商業都市、イグアスの大瀑布等々。  

     ペルー はアンデスの山々にこだまするフォルクローレの音楽、鮮やかな民族衣装をまとった先住民の人々、神秘的な古代遺跡、アマゾンの秘境等がある。

  殆ど雨の降らない乾燥した砂漠、標高6,000m級のアンデスの高地ジャングルに覆われたアマゾン川流域の密林地帯。ペルーの国土の半分はアマゾンの熱帯

雨林地域となっている。

 

  かって南米最大の帝国を築いたインカは大きな魅力である。そのインカの謎の空中都市といわれるマチュピチュ、乾燥した大地に刻まれたナスカの地上絵等興味は尽きない。

 予備知識を詰め込んだならば、次は促成単語の習得だ。幸い、ケーシー高峰の漫談を聞いていたので理解しやすい。

 ・お早う〜ブエノス・ディアス    ・やぁ〜オラ    ・さよなら〜アデオス

 ・今日は〜ブエノス・タルデス    ・有難う〜グラシアス  ・乾杯〜サルー

 ・今晩は〜ブエノス・ノーチェス   ・お元気ですか〜コモ・エスタ

     水〜アクア ・ビール〜セルベッサ ・赤ワイン〜ビーノティント

     白ワイン〜ビーノブランコ  1〜ウノ 2〜ドス 3〜トレス 4〜クアトロ

成田からブエノス・アイレスまでの機中、松本清張の推理本二冊、機内食三回、機内後部にあるミニレストランでカップ麺、飲み放題のビール・ワイン・ウイスキー・ウオッカ等で、退屈すると日本映画を見て、地球の裏側に、ついに到着だ。ハァ〜長かった!

 時差の関係で、ブエノスアイレスに到着したのは、現地時間十一時過ぎ。南米はイタリア、スペインと同じく貧民層が多く、治安が悪いので添乗員も現地ガイドも執拗なほど、神経質でバスから外に下ろしてくれない。警官が待機している観光場所のみ下車観光である。

本日のバスによる観光は、コロン劇場、国会議事堂、メトロポリターナ大聖堂、ポカ地区、ラプラタ河畔、7月九日通り。

 コロン劇場はイタリア・ミラノのスカラ座、フランス・パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場となっており、ここコロン劇場では、ヨーロッパで話題になったオペラは1ヶ月も経たぬ内に上演されると言う。立ち見を含めると4000人の観客を収容する。

 アルゼンチン隋一の港がポカ地区、ヨーロッパからの船は全てここに停泊し、労働者が溢れていた。そんな男達を相手にする安酒場やバーもこのあたりに密集しており、あの官能的なタンゴのステップはそんな暗いバーの片隅から生まれたと言う。

左図はタンゴ通りと言われるカミニートと言う広場で、画家のタマゴが絵を売っていたり、日本でいうチンドンヤみたいな楽隊がタンゴを奏でながら雰囲気を盛り上げる。タンゴの衣装をまとった絶世の美女が、観光客男性相手に足を絡ませ一枚千円で写真サービスをしている。何ともアルゼンチン・タンゴを堪能出来る場所である。

  

                                          アルゼンチン・カミニート通り

                                                                                 

 この夜は、食事付きタンゴバーで、九時開演、終了してホテルへ帰ると十二時であった。このツアー中、九時前に寝た事は一度も無い、体力勝負である。

 九時からのタンゴショー、一言で言うと素晴らしいの一語に尽きるだろう。何より楽団のメンバーを見ているだけで惹きつけられる。ベースに、バイオリン、ピアノ、そして主役はアコーデオンだ。三人の黒服を着た六十〜七〇才の渋い男、的確に表現するならば、アルカポネのようなハラハラするような眼光鋭い眼差しで全体をリードしている。エイトビートの早いテンポで男女の絡み合いのタンゴが始まる。多数の男女が交代に絡み、足を相手の股に蹴り上げる。後で聞くと、タンゴはキザとセクシーが売り物だと言う、納得。 相手を変えて踊るのはあんたもう、嫌いよと云う意思表示であるらしい。ここでも男は弱い立場のようである。

    
   アルゼンチン・魅惑のタンゴショー

 その夜、当然美女に抱かれてタンゴを踊る夢であった。疲れているのに、熟睡出来ない 旅は尚、続くのだ。

 ブエノスアイレスの「7月9日通り」と言う変わった名前はスペインから独立した日を記念している。片側八車線で世界一道幅が広い。サッカー場を車が走っている感じ!

 カテドラル、日本語で大聖堂。司教座のある聖堂、母教会、平たく言うと教会の親分?

南米は90%以上がローマカトリックである。だから何処へ行っても立派な建物があると大抵カテドラル。

 今回、南米に来るに及んで、その母国の歴史、文化を先ず先に認識しなければと考え、宗教の元祖、イタリア、スペインを直前に回ってみた。ヨーロッパを始め、どの国も宗教無くして国を語れないと言うことであった。日本のように無宗教が多く、結婚式と葬式のみのにわか宗教信仰者には理解できない事だ。

イタリアのカテドラルのミサに参加した時、一列に並んでいるので後ろに並んでみた。皆、大司教の前に行くと何やら口に円い物を入れられている。私の前にいた、ツアー仲間の男性(やはり無宗教)がくわえたまま、ぼぉっと突っ立っていたら、前の中年の婦人に小声ながらも大層な剣幕で叱られている。食べなさい!はい!、食べましたか?と念を押されている。言葉は双方通じないが、神の前だ、通じたのだろう。

 後で一人、二人信仰心のある婦人と、見識深そうな方から聞いた。キリストの最後の晩餐に出たワインとパンからきているんですよ。パンの代わりに円い小さな菓子をいただく儀式なのです。。。そうでしょ〜う、本当にみんな、何〜にも知らないんだから〜。

恥かきっ子日本人ツアー無宗教者の巻でした。

宗教を知らない自分が批評したりしてはいけないと思う。しかし感想は許されるだろう。

キリスト教のカテドラルやイスラム教のモスクにしても、その立派さ規模、豪華さ、大きさは表現できない。日本で言うならば、金閣寺や銀閣寺を何十倍の大きさにした規模である。しかも、一歩中に入ると、気の遠くなるような大きさ、豪華なステンドガラス、床から天井まで30m程のパイプオルガン、歴史上名のある画家の5m四方ほどの絵画がズラリ、お金に換算など決して出来ない。建物の高さで云うと規模が分ろう。80〜100mのカテドラル、モスクはざらにあり、スペインの聖家族教会は170m、エレベーターで登る。日本の神社・仏閣は元より、大阪城でさえ60mである。

何故、このようになったのか?解明するとページが足りない。要は貧しければ貧しいほど、民衆の心は神にすがるのではなかろうか! 時の指導者や権力者はカテドラル、モスクに民衆の財を強引にでも集中させて、信仰の対象にした? としか考えられない。


 一月二十三日、観光二日目と三日目はイグアスの滝。似た様な名前でイグアナもあちこちでお目にかかる。

カナダのナイヤガラ、アフリカ・ジンバブエのビクトリアの滝と合わせて世界の三大滝と言うそうです。ツアーの半数は三つ見たと言う。暇と金があるのだろう。だったら、もう少し信仰心を持ちなさい!!!

二日間でアルゼンチンとブラジル側から滝を見るが、結構これが飽きない。何処から見ても豪快なのだ。

アルゼンチン側、ブラジル側とも世界遺産登録である。大小300の滝があり、イグとは水、アスは壮大なと言う。落差80m、幅4K、接点はパラグアイにも接し、居ながらにして、3ヶ国の観光客が見られる。滝つぼが有名な「悪魔ののどぶえ」と言い、ツバメが外敵から守る為にこの奥に巣を作っている。ツバメも大変だ、悪魔と戦うのだから?

「ガイド」、南アメリカもそうだが、世界何処へ行っても、日本人だけは必ず居るから不思議である。同時に日本人ガイドも必ず居る。夢と浪漫を求めて歩いている内に住み着いたのが大半である。変な現象がある。国と場所にもよるが、日本人ガイドとその国のガイドが一緒に案内するのだ。その国のガイドは日本語は話せないので挨拶だけである。ならば来なければ・・・と思うが、国同士のガイドの身分保障のようだ。

その日本人男性ガイド服部さんはユーモアと味がある。三十年近く住み、料理店を奥さんに任せている。服部さんがタンゴのことを表現した。タンゴはキザとセクシーの何者でもない、とかブラジルはサンバとサッカーがあると誰も仕事をしないし、学校も全て休みになる。またブラジルの良い所は一年に一ヵ月は必ず有休を取らせないと、会社が裁判で負けると言う。

 アルゼンチンを観光する国、一位やはりスペイン、次ポルトガル、ノルウエイ・・・

日本は十一位、年間三万人。

オプショナルでイタイプーの世界一発電所を見学する。ブラジルとパラグアイの共同事業であり、長さ1,400m。日本一の黒部ダムが500mだから規模が違う。だがじきに中国のサンキヨーダムに一位を譲るそう。

一月二五日、イグアス空港からサンパウロを経て、いよいよアマゾンのマナウスへ向かう。ブラジルは金儲けの為か、必ずサンパウロ空港を経由する。しょうがない国である。

ここで事件が起きた。

飛行機がトラブルで出発時間が未定だ、という。ツアー仲間の酒の飲める半数が、しょうがないから、とレストランで酒を飲む。女性添乗員が、あわてて呼びに来る。急いで行ったが、ツアー仲間半数は出発してしまい、次はまた未定と言う。

皆怒る、いずれにしても、全員は乗れなかったのだが・・・、怒りは収まらない。ここで差が出た。関東人は仲間内でブツクサ云っている。しかし関西人は違う。本人に言う、男も女も皆言う、どないするんやぁ〜、お前、命かけて添乗せなあかんがな〜、しっかりせいや〜。それを聞いて、関東人が云う、いやそこまで云わんでも・・・。だが、添乗員も関西人、気にしていない。気にしたのは関東人だけでした。イヤハヤ。

 約半日違いでアマゾン川の上流地点の都市、マナウスに着く。二班が合流したのは、アマゾン探検をした翌日の夜であった。見知らぬ土地でやっと無事に合流した仲間は嬉々会い合いとより親しくなった。添乗員はケロッとして一緒にビールを飲んでいる。命云々と言っていた関西人もケロッ、一方関東人は複雑・・・。

六日目、一月二六日

アマゾン河、そしてピラニア釣り、これが長年の願望であった。
     
      ブラジル・マナウス アマゾンクルーズ               アマゾンのネグロ川トソリモンス川の合流地点(白と青)      クルーズ・海上レストラン

     
          世界一アマゾンのオオオニバスの葉、1m程度       スリル満点のピラニア釣り、触らないでと船頭が。       釣ったピラニアは空揚げに、美味。

マナウスの河口から3万トンの船に乗る。普通は港とか岸壁があるはずだが、とにかくアマゾンだ、その様な近代的な設備なぞ無い。遠浅の川底に木で作ったオンボロ桟橋を一〇m渡り、そこから更に5mの高さの船のデッキにハシゴが斜めにあり、恐る恐る登っていく。バランスを崩すと海にポッチャンだ。

幸い雨季の季節だが本日は晴天なり。心はウキウキ、顔は皆ニッコ・ニコ。現地四〇年住む日系二世の高橋さんが名調子でアマゾンのガイドをしてくれる。

アマゾン河はネグロ川とソリモインス川が合流してアマゾン河となる。その合流点が混ざり合うのは6Kも下流からだ。何故か?ネグロが水温28度、時速3K。ソリモインスが22度、時速7kであるからと。ネグロは黒、かたや黄土色でくっきり。

じっと見ていると、大小のピラニアが水面から飛び跳ねている。感動の一瞬だ!

しばらく感動しながら一時間、小さな島に着く。そこで三十分ジャングルを探検する。そこで世界最大のオオオニバスに驚く。

海上レストランで昼食、アマゾンで取れる魚のフライがこれまた美味い、スイカは世界一に甘く美味しい。ピラニアのフライも淡白だが、歯ごたえしっかりでこれまた旨い。

八人で小船に乗り、三十分、アマゾンの支流の川に入っていく。ガイドと船頭が手本を見せる。釣り針に生牛肉の切り身を引っ掛け、水面を竿でバシャバシャと叩いてから放り込む。ピラニアはこの音を聞くと、何かが溺れていると思い食いつくと言う具合だ。

下手な人は一匹もつれない、名人の私は八匹を釣り羨望の眼差しを受ける。アマゾンで漁師の道も開けたと自信がついた!ツアー二五人全員で二五匹、私が三割、やるでしょう!

 

七日目、一月二十七日 ピラニア釣りとアマゾンのジャングル体験を終えて、興奮おさまらない翌日はマナウス観光。自然科学博物館、アマゾナス劇場、中央市場。博物館では世界一の淡水魚で5mのピラクルーに唖然! そしてピラニアより怖いと現地人が恐れる、肉食ドジョウ、肛門や膣などの穴から入り内臓を食べる、女の子がパンツをはかないで河に入り何人も犠牲になっていると言うドジョウ、その名はカンジルー。

 市場では二時間も肉・魚・果物に魅入る。午後、計画都市ブラジリアを乗り継ぎ、情熱の都市リオ・デ・ジャネイロに入る。

 ポルトガル語でリオは川、ジャネイロが一月。一月にポルトガルの探検隊により発見された町である。世界三大美港のグアナバラ湾、華やかなカーニバル、ゴージャスなビーチリゾート、サン・パウロに次ぐブラジル第二の都市で人口七百万人、ブラジリアに遷都されるまでの首都でもあった。

 八日目、一月二八日 リオ見学日
コルコバードの丘、標高七一〇mの丘に立つキリスト像、高さ三十m。頂上まで登山電車で行く、港と町が見事に綺麗だ。夜景が素晴らしい岩山のポン・デ・アスカール、メトロポリターナ大聖堂、高級住宅街とハイセンスなレストランが立ち並び、ボサノバの大ヒット曲「イパネマの娘」の舞台になったイパネマ海岸、この日も居ました、イパネマのネーちゃん達が・・・


       コルコバードの丘、巨大なキリスト像           イパネパ海岸、イパネパの娘          コパカバーナ海岸
  

                  コパカバーナ海岸                  リオデジャネイロ               巨大な肉(食べろ食べろとサービスされるが・・・)

そして、世界的に有名なコパカバーナ海岸、イパネマに隣接している。

海岸もショッピング通りもパリと見まがうほど、建物、人物、雰囲気がハイセンスとしか言いようが無い。その様な反面、小高い丘一帯にはマッチ箱の様な建物郡が見える。貧民街である。二五万人もおり、水や電気は勝手に盗んでいくと言う。その彼らの収入源は観光客とリゾート客からすったり奪ったりして生活していると言う。だからガイドと添乗員はここでも神経を使い、ホテルから出ないように説得する。昼間、ビーチに出る人は、貴金属等は必ず取られるので身につけないで下さいと言う.
出るな、行くなと云われると行きたくなるのが人情、グループで行く、しかし怖くなり止める。夜の街の現地人の皆が泥棒に見えてくる、お〜コワ!

夜はもう待ちに待った華やかなサンバショー。豪華な衣装を身につけた踊り子達が、強烈なリズムに乗って乱舞する様子は圧巻。ナイスバデイの踊り子二人が私の側にきた。開演前のサービスで写真を撮れと言う、ポルトガル語で。判断力と理解力ある私は頷いた。ところが立つと目はバストの所だ。ヒエ〜!

またまたサービスで観客の国の、代表曲を奏でる。アメリカ、イギリス、日本ときた。その度に全員舞台に上がれと誘う。日本は「上を向いて歩こう」ヤンヤの喝采である。次韓国、アリラン。宴は果てしなく続き酔いしれ、最後は踊り子数十人が観客席に下りてきて、全員で踊り狂う、踊り子の体に触れても文句などいうわけが無い、向こうからぶつかってくる、小柄な日本人など飛ばされる、流石におおらかなブラジルだ、、、もうマイッタ。

     
   リオのサンバショー

    
        紅白歌合戦の誰かさんみたい           オバサン達もうっとり・・・              ついに出た!我慢できな〜い

その夜、ホテルで寝たのはまたもや深夜一時過ぎ、踊り子のふと股に挟まれてうなされる夢でまたもや寝不足! 辛いリオの夜であった。

その日の昼食はブラジルの代表料理、「シュラスコ」肉の串焼き。牛・豚・羊・鹿を串に五〇pの高さに刺し、テーブル・サービス。

日本人は少食だからと、牛など最初から最高級の肉を持ってくる、そして未だ食え、もっと食えと攻め立てる。云い尽せないほどの

旨さだ。一p位にそりおとしてくれるが、三枚も食べればもう見たくも無い、ガイジンさんは幾らでもお変わりしている。

 日本が戦争で負けた理由が分る、食べ物の量の差だ、絶対。

アイスクリームも美味しい、外人は食事に二時間はかけると言う。お喋りしながら、楽しみながらである。かたや日本人、三十分で

喋りもせず、黙々とである、終わるとソワソワ、次何する?速いのである、速いのは何でも喜ばれないのに・・・。

 

九日目、一月二九日 リオからまたサンパウロを経由して、最後の訪問国ペルーの首都、リマに行く。アルゼンチン、ブラジルと比較すると、文化がかなり遅れているペルーである。特に首都のリマは海岸砂漠地帯に位置し、雨は殆ど降らずホコリだらけ、ネパール・エベレスト・トレッキングやキリマンジャロ山行の様にホコリだらけとなる。

 丘の上はやはり貧民街で水道が無い為、子供が学校を休んで下の公園水道から水を背負って運び上げる。フジモリ元大統領が貧民を救済し、丘の上まで水道を引いたり、住みやすい住環境を整え出したので、国民の人気は急上昇した。それを見て政敵が危うくなり、フジモリを陰謀にかけて失脚させたと言うのが庶民の間での一致した見解とのガイドのお話でした。

だから現大統領は人気が無く、大統領府から外へ出られない、石が飛んでくると言うお話。その大統領の支持率は一〇%を常に切っているという。町や工場の塀には「2006年、カムバック・フジモリ」とあらゆる所で、あらゆる都市にも見受けられる。フジモリは果たして・・・

 リマ市内、マルマス広場、黄金博物館、大統領官邸、大聖堂を見て歩く。フジモリが居た時の官邸、テロ軍団に占拠された官邸の鉄砲の跡がナマ生しく残っている。

 南アメリカでは、太平洋側のペルー、チリが食べ物が美味しいと評判だ、特に海鮮料理が、今夜は海に桟橋を渡っていく海上レストラン、シーフード「ロサ・ナウティカ」と言う店、豪華で大きなエビ料理に舌鼓、ペルーの強い原酒も飲み、生バンドで異国ムードたっぷり。へべれけで、どの様にしてホテルへ帰ったか記憶にありませ〜ん!

十日目、一月三十日 リマからクスコへ、そしていよいよマチュピチュへ向かう。十三世紀、原始人チャンカ族を滅ぼしたインカ帝国は南アメリカの太平洋側、北はエクアドルからチリまで太平洋側を制していた。その中心がクスコ、標高三三六〇m、富士山本八合目と同じ標高である。ツアー仲間三人がゲーゲー、頭痛い、食事いらない、と高山病になる。

高山病対策として更に高いウアイポ湖三八〇〇m、富士山は3760mだから、皆大変であろう。私はキリマンジャロ(アフリカ・五八九六m)やモンブラン、キナバルで馴れているので平気だが、殆どの人が青白い顔をしている。

この辺一帯は農作物の畑が一杯、羊、牛・豚も放し飼い、富士山頂上と同じ標高とは信じがたい。
弁当を運んできた車は「マキタ電動工具」の名前
入り。アフリカやネパールも同様で、日本車の下取車がそのまま使われている。ステータス?

十一日目、一月三十一日 マチュピチュの麓のホテルに昨日泊まり、ムードは盛り上がる。

バスで二二八〇mに一気に登る。大雪山・旭岳とほぼ同じ標高である。

 あたりは同じように尖った山々、周囲は断崖、はるか下を流れるウルバンバ川流域は密林に覆われたジャングル。下からは見えず、空中からしか存在を確認出来ない事から、「空中都市」と呼ばれるゆえんだ。

ここに一万人が住んでいたと言う。インカ帝国がスペインのピサロ率いる二百人によって滅ばされる。

    

                 インカの王様                 渓谷のオリヤンタイタンポ               マチュピチュへ行く最後の街




      
     マチュピチュ遺跡     


近代武器に負けたインカ族はここを捨て、更に奥深く逃げ延びた、その後は近代科学を以ってしても解明されていない。

 この場所で作物を作り、大きな石を数百m下から上げてきたり神殿、墓、宮殿、日時計、牢獄と何でも発掘されている。

 右にかすかに見えるのがワイナピチュ(若い峰)二七〇〇m、往復二時間。

名残惜しいが、今夜の宿クスコへと戻る。

十二日目、二月一日 クスコ観光。銀三〇〇トンで作った祭壇を持つ大聖堂、十二角石(写真)、金で出来たサンドミンゴ教会、要塞跡のサクサイワマン、インカの沐浴場タンボマチャイを見学する。

十二角石はカミソリの刃一枚も通さない精密さである。十二角の意味は?

王の十二人の一族か、十二ヶ月を現すのか不明らしい。

    

        ペルーの首都・リマ市街                       精巧な作りの12角石                      ペルー・アルパカ

 クスコから首都リマへ戻り、バスに乗り換えパン・アメリカンハイウエーをイカまで約五時間、砂漠を走る。ナスカの世界遺産地上絵を見るために。パン・アメリカンハイウエーはアラスカを基点とし、南はアルゼンチンまでの弾丸道路だ。海辺の砂漠地帯、戦後日本から移民してきた大勢の人が作物が育たなく、苦労の末にほぼ全員が亡くなったと言う。

十三日目、二月二日 セスナ機八人乗りで三十分遊覧飛行する。

ナスカの地上絵は紀元前九〇〇年前から作られ、何の為か定かではない。動植物の絵が三十個、合計二百個ある。

線となる浅い溝は黒い地表の小石を取り除いて明るい地肌を露出させたものだ。溝は深さ一〇p、幅二十p。目的は? 農耕に関する特定の時期説、インカの呪術的文様説、カレンダー説・・・

    
        ナスカへのセスナ機                  セスナ機8人乗り内部                          地上絵

一四日目、二月三日 ペルーの首都リマから北アメリカ、ロサンゼルスへ。深夜一時半空港へ、九時間後の時差時間ロスは朝七時、すぐロス観光。

 ロス市内、サンタモニカ、ハリウッドハイランド、ロデオドライブ、ビバリーヒルズ、リトルトーキヨ等を見学し、最後は日本料理店で打ち上げ。

 二月四日〜五日 ロスから成田は十二時間、成田のレストランで寿司、ラーメン、そばを皆で競って食べ、日本の良さを確認する何時ものパターンである。

 ロスでの貴重な体験一つ。

ヨットハーバーでの出来事である。若者三十人位、日本人である、しかも高校の修学旅行? 尋ねて見た。名古屋のトヨタ何とか、と言う会社の研修ですと言う。高卒の様だ、未だ一年も経っていないという。語学の研修と各国の文化・産業・歴史等を学ぶ為に色々な国に、グループ別に派遣されていると言う。若者に投資、トヨタの力!か。

トヨタの名は世界の何処に行っても車と看板は必ずある。名前を見るだけでも何故か安心する、日本人が居ると言う安心感である。あと一年もするとトヨタは世界でも、GMを抜いて世界一になると言われている。昨今、日本の大企業や銀行、役所も不祥事で信頼を失っている。世界から指示される国際的、文化的な日本のイメージを維持してもらいたい。世界の国を訪問するたびに痛切に願っている。名実ともに企業は成長しなければ、と同時に我々自身も国際人にならなければ・・・頼みますよ、トヨタさん。期待を裏切らないように、倫理観を大事に。

 今回の三カ国旅行は辛かったが、最高でした。再度行きたいと願っている。