ネパールヒマラヤ

                      1.クーンプ・ヒマラヤ        エベレスト街道トレッキング

                      2.アンナプルナ・ヒマール      タンスンジャイテイ峰

                      3.ランタン・ヒマール     スリヤ峰

                      4.ダウラギリ・ヒマール     アンナプルナトレッキング

                        5.クーンプ・ヒマラヤ         メラピーク

                                       6アンナプルナ・ヒマール
         アンナプルナ内院トレッキング



1.クーンプ・ヒマラヤ     エべレスト街道トレッキング

 年末年始の休暇を利用して、初めての海外遠征、と言ってもトレッキングであるが、エベレストを間近に見られる期待感で一杯で出発。
 2001年12月28日〜2002年1月5日   ツアーガイド付き16人のメンバーである。
 
 12/28  羽田〜関空〜中国・昆明〜カトマンズ
  12/29  カトマンズ〜ルクラ〜パクディン         
  12/30  パクディン〜ナムチェ
  12/31  ナムチェ            エベレストビューホテルまでトレッキング
   1/1   ナムチェ〜ルクラ
   1/2   ルクラ〜カトマンズ
   1/3   カトマンズ           市内観光
   1/4   カトマンズ           エベレスト周遊飛行機
   1/5   カトマンズ〜関空〜羽田




   ネパールの首都、カトマンズの飛行場の売店

   国内線は新しいが、国内線はかなり古い。一歩外へ出ると、舗装ではなく、ほこりがひどい。
   治安が悪いためか、軍隊と警察の警備が厳しいようだ。肩に掛けている銃はかなり古い。
   町の至る所が、日本の戦後昭和20年〜30年を連想させる。発展途上国のようだ。
   






  カトマンズのホテル「ラディソンホテル」LAZIMPAT

  カトマンズは標高1,350m





 

  カトマンズ〜ルクラ

  20人乗り、30分程度、ヒマラヤの風にあおられて緊張が続く。
  現地ツアー会社
     シーガル・トラベラーズ
     ロールワリン・トレック


       

  スチューワデス             機上から  ルクラの飛行場滑走路は斜めで自然に飛行機が止まる設計?標高2,800m  荷物を運ぶゾッキョ、ポーターも加わる。


              
        
トレッキング開始            標高3,000mでも作物を作る        カラフルな旗がひらめく   大きな岩にも呪文左側から通る 昼食のロッジ


                 
 谷の吊り橋 牛も渡る  コック、キッチンボーイが食事の用意 街道のlロッジを借りて食事  今日はテンプラ、ナム、ポテト いつも美味しい 重いな〜


           
 深さ100mもあろうか    ナムチェ(シェルパの里)標高3,440m                 ヒマラヤを背にシェルパの若者               3,800m付近








   



   奥の左側がエベレスト、
   奥の右側はローツェ
   右のとんがりはアマダプラム

   4,000mから望むヒマラヤの大展望









 

        
エベレスト・ビューホテル展望台 窓にエベレストが  お嬢さん      女性シェルパのニマちゃん(14才)  右端がサーダー   キッチン・ボーイがデザートをどうぞ!


        
  雪男の頭皮   4,000mに住むヤク(高山牛)  ある日の昼食:肉(水牛)、インゲン豆煮物、サラダ、御飯、お好み焼き、オクラ、そば  エベレスト周遊飛行機 町の中の 牛(牛は宗教上、神聖な動物で崇められている。食べるなんてとんでもない。ネパールでの食肉はヤク、水牛、とり肉。庶民は肉は滅多に食べられない))  


        
   カトマンズの商店街(騒音でうるさい)  香辛料専門店   ネパール料理専門店(全てが辛い)  スワヤンブナート(チベット仏教の寺)  パシュパティナート(火葬場)



ネパール・エベレスト、 ワンポイントコーナー

最終日、軽飛行機でエベレストの頂上近くまで飛び、感激の一瞬であった。また、ネパールの子供達の純粋な目が印象的であった。

ネパールの概要

 ・インドと中国の大国に囲まれた小国で、面積14万平方qは北海道・四国・九州を会わせた広さ。 人口2200万人。
 ・エベレスト(ネパール名ハサガルマータ、中国名でチョモランマ)を始め8000b以上は8つあり。

   ・世界の高い山

   1.チョモランマ 8848 2.K2 8611 3.カンチェンジュンガ 8586 4.ローツエ 8516 5.マカルウ 8463 6.チヨーオユ 8201  7.ダウダギリ 8167 8.マナスル 8163

 ・主産業  農業(富士山より高い4000bまで田んぼや畑があり)と観光(登山)。90%以上が農業に従事。    

  ・釈迦の生誕地。人口の70%はヒンズー教徒、ついで仏教徒、イスラム、キリストと続く。

  ・ネパールは30の民族(例 シェルパ族)、平均1ヶ月の賃金は2000円。

  ・主食  ご飯(タイ米みたいにボソボソ)にダール(豆の汁)をかけて食べる。野菜のカレーと漬け物がおかず。たまに、にわとり、ヤ  ギの肉。牛・豚肉は食べず。1日2食

    ・通貨  1ルピーは2円。コーヒーは20円。

   ・ホテルのチップ ポーター 10円、 枕銭 40円。

   ・車の代金 中古車100万円で税金300%かかり300万円となる。

トレッキング

 ・ネパールでは4000b以内をトレッキングといい、以上を登山と言う。入園料はぐーんと高い。

 ・トレッキングメンバー  15名(男9名、女6名) 30代、40代、50代、60代、70代。      日本人ガイド1名

    殆どが日本100名山を50以上踏破、海外登山の経験もあり。

   ・同行シェルパ  11名(男10名、女1名)

    サーダー 1(シェルパの長)、シェルパ(ガイド)3、コック 1、キッチンボーイ (コック見習い)2、

        ポーター 4。 他にゾッキョ 4頭。

   ・ゾッキョとは牛とヤクの掛け合わせ。荷物を運ぶ。
   ・言葉   ナマステ〜今日は、お早う、今晩は、さようならの全て含む。

      ビスタリ、ビスタリ〜ゆっくり、ゆっくり。
   ・ネパールの国柄  全てゆっくりズムで、飛行機も1〜3時間遅れるのは当たり前、連絡もない。トレッキング中の食事も1時間は待たされる。     2〜3日で馴れるからこれまた不思議。

 ・高山病 ほぼ全員経験。  頭痛、吐き気、食あたりで下痢。ドイツ製の高山病薬で直る。

  ・ホテル・エベレストビュー 3880bにあり、日本人経営者 宮原巍 ヒマラヤ観光開発(株)

 

 ・宿泊  全てロッジで2人部屋ベッド。下着・冬用シャツ・セーター・フリース・防寒具・カイロ・湯たんぽでも寒い。

   ・食事  コックは名シェフで日本人向けに料理してくれる。

   1/1最終日のメニュー

   ポタージユ・オクラ・インゲンの煮物・カボチャ煮物・サラダ(キャベツ、キューリ、ワカメ、トマト、タマネギ、ニンジン入り)・酢豚風(水牛肉・ピーマン・タマネギ・トマト入り)   ・そば・お好み焼き・マッシュルームスープ・ダル(豆、ニンニク、ショウガ入り)・ケーキ(高さ15a、直径30a)

   文字入り HAPPY NEW YEAR SEE YO AGAIN 
・歩行  1日 3時間〜7時間 日中は暑く半袖も可。1時間毎にレストラン風小屋があり、コーヒー・ミルクテイがあり20円 ・生活  シェルパや農村、山村の人々は風呂がなく、沐浴。だから、手も足も黒い?

・睡眠  夜は8時にはベッド、朝は5時に起床。眠くないけど寒いのでベッドで我慢。

 ・酒   高所のため、缶ビール1本でヘベレケ状態。皆怖くて飲まない。

 ・山の印象  高い前山の、更に奥に、白い峰峰が素晴らしく映え、白いと言うより純白に見えるエベレスト、ローツエ、タムセルク、カンテガ、アマダプラム等々は時間の経つのを忘れる。

 ・遊覧飛行  カトマンズから1時間の遊覧。2万円。エベレストからヒマラヤ群が全て目の高さで見られ、手でつかめそうな感じ。

 ・市内観光  ヒンズー教とチベット仏教の寺院が殆ど。印象的なのは、パシュパティナート(インターネットで見られたし)の火葬。この日は  4っの遺体を河で火葬にしていた。  

      その50b下流では、人々が髪を洗ったり沐浴したり…火葬の灰を流しているのに…

 ・出合い   山学同志会(小西正継、植村直己、坂下直枝、高久幸雄…)の高久幸雄さん経営するレストラン「バンバン」でいのしし  鍋を食べ、当時の苦労と近況を聞く。

 ・出合い2. 漫画家 沢野ひとし さんと道中・ホテル同じで、漫画を書いてもらう。

 

 ・王様    ネパールは非常に貧乏な国で日本の戦後の状態。だが、ビレンドラ現国王は世界で指折りの金持ちであるという。

 ・エベレスト登頂者

    日本人   84人 (男80人、女4人=その一人、田部井淳子)

    世界   1318人 

    遭難死数   5人

    平均年齢  37才

  ・エベレスト国別登頂者数
  ・ネパール人シェルパ 456人 ・日本人 84人 ・英国人53人 ・アメリカ 154人  ・ロシア人  59人  ・インド人 49人                                                                                                  以上


2.アンナプルナ・ヒマール  タンスンジャイテイ峰
                                                      
 ジョムソン         ムクチナート           
タンスンジャイテイ峰チャーメ

                             アンナプルナ街道


山岳連盟&サガルマータークラブ・タンスンジャイテイ(6084m)合同登山隊

 
山 行 記

200685()830()


      タンスンジャイテイ峰の遠景 (奥の白い峰)

登山計画の概要

  マナスル初登頂の年に、日本とネパールは国交を結び、2006年には国交50周年を迎えた。記念山行は、アンナプルナ北東に位置し、ベシサハールから北上、チャーメの手前コトよりラブセコーラに入る殆ど未踏のタンスンジャイテイである。

 隊 長 他15名

スタッフ

  ・代表アンバブ・シエルパ(日本語堪能)、・サーダ―〜チャンバ(エベレスト登頂)

  ・シエルパ〜キルキン、カミ(エベレスト3回登頂)、ラッパ、パーサン(日本語堪能)、

   チリ、アンパサン(アイスポールの神様)他   以上シェルパ8名

  ・コック〜プルナ キッチンボーイ11名         キッチン12名

  ・ポーター〜                          40名

                            スタッフ合計60名 

登山隊・総員                           75名

高所順応、富士山頂上小屋に1泊


ミーテング&訓練山行他


・4/14  打合せ会  連盟事務所
・5/14  交流山行  奥多摩・平石山
・6/18  交流山行  飯能駅・天覧山、ロープワーク
・6/23  打合せ会  事務所
・7/ 7  訓練山行  富士山 (4名)
・7/10  交流山行  奥多摩・赤ぼっこ(隊長他9名)
・7/14  打合せ会  連盟事務所
・7/22  梱包作業  隊長宅
・7/29  先発グループ出発(隊長他2名)
・7/30  訓練山行  富士山(2名)      
・8/ 5  羽田前泊  東横ホテルイン大鳥居前         交流山行、奥多摩赤ぼっこ
・8/ 6  羽田〜関西空港〜上海〜カトマンズ



◎ 医薬品

 ・整腸剤 ビオフエルミン  ・頭痛薬 バフアリン ・下痢止め         
  ・  風邪薬           ・リップクリーム   ・日焼けクリーム
  ・ 持病薬           ・目薬        ・ハンドクリーム   

◎ 共同装備
  ・酸素ボンベ    ・ダイアモックス     ・パレスオキシメーター
  ・ガモウバック   ・トランシーバー     ・背負子    ・衛生電話 
  ・フィクスロープ  ・スノーバー ・テント  ・医薬品

◎ 個人装備
   メインザック90L、サブザック30L、厳冬期用シュラフ、シュラフカバー、ザックカバー、エアーマット、雨具、折りたたみ傘、ウチワ、ストック、サンダル(鼻緒で無いもの)、トレッキングシューズ、高所用靴、ロングスパッツ夏冬、アイゼン、ピッケル、ハーネス、シュリンゲ  5本、カラビナ5本、管付き2本、エイトカン、ユマール、マウンテンジャケット上下、目出帽厚い・薄い、ゴーグル&サングラス、長袖シャツ、  登山ズボン、半ズボン、冬用下着上下、下着数枚、靴下数枚、ダウン上下、手袋2組、高所手袋、眼鏡予備、ホカロン、フリース、Tシャツ数枚  、帽子(日除け用)、ヘッドランプ、電池、ホィッスル、テルモス、割り箸、バンダナ数枚、石鹸、洗面具、物干し用細引き、トレぺ2・3個  、ビニール袋、ハンガー、時計、筆記用具、メモノート、カメラ、地図、コンパス、ナイフ、パスポート、出入国カード、ビザ申請カード、計  画書、ミニ電卓、日本のペットポトル2本、バンドエイド、ホテルに置くお風呂セット、えもん掛け

◎ 共同食料(副食)
 
 しば漬け、九ちゃん漬け、タクアン、ふりかけ各種、梅干、カンズメ各種、味噌汁の素、お粥、ほしさかな、せんべい、その他

◎ キッチン料理

  朝食・・・お粥、パンケーキ、卵焼き、ジャム、ハチミツ、ピーナツバター、コーヒー、紅茶、ココア、ミルク(粉末)
  昼食・・・ビスケット、ナン、ソーセイジ、リンゴ、ジュース、ゆで卵、モモ
  夕食・・・御飯、ラーメン、豆汁、サラダ、野菜炒め、スープ、豆の煮物、ポテト、ポテトチップ、シーチキン、鯖のカンズメ、味噌汁、もも(ギョウザ)



☆行程

   ・8/5 15:50 東横イン大鳥居前ホテル

     ・8/6  ・羽田 7:30〜関空 8:40  

     ・関空 11:50発〜上海空港14:00着〜17:00発〜カトマンズ22:30着

     ・カトマンズ空港からインターナショナル・ホテルへマイクロバスにて移動ホテル23:10到着。食事。

     ・カトマンズのホテル 23:30に20人乗りバスで出発。バス内で仮眠。

     ・8/7  ・カトマンズから夜通しバスに揺られて、ベシサハールに早朝4:45到着。

       まだ寝ているレストランの主人を起こし、早速レストランのキッチンを借りて、コックとキッチンッボーイで朝食を作り出す。この後、どのレストランでもひさ       

     しを借りて母屋を乗っ取るが如きの、キッチン・レンタル方式がネパール式の様だ。
  
        ・朝食メニュー:お粥・トースト・ゆで卵・紅茶・ジャムほか




   

          

      ・7:15 登山隊出発。クデイ(歩行時間3時間)までは、バスがあるのに歩く・・・不思議! 渡渉まであり、靴を脱いで渡る、先が思いやられそう。ブルブレでコックの作る昼食を2時間待って食べる。旨い。



      ・12:45出発、ナデイには14:10着。早いが、寝不足と35度くらいの暑さで疲れたので泊りとする。ミナロッジ宿泊。

8/8  ・ナデイ 晴れ 6時起床、7時朝食、8時出発(以後このリズム)

・SpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)96%、脈拍81 標高920m

・バウンダンダ10:00着。12:00まで昼食タイム。この村にはアーミーが待機し見張りをしている。マオイスト対策である。          

・12:45 ララビレーネと言う村で噂の「マオイスト」の洗礼を受ける。銃を構えてはいないが、10人程の若者集団である。異様な雰囲気で登山隊に緊張が走る。先頭のシェルパ・パーサンが通訳するには、通行税として1200ルピー(日本円:1800円)を払えというらしい。シェルパと隊長が相談の結果、この先でも遭遇するかもしれず、トラブルで危険が及ぶと厄介なのでおとなしく払う事とした。年長のマオイスト隊長は眼光鋭い。会計長に一人ずつ払うと律儀にも領収書が発行された。我々隊員は世紀のマオイストに遭遇したという事で緊張と好奇心で金を払う時、しっかり観察した事は云うまでもない。領収書を宝くじでも扱うが如きに、皆が大事に収めている。

                                                                

・15:00 Thamigaonの小屋に泊る。シャンゲの手前。レインボーホテルとある。対岸に落差300m程の滝がある。

8/9  ・Thamigaon 今日も晴れ。昨夜は大雨、屋根が鉄板で雨の音でうるさく直ぐ目を覚ます。所々穴が開いており、雨漏りでシュラフが濡れ、最悪。

     ・SpO2 97,脈拍82、標高1100m。

          
                        ・ホテルの向かいの山1500m位には、斜面に村がへばりついて水田が棚田になって                                       
                         いる。この先この光景が続く。マチピチュの連続で


     ・7:30スタート、JAGAT10:00〜12:00昼食、チャムジェ14:00、タールの手前16:35、レストランに宿泊。次の村タールが大雨で崩壊し、孤立状態。道が寸断し明日は大高巻きと決定。レストランの狭い一室に15人が雑魚寝。

     ・隣の物置で仔牛が夜通し「メ〜エ、メ~エ〜」と鳴き続け、全員寝不足。


      その物置には年寄り夫婦がわらの上で寝ている。不衛生極まりない。住環境どうのこうの以前の問題である。これがネパールの実態だ!

      8/10 ・タール手前のレストラン、またまた快晴、5時起床、6時食事、7時出発。

     ・Spo2 94,脈拍84、標高1700m.

     ・本日は1000mの高巻き、ロッジまで炎天下、10時間の歩行予定で緊張感が走る。こんなに過酷なのかと隊員に衝撃がみなぎる。

     ・昨日からロキシー(米・麦等の蒸留酒)ビール瓶で120円、ビール290円を

      通称ロキシー仲間である3人で登山隊終了まで連日飲む。

     ・50分歩行、10分休憩のパターンを維持。

     ・頂上1020分、標高2700m、バガルチャップ1620分、標高2060m

     ・途中青テントの茶店5件あり、この日水3リッター以上取得。疲労。

8/11 ・バガルチャップ〜タンチョク〜Koto13:30(泊る)

     ・SpO2 94,脈拍94、標高2490m。

     ・昨日までの炎天下での疲れと、高巻きの疲れで本日は午後休養とする。

     ・昼食を作り食べるのに2時間かかるので、本日からBOX弁当とする。

     ・高巻きの遅れで、予定より二日遅れとなる。午後は洗濯日とした。

     ・コトで入山手続きの署名、アンナプルナ国立入園料2000RS(日本円3200)

      トレッキングパーミットと併用。





コトの手前、マナスル(8,163m)の白い峰とタルチョはためく   コトのロッジ、夜明け前、月明かりに映えるラムジュンヒマール(6,931m)

     ・翌日朝、ラムジュンヒマール6931m、マナスル8163m、アンナプルナT〜W8000mクラスが視野に入る。



     ・余りにも疲れて、帰りのことを考えて、全員一致で帰路はヘリコプター一人2万円追加自己負担と決定。これが後日あだとなる。

8/12 ・コト7:00〜チャチヤ3100m、14:00Meta3525m,16:30(泊る)

     ・SpO2,96,脈拍75、標高2490m。

14:40ダルマサーラでポーターがこの先はきついので、今日はストップと言うが、ポーター代を倍額払うといい強引に二時間の急登を歩かせる。この後、何度かポーターのレジスタンスが勃発する。「ポーターのマオイスト」と相棒が命名する。だが、この後、ポーターの抵抗運動がこの登山隊の運命を正しい方向に導くのであったが・・・。果たして!

・本日のホテルは名前だけ。村は10件程あるが廃墟ばかり。一軒のみが家族3人で住んでいる。ノミが沢山居そうなベッド、シーツは洗濯したことがないような汚れた灰色、布団は触るのも嫌な雑巾のような物、だからこの日からテントとした。

ありました、ネパールにも笹の子が 廃墟のようなレンタル小屋 このポーターは14才 食事

・夕食にポーターと妙子さんが摘んだ、ワラビ・フキ・笹の子の山菜が出る.

8/13 ・Metaメタ35258:00Nearナール409512:00 昼食&テント泊

     ・SpO2 91、脈拍72、標高3525m。晴れ



廃墟のような町、ナール

     ・メタからはガレ場の急斜面を数百m下り、プー川の激流に架かる吊り橋を渡る。下を除くと百mはあろうか、思わず足がすくむ。今度は300mの急登、登り付くと古い廃墟のような大きい村がある。近づくと廃墟ではなく人々が住んでいる。屋根の柾のような薄い20cm程の正方形、薄さ2〜3cmの石を積んだ住まいだ。何百枚、何千枚も重ねた住まいである。数百年も住んでいそうだ。

     ・昼食後、出発の段になるとポーターがまた異を唱える。この先は夕方まで水場にたどり着かないし、テン場もないので嫌だという。シェルパよりポータ-の方が土地の情報に敏感である。止む無くテントサイトにテントを張る。

     ・我々登山隊の隊員は、午後休憩が取れるので内心ホッとする。

      

8/14  ・ナール4095m7:40〜谷下3800m〜チュンチェ4210m〜十字峡沢4245m15:40 テント泊。

      ・SpO2 75、脈拍76 標高4095m。

      ・ガレ場のトラバースが3箇所続き、バランスを崩すと百m下のヒマラヤの急流に飲み込まれそうだ。緊張が続く。左右から沢が入り込む平地にテント泊。後2日でいよいよBCの予定である。既にヒマラヤの円形劇場の真っ只中であろうか。 所々に牧場のヤクが群れている。

ポーターが休憩  高山牧場ではバター作り  ヤク


    


      ・数日前からテントは四人。

8/15  ・十字峡沢42457:40〜岬・渡渉前地点42658:40 停滞テント泊。

      ・SpO2 86,脈拍76 標高4245m。

      ・1時間でポーターが川の渡渉を拒否。ヒマラヤの水は冷たく、流れもきつく犠牲者が出ると言う。ならば高巻きと、隊長、シェルパが偵察。

      ・沢が2本あり、ガレ場崩壊で歩行断念との結論。何とも残念な話である。

       またもや、ポーターの先見性と情報力に軍配。隊長・シェルパも同意せざるを得ない。

強力なガソリンで食事を作る
  チベット仏教の信仰心厚いポーターは毎朝香を焚きお参り  ヒマラヤ劇場  目指すタンスンジヤィテイを前にして  地球温暖化の結果か、氷河の崩壊で水かさ多くここで断念

      ・午後、検討の結果引き返し、ニテイ・ピーク(5880m)に変更。

 

8/16  ・岬手前地点4265m 7:45 〜十字峡沢〜ナール谷下〜ナール テント泊

      ・SpO2 85、脈拍76、標高4365m。

      ・廃墟の村 ナールに戻る。最後のナールの急登300mはきつい。

      ・隊長が体験のためと、ナールの一般家庭へ訪問し、酒を飲ませてもらう。シェルパ一人を通訳に、隊長、高橋さん、私で丸木のハシゴを登り、二階の石つくり住宅へ。家族三人が愛想良く迎えてくれる。ロキシー120円、チャンというどぶろくは尼酸っぱい。座れと言うが土間のようで躊躇する。薄暗くお世辞にも綺麗とは云えない。戦後の日本の貧しさそのものであろう。世界でも有数の貧しい国と言うのが理解できる。


古代都市、ナール 幼い子供が、動物の糞を拾い燃料に 小学校の音楽の時間 周囲の山から、無料の水が。炊事・洗濯・沐浴

8/17 ・・・ある日の詳細・・・

・ナール4095 8:00〜ナールの丘4150 8:30〜丘の中腹42709:15〜草原439510:00〜ジャンブカルカ・キャンプサイト(峠の手前)4435 10:50

      ・SpO2 85、脈拍77、標高4095m。晴れ。朝6時の温度10度。

       ・疲れとこれより先は800mの登りで本日中にテン場は難しいので泊りとする。

      ・洗濯と日向ぼっこと昼寝、休息日。

      ・6時起床、7時朝食、8時出発。風邪の症状四人、高山病の現われか?

      ・朝食〜お粥・パンケーキ・卵焼き・タイナの煮物・ふりかけ・テイ・ミルク

      ・今日の予定〜ニテイピークに変更の為、カンダパス峠に向かう。峠下でテント泊の計画。今日は標高差500m位の4時間歩行との事で安堵感。

      ・ナールの村〜人口300人位だろうか、標高4095mの富士山より高い所に石垣の住宅。周囲の山は5000m6000mであろう。白い頂が雲の合間から顔を出す。その山から流れる氷河の川が住民の水源となる。村のあちこちに水は出っぱなしだ。食事・沐浴(ネパールでは風呂の慣習がない)・洗濯全てをまかなう。豊富な水量のおかげで、水力発電の電気が灯る。裸電球。

       村の周辺の僅かな平地には麦畑と野菜畑(タイナ・大根等)がある。高地ゆえ水田は出来ない。冬は積雪が1m、多いときには5mにも及び、家畜の餌が無く、動物は殆ど死んでしまう。代表的な家畜はヤク・水牛・牛・山羊・馬・ニワトリ。学校があったので訪問、小学生の歌に登山隊の皆が聞きほれる。お礼に数人がお金の寄付をしていた。

       周囲の山のピークには神を祭るポールが立っており、旗がなびいている。その神神しい神様が見下ろす平地の草原、キャンプサイトの、我々男どもは平気で野糞をしている。やはり気まずいのか、便秘もようなのか、思うようにいかない、神のたたりか・・・。この村でもロキシー、チャンと言う酒を各家庭で造って飲んでいる。冬の寒さに耐える為とか。石造りなので、隙間もあり寒いのであろう。暖房は夏冬年中薪ストーブである。

      ・峠手前のキャンプサイトの夜、この日朝ダイアモックスを半分飲んだ為か、小便に1時間毎に起きるハメとなる。満天の星、月、に見とれる。暗闇に見とれる登山隊の隊員がそこここに要るではないか。トイレと、昼寝をしたので眠られない症候群メンバーである。   


 
峠手前のキャンプサイト 

8/18  ・ジャンプ・カルカ・キャンプサイト(峠下)4435 7:50BC(氷河前)5065 11:50

      ・SpO2 81 脈拍 75 標高4435 晴れ 気温5

      ・右手・東に氷河を見ながら急登を600m登る。テン場にはタルチョがはためいている。テン場のピーク近くには小さな氷河湖があり、そこから水を汲むようだ。対面の5400m地点には氷河が見える。明日はそこからアタックするようだ。

8/19  ・BC 5065 4:00〜氷河取り付き5:30〜デブリ53509:30〜テン場12:00

      ・SpO2 78、脈拍77 標高5065m 晴れ

      ・さすがシェルパ、1人1人のハーネスとシュリンゲを確認している。明るくなった6時に、三班五人に分けて、一班の先頭の私から氷河に取り付く。勾配がきついのでフイックスロープが張られており、ユマールとピッケルで登る。早朝ゆえアイゼンが利いて心地よい。一時間位の傾斜が緩い所で全員休憩、後にはアンナプルナのT〜Wが見事に映えている。シャッターチャンスである

カンダパス峠5,300m付近  氷河の取り付き アンナプルナV峰 アンナプルナT峰 

・三時間後、5350mのデブリ地点で、先に偵察のシェルパが、上部の岩稜が崩          

れやすくフイックスロープも張れず危険という報告。協議の末、断念と決定。またもやピークを踏めず。下山。

8/20  ・BCテント 5065 7:45〜峠の頂上 5300 825〜フムデ峠上 4235 1005〜フムデ3300 1330

      ・SpO2 78 脈拍 80 標高5065m。

ニテイピーク5,350mのデブリ地点背後にアンナプルナ   ヒマラヤで見る朝日



      ・下山開始。今回、4000m5000mに数日テント泊したが、殆どの隊員が重い高山病にかからなかった。停滞やポーターのストでゆっくりを余儀なくされたのが効を奏した皮肉な結果であろう。そのポーターの数人は充分な服装でなく、高所の寒さに何日も耐えられなく風邪をひき、下山したそうである。過酷なのである。シェルパがごみを焼却するのに苦労している。酸素不足で、いくらガソリンを掛けても燃えずらいのであろう。

      ・峠頂上の5300mから、フムデ3300mまでは2000mの下りである。翌日、登山中始めて筋肉痛となった。

      ・4620m、アンナプルナ山群のKang La Pass(カンダパス)峠で、珍しいブルーポピーを発見し皆で写真に収める。1130ナガルにて久し振りに美味しい昼食をとる。登山隊の半数は大きな寺見学に行く。

      ・フムデの町はそれなりに大きく飛行場もある。アンバブがヘリコプターの手配で先にロッジにて待っていた。登山隊に旨いヤクの肉を食べさせたいと、二頭のヤクを村人に用意をさせていた。昼下がりの1400、早速、隊長、勇本、高橋各氏とロキシーで乾杯、肉を堪能する。実に旨い。


 幻の花、ブルーポピー  野生のヤギ

      ・フムデの町を峠から見下ろすと、町のあちこちにピンクのじゅうたんをひいた様な風に見える。下に行くとそれは蕎麦畑であった。日本のそれは白だが、ここネパールは全てピンクなのである。まさに桃源郷の世界である。




フムデの蕎麦畑    

      ・夜はその蕎麦の生団子に垂れをつけて食べる。淡白で旨い。ネパールでは日本の蕎麦としては食べない文化なのだ。そしてヤクの肉をたらふく食べる。町に下山した実感を登山隊全員で味わう。食後、町の居酒屋をロキシー仲間で二件ハシゴする。ツマミはゆでた芋である。寺の尼さんが二人、居酒屋にいたので交流を図る、と言うよりホステス代わりにひやかしたというべきか、神のたたりが無ければよいが・・・。

 

8/21  ・フムデ3300 750〜チャーメ 2640 1350 マシャンデイ・マンダラホテル泊

      ・SpO2は下山したので計測しない。


 キャベツ畑 アーミー 

      ・途中、崩壊場所でアーミーの兵士がハッパを仕掛けており、40分足止めをくう。ネパールはハッパを使わなければ、人力によるツルハシ、スコップの超原始的土木作業である。日本のような建設機械は何も無い。

      ・午後はフリーなので、隊長を先頭にまたまた居酒屋めぐり。山羊(カシ)の肉を辛いたれで食べるがこれまた美味い。辛いネパールの漬物も美味い。ロキシー、チャン(ドブロク)を飲み、今日もハシゴ!!

8/22  ・チャーメ2640m 滞在日 [2泊目]

      ・予約したヘリコプターは明日なので、本日は待機日。

      ・昼下がり、ホテルのベンチでうたた寝をしていると、日本人10人位の登山隊が挨拶をする。聞くと、長野の池隊長他であった。隊長と情報交換。隊はチョーオュ8201mに登る為、近くのピサンピークに訓練の帰りと言う。

      ・退屈なのでまたもや居酒屋回り。カシ(山羊)、ヤクの肝臓の肉をタマネギ、香辛料、唐辛子で炒め、カレー粉で味付けする。美味い。ハシゴすると狭い村ゆえ、登山隊仲間、シェルパと合い合流、また盛り上がる。

8/23  ・チャーメ 2640m 停滞日 「3泊目」

      ・ヘリコプターは1機チャーター50万円。1人2万円追加払いの予定。

      ・民間ヘリを予約してあったが、前日ルクラへ飛んで、天候が悪く戻れないとの事、午後は西ネパールの災害事故で優先的にそちらへ飛んだので来れないとの結論。ポーター36名はヘリコプターに乗れないので、給料をもらい歩いて帰る。これが後に災難となる。

      ・ヨーロッパ系の若い女性2名が、ヘリコプターに乗りたいと同じように待機する。

8/24  ・チャーメ 2640m 停滞日 「4泊目」

      ・朝、民間のヘリは当てにならないと、隊長とアンバブ・シェルパが軍のヘリをチャーターしたというので、8:30原っぱのヘリポートで待つ。

       しかし12:30まで待つも来ない。外人女性2名をヘリに乗せるので、シェルパの多くを歩いて帰させると言う隊長に、何故ですかと問うと、少しでも割り勘代を安くするためと言う。

      ・また居酒屋で時間をつぶす。15:00 宿泊を安いロッジ「山荘」と言う名前のロッジに変更して明日に期待する。路銀も心細くなったのであろう。

8/25  ・チャーメ 2640m 停滞日 「5泊目」

      ・ポカラの小型ヘリ5人乗りを、3往復で契約できたとの報告。しかし有視界飛行なので、ガスが多く今日も飛べない。ポーターとシェルパは歩いて帰ってしまう。シェルパ3人のみが残る。

8/26  ・チャーメ 2640m 8:10 〜コト〜バガルチャップ 20821315「泊」

      ・チャーメは晴れ、期待したがポカラが悪天でヘリはあきらめる。既にカトマンズから日本への飛行機も3日遅らせた。出費がかさむ。現役の勤め人は連絡で大忙しである。ネパール航空も特例で無料延期をしてくれた。

      ・いよいよ歩きである。ポーターを新たに雇い、シェルパ3人と歩き出す。既にキッチンもいなく、村のロッジの食事は油が悪く食べられなく、安心なゆでたジャガイモとゆで卵でひもじい帰り道。ワビシイ!!!

8/27  ・バガルチャップ20826:00〜高巻き〜タール16:00〜ジャガット136018:55 遅い人は21時の到着である。

      ・1日中、雨の中を1000mの高まき。ポーターは難所で既に1日遅れ。

      ・登山隊の金も底をついたようで、食事は各人負担。もう敗残兵そのもの

      ・隊員の気持ちも疲れ果てて、自己中心となる。

8/28  ・ジャガット1360m7:30〜バウンダンダ〜クデイ〜ベシサハール760 19:30

      ・マオイスト、今日は出現せず、怖いもの見たさの期待は裏切られた。

      ・バラバラになった隊列と、心をもう一度一つにしてクデイまで歩く。18:30オンボロバスに揺られて登山基地のベシサハールに着く。やっと終わったと言う安堵感でビールが格別美味い。乾杯!

      ・夜10:30、ポーターはついに来ない。荷物をあきらめて深夜バスに乗り込む。またもや、強行軍! 早朝のカトマンズに向けて。

8/29  ・早朝4:30 カトマンズのインターナチョナルホテルに着く。早速温かいシャワーを浴びてビールでまた乾杯。久し振りのまともな朝食、洗濯と仮眠。

      ・昼食に日本レストラン「ふるさと」へ、皆でカツ丼、美味かった。そして御土産選び。ヤクのポーチやカレンダーを値切って買う。

      ・シェルパ・パーサン・カジが自宅に招待したいと迎えに来る。5人で子供の土産を買い、遊びに行く。可愛い奥さん、めんこい子供二人が出迎えてくれた。ロキシーとチャンをご馳走になる。


             


      ・夕食にまた「ふるさと」で豪華食事?サバ煮他。飛行場20:30、ぎりぎりにアンバブがポーターと共にニコニコしながら荷物を届けてくれる。

       22:50 3日遅れで飛行機の人となる。上海経由。一路関空へ。

8/30  ・2時間10分の時差で、関西空港11時過ぎ到着。解散。

      ・3日遅れの為、航空券は払い戻しなし。新たに38,900円で千歳行きを求め、13:10発、千歳15:00着、自宅に16:00帰宅、長い辛いヒマラヤであった。

      ・体重70sが63s、減量にはヒマラヤが一番!

ネパール学入門

     人口 約2500万人(東京・埼玉・千葉を合わせたと同じ人口)

     面積 147万km2(北海道の約2倍)

     位置 インドの北

     首都 カトマンズ(標高1350m)

     言語 ネパール語、英語

     宗教 国王の宗教でもあるヒンズー教が国教であり、信徒も国民の9割。

     南ではインドから入ってきたヒンズー教が強く、北のヒマラヤ山地ではチベットから来たチベット仏教の影響が根強い。

     通貨 ルピー 1RS(ルピー)=日本円 1.5円

     識字率 (読み書きが出来る率) 54%(男68%、女28%)日本は99.8%

     経済格差 GNP 150対1

     小さな小学校6教室の建設費は日本円で50万円〜100万円

     50戸の村に電気を灯すには300万円~500万円

     ネパールの国家予算の40%近くが外国の援助であるが、それでも貧困層になかなか届かない。

  ・ 経済 人口の大多数は農業。食料はほぼ自給。山また山が重なる奥地まで小道が続き、山の急斜面を利用して、狭い段々畑がつくられており、何とか人々の命が支えられている。農機具はスコップ、クワ以外殆どなく、裸足に素手で田んぼのあぜ道を造っている。

  ・ 音楽と宗教 世界の歴史上、貧しければ貧しいほど、音楽や歌声が絶えない。喜びと悲しみ、祭りに儀式に。アフリカ黒人の間に生まれたジャズやフラメンコなども典型であろう。そして宗教、貧しければ尚一層信仰する。ネパールには330万の神さまがいるという。彼らは生活の苦しさを神に祈るのであろうか。道ばたにある石や祠にも人々は礼拝している。

     ヒンズー教とチベット仏教

ネパールの国教はヒンズー教で、国民の9割が信徒だが地域によって変わる。標高2500m以上の山岳部になると、チベット仏教圏に入る。チベットはネパールの北に位置し、中国南西部の自治区で首都はラサ、ヒマラヤ高地に位置する。インドから仏教が伝わり、ノーベル平和賞を受けたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマにより更に広まり、ネパールの高地にも広まる。なぜ、2500mの上と下とで宗教が変わるかと言うと、これは宗教儀式と絡んでいると言う。ヒンズー教徒達は水をたくさん儀式に使う。毎朝沐浴(入浴はせず、髪や体を水や湯で浴びる事、宗教的な儀式をも意味する)をする。いわゆる体を洗うということが儀式となっている。

ところが2500m以上になると、沐浴する為の水が無い。氷河から流れてくる溶け出した水を使って生活をするのだが、そういう所で沐浴をすると肺炎になってしまう。

儀式行動そのものが成立しないわけである。そういうわけで、ヒンズー教が2500m以上には広がらなかったそうである。

 

     ヒマラヤは海の底であった。

太古の昔、ヒマラヤは海の底であった。3,000m以上はアンモナイトの宝庫である。その証拠にアンモナイトは海の中の動物である。そしてヒマラヤでは岩塩も取れる。

今回のヒマラヤ遠征中でも、ナールからニテイ・ピークへの4000m地点の丘で、アンモナイトの化石を数人が短時間で発見し、感激していた。

ヒマラヤのインド亜大陸はもともとアフリカ大陸と一緒だったが、分断されどんどん北上し、ユーラシア大陸にぶつかり、もぐり込み運動の結果、海岸の海が高くなり、現在の8,000m級のヒマラヤ山脈を形作った事は知られている。

ヒマラヤ山脈というのは非常に不思議な山で、山の上へ行けば行くほど、太古の海に出会えるということである。

同じ現象が日本の丹沢、伊豆半島にも見られる。フイリピンプレートから離れて日本列島に衝突して出来たそうである。

北海道日高・幌尻岳もまた同じ現象であるという。

     ヒマラヤの山

白く輝く神々の座「雪の家」を意味するヒマラヤ。東西2800q(日本列島は3500q)にわたる大山脈には8000mを越える巨峰が14座、その内8座はネパールにある。

1.エベレスト   8848     8.マナスル      8163

2.K2      8611     9.ナンガ・バルバット 8125

3.カンチエンジュンガ   8586     10.アンナプルナT   8091

4.ローツエ    8516     11.ガッシャープルムT    8068

5.マカルー    8463     12.ブロード・ピーク  8047

6.チョーオユ   8201     13.ガッシャープルムU    8035

7.ダウラギリ   8167     14.シシャパンマ    8013

 

     ネパールの人々の暮らし

王様は世界有数の金持ちだが、世界最貧国の下から数えたほうが早いネパール。給料の良い公務員でさえ、月に日本円で6000~8,000円の収入。電話は6万円、公務員の1年分の給料が必要。

登山隊に参加するシェルパやポーターの日当は300円〜400円、しかし毎日の仕事は保障されていない。土木作業員でさえ日当200円である。

日本はネパールへの最大のODA(政府開発援助)供与国である。日本にとっても、国別の無償資金援助実績において、ネパールは8位にある。

 

ネパールの平均寿命

  ネパール人の平均寿命は男51才、女50才。死亡率の大きいのは感染症、特に衛生設備の不備、栄養上の貧しさ、予防対策の不備、便所・水道の不備による寄生虫症の病気が流行する。ネパールの乳児死亡率は日本の30倍あり、成人に達せずに死亡する子供の90%は出生から5才までに集中している。お産は国の施策で無料だが後が悪い。

  登山中、トイレで寄生虫を何度も目にした。イスラム圏もそうだが、ネパールも左手でお尻をふく慣習が今でも続いている。ペーパーが買えないのだろう。その左手は水桶の水で洗うだけである。だから左手は不浄の手、食事は右手の素手となる。ネパールでは左手で子供の頭を撫でたりすると怒られる。宗教と生活の考え方が特殊なのである。登山隊のコック達はその左手で野菜を掴み、右手に包丁・・・仕方ないか!

     ネパール人の食事

シェルパやポーターの食事は質素である。日常食はダルバート。ダルは豆のスープ、バートは御飯、これにタルカリというジャガイモかカリフラワー、青菜のカレー炒め一品である。ただし御飯は食べ放題、茶碗で3〜5杯位を食べている。御飯とスープ、野菜を混ぜ合わせて右手で食べる。カレー味は香辛料が沢山入っており、辛さで一気に食べるのであろう。ポーターの1回の食事は30円前後のようである。町の人々もほぼ同じ内容だ。肉は1年に数回しか食べられない。

大多数の人々は朝10時頃、夕は7時頃で2食しか食べない。食べられないのかも・・・

一方、山村に行くと御飯は贅沢品、ヒエ・とうもろこしの粉を練って食べる。

あまりにも貧しい食文化である。日本はグルメ過ぎて問題になっているが、最近はネパールの様な質素な食事を好む傾向になりつつあるが、観点が違う。

 

     蕎麦の花

ソバの原産地は東アジア、朝鮮経由で日本に入ってきた。奈良時代には非常食として蓄えるように、天皇の詔が出たと記録にある。70日〜80日で収穫され、除草もさほど必要なく、やせた土地や斜面でも栽培でき、山間部や食糧事情の厳しい所では貴重な作物である。ネパールでは、ヒマラヤ地方特有のピンクの花が見事である。

 

     マオイスト

登山中、早くも2日目にマオイストに遭遇した。バウンダンダとシャンゲの間の小さな商店の前である。アーミーのいるバウンダンダから歩いて45分の至近距離である。彼らはアーミーの目を逃れるように出没するようだ。

1990年からネパール政府に対して武力闘争を続けている反政府組織、共産党毛沢東主義派マオイストは外国人を攻撃対象にしないことを表明している。しかし「トレッキング・パーミット料」と称して寄付金を請求される事がある。云うならば追いはぎ、盗賊である。

まさにそのマオイストが1200ルピー、日本円で1800円を払えという。特に武器は所有していないが、皆眼光鋭く、統制も取られている。10人位はいそうである。

隊長とシェルパが相談の結果、この先また出現するかもしれないし、危険が及んでも困るので個人的に払ってくれという。隊員は未知との遭遇、かなり遭遇を期待もしていたのか、文句を云う人はいない。むしろ積極的に払いたいふしが伺えたから不思議である。

一人一人並んで払うと、領収書を会計長からもらう。さも大事そうに財布の奥にしまいこむ。これを見せると重ねて請求はされないという。

まるで文明開化の為に、坂本龍馬に寄付をするがの如く、協力しているようだ。

その後の登山中、ポーターの若い連中が、危険場所や無理なスケジュールがあると何度も異を唱えて、ストライキをしていて、シェルパや隊長を困らせていた。

隊員の1人はそれを横目で見ていて、ポーターのマオイストと言う。文化の遅れたネパールでも、若者は正しい主張をするようになりつつあるのだ。

     マニ車とタルチョ

マニ車は中に経文が書かれており、回す事で呪文を唱えた事になる。より多く回す事で効果が期待できるとされている。手にもって回す小さなマニ車もあり、暇があれば回している年寄りが目に付く。大きなマニ車は町や村の出入り口にあり、通る度に皆が手で回している。

タルチョは布に経を書き、風にふかれる事でその経文が読まれた事になるという、チベット文化圏の風習である。寺院や峠、橋などに五色の旗として用いられる。

青は空、白は雲、赤は火、緑は水、黄は大地を意味している。

     動物達

     

  ヤク(高山牛)はウシ科の動物。体長3m、体重500s程度、長い毛に覆われている。

  暑さに弱く長い角をもつ。野生のヤクは6000m程度の高地に生息している。

  家畜として荷役用、毛皮用、乳様、食肉用、ヤクのバターを灯明にしたり、茶に溶かした「バター茶」が飲まれている。フンは乾かして燃料として用いられる。

  ゾッキョはウシとヤクを掛け合わせた動物で、主として荷役用として飼われている。

  は神聖な動物でネパールでは食べない。他に山羊、鶏が飼われている。

  町や村、登山道のあらゆる所にヤクやゾッキヨ、牛、馬のフンが落ちており、除けて歩くのに一苦労する。

 

     教育

ネパールの教育の実績は、貧富の格差がそのまま反映されている。義務教育制度はないが、教育を受ける権利は保障されている。小学校5年、中学校3年、高校2年の10年制。小学校5年間の教科書は無償だが、国から支給される学校の維持費の不足分が払えずに、辞める生徒が多いという。ノート、ボールペンを買えずに辞めるのが現実である。

一時、イギリスの植民地化していた影響で、英語は小学3年生から習うため、英語を話せる文化となっている。

 

     高山病

高山病の予防。ゆっくり歩く・防寒を心がける・3,000m以上では1日の高度は500m程度にする・1日4〜6gの水を飲む・高度順応の休息日をとる・砂糖入り紅茶でカロリーを補う・腹式呼吸をする・テン場についても直ぐ寝ないで散歩する・食べ過ぎない・ダイアモックスの服用・重傷ならば5001000m下山する。 

高山病の症状 眼がうつろ・眼が見えなくなる・口が利けなくなる・手足が硬直・風邪をひいた現象・頭痛・動悸・食欲不振・吐き気・不眠・呼吸困難・異常な行動等。

高山病も辛いが、雨のときのヒルも気持ち悪いし、嫌らしい。ほぼ全員が洗礼を受けた。

 

     ネパールの観光見所

1.ボダナート      ヒンズー教とチベット仏教参照

2.スワヤンブナート         同上

3.パシュパティナート  火葬場もあるネパール最大のヒンズー寺院

4.ダルバール広場    旧王宮や寺院がある。

5.パタン        古都

6.タメル地区      ホテル・レストラン・土産物屋・スーパーが建ち並ぶ

       

     エベレスト

英名でエベレスト、ヒマラヤを測量したイギリス人ジョージ・エベレストにちなんでつけられた。チベット名でチョモランマ、「大地の母」。ネパール名でサガルマータ、「世界の頂上」

・エベレスト登山の代金〜ネパール政府に登山料として、安いルートでも1人300万円、最大7人グループの割引でも1人120万円が必要。

              トレッキングの国立公園入域料は日本円1人3000円。

     日本人初登頂者〜植村直己他2名、1970年。

     日本人登頂者数〜120名(内、女性9人)

     日本人登頂者の平均年齢〜39才

     日本人遭難死者数〜6人(男4人、女2人)

     世界の登頂者数のべ人数〜2557人(2005年現在)

     世界の遭難死者数〜193人

     国別登頂者数(2003年現在)

   ネパール人シェルパ730人、アメリカ人235人、日本人106人、ロシア人76人、英国人68人、インド人66人、フランス人58人、中国人56人

 

     ネパール語

  こんにちは、さよなら〜ナマステ

     ありがとう〜ダンニャバード

     お湯〜タトパニ (熱い〜タト、冷たい〜チソ)

     ゆっくり〜ビスターリー

     総 括

1度目のネパールはエベレスト街道で、カトマンズ〜ルクラ〜ナムチェバザール〜エベレスト・ビューホテルまでであった。年末年始で天候も良く、エベレストを見ながらのトレッキングであった。ツアーの主催で問題は何もなかった。

他にヨーロッパ・モンブラン、イタリア、アフリカ・キリマンジャロ、マレーシア・キナバル、ニュージランドと海外遠征を続けてきたが、今回のヒマラヤ遠征は一番辛く、過酷であった。

ベースキャンプまで10日間も炎天下を長時間歩き、雨季の為氾濫した氷河の川で登山道は崩壊、止む無く1000mの高巻きや停滞で結果的にピークは踏めなかった。また変更の山のピークも踏めず散々の遠征であった。

原因を総括した。 1.当初の未踏峰が無理で変更したとは言え、情報不足と調査不足であった。シェルパを偵察させるべきであった。 2.八月は雨季でもあり、川の氾濫、崩壊を予知し、場所を選ぶべきである。  

  3.ポーターの4回にもわたるストライキ、だが一番下層のポーターが村民から情報を的確に得ており、正しかった。シェルパの情報力が劣ったようである。 
  4.ポーター、シエルパを途中解雇のタイミングが悪すぎた事と、ネパールの国の災害に遭遇したことも災難であった。

   しかし、袖すり合うも多少の縁で、多くの方々との知己を得た。1ヶ月も寝食を共にして、ヒマラヤの厳しい自然と素晴らしい純白の山を眺める事も出来た。

  隊長の人となりにも触れた。副隊長の個性にも傾注した。特に副隊長の個性は忘れられない。長野・上田の出という。笑わない、寡黙である、近より難いオーラもある。   
  どこか真田雪村を彷彿させる何かがあった。他の人にも同様、思い出はたくさん。


                                                                                              終わり



3.ランタン・ヒマール   スリヤ峰

330万の神々に歓迎されたスリヤ峰登山隊

ヴィシュヌ神が眠るというゴサインクンド、ここはヒンズー教徒の聖地だ! その聖地から見上げる高所にスリヤ峰がある。
        煩悩の数と同じ108個の湖を従えてそびえている。スリヤとはヒンズー教の「太陽神」今まさに太陽が我われを迎えて
         くれようとしていた。2007年1月3日12:05分〜13:00、神秘の一瞬である。

ランタンヒマールスリヤ峰(5144m)登山隊

2006年12月26日〜2007年1月18日

登 山 概 要

目標ルート  スリヤ峰(5144m)西稜ルート ランタン地区

目   的  当山岳会として初めての海外登山隊を結成。ヒマラヤ

       の感動と興奮を味わい、素晴らしさを体験する事が目的である。

隊 構 成  ・先発(12月26日出発)・・・4名

       ・本隊(12月28日出発〜1月8日帰国)

          隊長他6名
スリヤ峰(5,144m)頂上を望む

登山隊メンバー

       隊長         男 36才

       副隊長        男 47才

       登攀隊長・撮影    男 44才

       食料・梱包・輸送   男 61才

       装備         男 50才

       医療(薬)      女 46才

       医療(体調管理)   女 47才

       記録         女 59才

       会計         女 37才

       保険         女 60才

                             以上10名

現地スタッフ

       SHERPA SUMMIT TREK(P.)LTD

       Ang Babu Sherpa(アンバブ・シェルパ)

       TEL 977−1−4432858、4440489

       FAX 977−1−4432851

       E-MAILangbabu@wlink.com.np

         サーダー         アン・バブ 43才

       クライイング・シェルパ  アン・ガミ 25才 エベレスト3

           同上       アン・カミ 41才

           同上       ラクパ   26才 エベレスト1回

       シェルパ         キナ    37才 ロキシーおじさん  

      シェルパ         バルデス  日本語少し

       シェルパ         ツエデン  35才 メガネ

       コック          プルナ・カジ

       その他キッチンボーイ・ポーター  40名内外

行 動 状 況

12/26  先発出発 千歳19:20 関空12/27 1:25

12/27   午後カトマンドウ着 装備確認・両替・レンタル品用意・装備購入

12/28  観光

12/29  本隊到着 車2台 betrawatiの田んぼにテント泊 標高590m

12/30  ベトラワテイ〜ドンチエ(車)〜シンゴンパ     3254m

12/31  シンゴンパ〜ラウナビナヤク〜シンゴンパ      3254m

 1/1  シンゴンパ〜ラウナビナヤク            3930m

 1/2  ラウナビナヤク〜ゴサインクンド          4312m

 1/3  ゴサインクンド〜スリヤ峰(5144m)ゴサインクンド   4312m

 1/4  ゴサインクンド〜シンゴンパ            3254m

 1/5  シンゴンパ」〜ドンチエ              1950m

 1/6  ドンチエ〜カトマンドウ              1300m

 1/7  カトマンドウ観光

 







山 行 記 録

・出発前の準備

                               

・2006年7月から赤岩の岩トレ、
大雪山・旭岳でのユマール訓練、そして上ホロ訓練が数度と続く。

・ミーテングは20〜30回? 覚えていない。

・ネパール料理も札幌で食べたっけ!
・ザックにシュラフ、アイゼン、ピッケル・・・毎回心躍る瞬間だ。

・計画書・隊員名簿・スリヤ峰地図を広げて、晩酌の一杯がこれまた格別。至福の時間なり・・・ウシシ〜。

・ネパールの本は半年間、愛読書になった。この位、学生時代に勉強していたならば、私の人生明かるかっただろうに!! 

・ノマドの高所順応のチャリンコ乗りにも3度通った。E〜幡さんとハタハタコンビで。
・航空券をノマドから購入したので、特別料金。1度目はタダ、2回目からシェンエン。3度行った。効果?

・おせんにキャラメル・・・共同食料を智織ちゃんの協力で、西友清田店の中の100円ショップで買う。
・しば漬け、九ちゃん漬け、ふりかけ沢山、梅干、カンズメ、味噌汁の素、昆布類、冷麦、インスタントラーメン、
       合計6Kg・・・これが先発隊の荷物制限につながった、トホホ!!

・狛さんからの差し入れ!
 クジラのカンズメ〜これが美味!!隊員10人が奪い合い。ホタテも旨かった、
 しかし俺は少〜し
しかたべていないぞ〜。 有難う、狛さん。

 

                ・いよいよ出発

 12/26 千歳空港19:20発〜関空21:301人20sの預け荷物、4人で89sがOKとなり、先ずはホッ! 

 関空 12/27 01:25発 タイ空港 バンコで5時間内外の待ち時間。左下はタイらしい空港内のロボット?
  個室に入ろうとしたら、そこはイスラム教徒専用と聞き、あわてる。見るとMUSLIM」と書いてあった。

 ・12/27 2時間遅れでカトマンドウ・トリスバン空港に到着。アンバブ迎え有り。 例によって、生花のレイをかけてくれる。


  ・タメル地区の「インターナショナル・ゲスト・ハウス」に荷をほどく。

 ・夜はアンバブから韓国料理店を紹介される。

 ・ホテルはE〜幡さんと同室。ダブルベッド?

  

 

        


 


12/28 は午前中 観光。


    
 

                 写真上の右は繁華街タメル地区のリキー車                 

                 左端がボダナート、チベット仏教でネパール最大の仏塔。

                 2番目はパシュパテイナート、ネパール

                 最大のヒンズー教寺院に隣接する火葬場。

                 黄色が遺体。焼いた遺体は川に捨てられる。地に帰るらしい。この川はやがて

                 ガンジス川に続く聖なる川という。

                 

                 ・ダルバール広場は旧王室で今は博物館

                 ・左から4番目、広場前のホテルのダルバート料理。 

                  ダルは豆のスープ、バートは御飯、

                  タルカリという野菜のカレーと漬物

                  これが、ネパールの一般的定食。おかわり自由。              

                  山のロッジは殆どコレ、30円前後。

 

午後は買物と装備点検、購入、レンタル品の借り入れ。

翌日、12/29午前は本隊到着前に全員の両替。1万円で5850ルピー。

12/29

   14:00本隊到着。ランクル2台に5人づつ、そしてシェルパ6人も

   後部座席に。大型バスにキッチンやポーター、装備を積んで先行。

   18:00過ぎ、夕食。早速ダルバート料理。女性2人は車酔いで

   夕食食べられず。N田さん2回もおかわり、シェルパもビックリ。

    ロッジ裏の河原の近くの田んぼ後にテント泊。

12/30

ドンチェの町(標高2,030m)、ここから歩き出す。

   ・5:30起床、6:30朝食、7:30出発。

   ・マオイストに一人500ルピー取られる。アンバブ隠れる様に払う。

    マオイストの出現はネパール人にしても、頭の痛い現象なのだろう。

   ・ドンチェ11:00到着。ここから歩き出す。

ポーターの殆どをこの村で雇う。30名位。女の子や14才の男の子もいる。
・17:20 シンゴンパ到着          

12/31

   ・シンゴンパ(標高3,254m)〜ラウナビナヤク(3,930m)〜シン  

    ゴンパ(高度順応日)

   ・NA田さんSPO2が45で全員あわ

    てる。酸素吸入する。本人は症状は

    ない。

   ・コックのプルナが「HAPPY NEYU YEAR」のケーキを作ってくれ、

    隊員感激。

                    

    シンゴンパのロッジ      シンゴンパ〜ラウナビナヤク

1/1

 ・シンゴンパ朝一番のSPO2と脈拍・・・ 高山病現象現る。

 隊長 88−88  E〜幡  85-110  ツ井 89-88 U木81―113

 N田 86−100  H幡 91-75   智織 85-96

 NA田 31−103  MYO 87-68   N尾 83-100

 

 ガネッシュ連山(7,000m峰) ランタン・リルン(7,234m) ラウナビナヤク(3,930m)にて  

 1/2

  ラウナビナヤク〜ゴサインクンド  隊員の何人かは高山病の気配だが、

  調子が悪くないので、2日早めて1/3登頂日と隊長が決定。

 ・隊長、副隊長、アンバブ、アンカミ、アンガミでルート工作に出る。

  隊長、ここで体調を崩したもよう。

 ランタンの朝焼け

 

 

 

 

                           ラウナビナヤク上部の祠

            1/3    ・3:30起床、4:00朝食 

                    5:00ゴサインクンド出発

ゴサインクンド(4312m)の山小屋 ・8:00 ガレ場終了、冬装備 

    ・10:00 フイックスロープはる

       ・12:05先頭集団 MIYO、N尾
  H幡頂上に立つ。
                          ・この間、アンガミ、アンカミ、ラクパの三人が腰までのラッセルを

    およそ3時間、懸命に工作。感謝!      
                 ・NA田さん最後に13:00登頂。

      最初の遠征、全員登頂。
スリヤ頂上を望む。しかしここから4時間 頂上にあと一歩 スリヤ峰頂上のケルン 


                     ・隊長、全員登頂の喜びと疲れも手伝い、また辛いここまでの道

                    のりを思い出してか、隊員と握手 

                    をしながら思わず落涙!

                    直後、疲労で血へど吐く。白い雪

                    の結晶に赤い苦労の血潮、そして

                    真珠の涙、隊長よ!感動を有難う。 

   1/4

  ・ゴサインクンド〜シンゴンパ

・昨夜は疲労で4人が夕食を取れず就寝。今朝は隊長を除いて満足な笑顔。

   しかし、若く元気な隊長が嘔吐を繰り返すことに不安を感ぜずにはおれない。それほどまでにストレスがたまるほど、ここまで登山隊をリードしてくれたのかと隊員の間には感謝で一杯で、素直に全員登頂の喜びを表に出せない。ひたすら回復を願い、下山する。隊長の痛々しい後姿を追いながら・・・。

1/5

  ・シンゴンパ〜ドンチエ

  ・昨夜、副隊長が決断する。ヘリを招聘する、と。

      14:30ヘリは遅れて来た。
           夏のアンナプルナの件もあり、来るか来ないか半信半疑。ネパールとはそんな所だ。

                  5人は9:30出発、ドンチェ13:30着。

                  ・残る3人はヘリを見送り、

                   17:40ドンチェ到着。

                  ・隊長、NA田、アンバブは病院へ。

             幸い、大事に至らず。軽い脳浮腫であったという。

            ・皆が言う。私も俺もヘリコプターに乗りたかったな〜!!!

   1/6

   ・ドンチェ〜カトマンドウ14:00到着。

   ・夜、韓国料理店へアンバブの招待。シェルパも同席。飲めや歌えの大宴会が続いた。


      費用
          航空券 国内53,200円 国外(タイ航空)157,000円(内TAX22,000円)  エージェント代金58,000円 成功報酬20ドル(2,400円) その他 合計300,000円

  





 ドンチェの村での結婚式:中央に花嫁、花婿が。ネパールは借金しても盛大にするそうだ。
 この日も数百人が集まり、昼から深夜2時頃まで騒いでいた。
 会場はロッジのすぐ後ろで、心地よい騒音であった。新郎新婦はこのあと、両家の家を回り
 そこでも宴が行われると言う。        










                                                                                      終わり


ダウラギリ・ヒマール  アンナプルナトレッキング

                        

 

2007年1月8日からアンナプルナ街道のトレッキングを行う。ヌマさんとの二人旅。ガイド役はかねてからの知り合いアンガミ・シェルパ。
  エベレスト3回登頂経験の頼もしいヤング26才である。3人で飛行機に乗りカトマンズから14:20ポカラへ。
  アンナプルナ街道は前回のタンスンジャイテイ峰遠征隊で来て、ベシサハールからフムディまで東側を歩いている。今回はポカラから北の
  ジョムソンまで飛行機で飛び、西側をポカラまでのトレッキングである。
  これにより、未踏区間はジョムソン〜フムデイとなり宿題を残すことになる。いずれ遠征で行くこともあろう。 

  費用 ガイド代・ホテル・食事代全て込み 1日1人3,000円×8日間=24,000円 
     航空券(カトマンズ〜ポカラ〜ジョムソン)22,000円 +α

1/9  

  ・ジョムソンがガスのため欠航

  ・ポカラ観光。サランコットの丘、セテイ・カンダキ、チベット村、国際山岳博物館

    ・ポカラで見るマチャプチャレは素晴らしい。魚の尻尾という名前だが、その気高さは気品さえ感じる。ホテルのベランダに座り  
     朝な夕なに見ていても飽きない。酒もまた美味しい。ポカラの真ん中にフエワ湖があり、いかにもネパールの避暑地らしい。
     王様の別荘も湖のほとりに有る。

1/10

    天気は快晴。アンガミがすぐ出発と知らせに来る。JRの田舎の無人駅みたいな小さな飛行場から飛び立つ。定員は10数
    人。

・7:15ポカラ発〜7:45ジョムソン着(標高3,950m) 

  ・小さくて揺れる、怖〜い。ひたすら美人のス〜ちゃん(フライトアテンダント)を見て景色を見ていなかった。

・マルハ〜ツクチェにNPO法人が作ったリンゴ園が見事に広がる。

     綺麗なマルフアの白い壁の村、ツクチェから見るダウラギリ(8,167m)は、トレッキングの半日は目の保養となる。

1/11マルファの白い壁、最も綺麗な町並みと言われている アンナプルナ ダウラギリ

・ツクチェ〜ガーサー

・西にニルギリの7000m峰、アンナプレナ峰。東にダウラギリ、爽快。

1/12


   ・ガーサー〜タトパニ(標高1,189m)

     オランダ・イタリア・オーストリア・韓国のネーちゃん達と混浴

          タトパニとは、ネパール語で熱い湯、または温泉とも言う。ヨーロッパや韓国の若い女性が多い。男もいたが視野に入らなかった。女性のスタイルは水着、短パンにTシャツが多い。
およそ2時間湯に浸かっていたが、温めなので気にならない。多くは本を読んでいる。トレッキング中でもヨーロッパ人はよく本を読んでいる。文化人だな〜と感心する。一方、日本人や韓国人はおしゃべり組が多い、うるさいほどだ。ヨーロッパ人と思しき男性がすかさず本を読んでいる女性の所へタムロしている。この積極性、さすがに国際人と感心する。
日本人の私が、ヨーロッパの女性の一人とつい目があった。ニコッと満面の
笑顔の女性、はにかむ私。ハニカミ王子がここにもいた。


  
8,000m峰から流れるヒマラヤの川幅は1,000mほどある。 1月でも花が咲く。 子供は良く働く。  馬の隊商、チベットとの商業街道でもある。両サイトは日本人が指導したリンゴ園。



1,000mもありそうな棚田

1/13

  ・タトパニ〜ゴレパニ峠(2,874m) 1700mの登りにヒ〜ヒ〜。
   
断崖絶壁の谷にかかる吊り橋を渡り、ヒマラヤの川を右に左に歩く。8,000m峰や7,000m峰が連なる
      ヒマラヤはまさに円形劇場そのものである。
見事な棚田が左右に続く。農業王国ネパールである。

1/14

  ・ゴレパニ〜ポカラ 

  ・ナヤプルの川を渡った関所みたいな所で、またまたマオイストに

   現金500ルピー取られる。「僕!何も悪い事してないのに・・・グスン!」

  ・ナヤプル〜ポカラ(タクシー)
   ネパールの車は殆どが古い。タイヤとハンドル、屋根と壁はあるが取っ手や内張りなどはない。タクシーが飛ばす。
   もちろんメーターなど壊れているから運転手の気のおもむくまま、そして交通標識など地方に行くとまったく無い。
   信仰心がまったく無い私でも、ひたすら神様・・・と安全を念じている。


    

1/15

  ・ポカラ〜カトマンドウ(グリーンバス)20ドル。ネパールの高速バスである。途中昼食で停まるだけである。
   日本で例えるならば、東京〜大阪の東名神高速道路といえようか。相違しているのは、どの車もスピードを出すので、
   道路わきに車が3台程横転して昼ねをしていたことだろうか。恐ろしいお国柄である。
   しかし、発展途上の国らしく町や田舎でも活力とエネルギーを感ずる。
   この国に一度行くと何かしらハマル人が多い。何故なのだろう?

  

1/16

  ・2日早く終了したので帰国しょうとしたが、飛行機満員。

  ・時間つぶしに日本大使館へ。新聞を読みに行くと、大層な警戒。

   パスポート、宿泊先、電話・・・二度も関門がある。

  ・さすが、大使館。本は無尽蔵にある。1日勉強になりました。

   綺麗なトイレで溜まっていた糞も小気味よく出たな〜。

1/17〜18

  ・カトマンドウ14:05発〜タイ〜関空〜千歳

  ・札幌でのトリトンの寿司は旨かった〜。

  ・ヒマラヤはもう、イヤ! ホコリで汚くて・・・。

 

数々のサプライズ

 

1.ネパールの空港のポーターとパシュパテイナート(火葬場)の観光案内人

 ・両方とも当然プロである。何時の間にか、客の側に風の如く、気配も感じさせずに立っている。ポーターは荷物を積む車を持って、素早く・素早く

  客の荷物を運んでいる。無機質に淡々とである。気がついた時には、客に寄り添って歩いている。客は迎えの人であると勘違いしている。もう、その時は遅い。チップ!チップともう離れない。蛭のように、気持ちが悪い。

 火葬場の案内人は忍者だ。伊賀か甲賀の忍者だ。ス〜ツと寄って来て、友達のように話している。何の違和感も無く。「死んだ人は大地に帰るんだよね・・・はるかガンジス川の水に溶け込むのだろうね〜」ウン、ウン。と合図地を打っている自分に気がついた時は、もう側に竹馬の友の様に離れない。両手を出し、頭を下げられたら、気の良い日本人は断れない。「一丁あがりィ」。日本の問題児「ニート族」よ見習いなさい!





2・韓国の女性 

   

 ・アンヌンハセヨ〜、アノヨ〜、ダカラヨ〜、 ・・・スミダ!!!

  聞きたくなくても、最近は耳に入ってくるのが韓国語。語尾を上げ、甘ったるく 〜ヨ〜 と云われると、ついフラフラと。

  アンナプルナ街道で会う国別のトレッカーは、韓国人が半数以上だ。それも女性の複数連れ。日本人と思い会釈すると、全部韓国人でした。あとは

  オランダ人、オーストラリア、イタリア人の女性ばかり。男は目に入らなかったとNU田さんは言う。

 ・アンバブが云う、千歳〜韓国〜ネパールの週1便は韓国人がヒマラヤに行く度合いが多いからでしょうか。ついでに日本人も乗せてやるか〜だろう。

  昨年、富士山にも多数「アンヌンハセヨ〜人」が来ていたし、日本の温泉地も韓国人が多いし、富良野の富田フアーム

も唐辛子入りアイスも売っていたし?・・・そんな事は無いか。日本は遠からず、韓国か北朝鮮の植民地になります、ハイ日本国総理殿。

3・長野県松川市の老人

  画面をクリッすると画像が大きく

  ・81才だと言う。カトマンドウのホテルで名刺をくれると言うので貰った。20年も一人で毎年来ると言う。60才までは長野でおとなしくリンゴ園をしていたが、後継ぎがいないので辞めたと言う。

  ・名刺には「SHIGEO OSAWA 81YEARS」 とある。

   そしてヒマラヤの山を背景に、氷の湖に穴をあけ、素っ裸で寒風摩擦をしている写真が大写しになっている。コレが楽しみの一つでヒマラヤに来るのだと言う。少々耳が遠いせいか、声も大きい。レストランで外国人であろうが誰であろうが、声をかけてフレンドになろうとしている。

  ・NPO法人(特定非営利活動)の一員として、アンナプルナのツクチェ、マルハにリンゴ園を作り、成功させた人らしい。今回も樹の剪定の指導で来たと言う。今回、その村々を通った。見事なリンゴ園であった。

  ・81才で足取り軽やか、ヒマラヤのジョムソン街道を一人で歩き、異国の地にたった一人でやってくる。外国語何する物ぞで日本語で押し通す。私と同行のN田さんが、この老人の荷物の荷造りを見て驚いていた。日本通運もビックリするような見事な荷造りである。プロだ。

  ・この老人の活力とこの後に登場する、群馬県の初老の婦人を見て、私は人生観を考え直さねばと本気で考えた。「俺はまだ甘い、と。」

4.世界的に有名なネパールの棚田

  ・千枚田とか段々畑ともいわれるが、東南アジアの棚田はとにかくスケールが違う。取り分け有名なのは、中国・雲南省、ベトナム、タイ、インドネシア、フイリピン、そしてネパールである。

  ・世界一の規模はフイリピン・コルディリエで世界遺産登録にもなっている。

  ・ここ、ネパールも主産業が農業であるから田んぼや畑が多いのはわかるが、その規模と急な山の斜面に造る棚田は目を見張る。山の頂上近辺から谷底まで、標高1000m〜2000mはあろうと思われる

・農機具と言われる物はクワ位である。あとは手で棚田を作るのであろう。高所と狭い棚田ゆえに馬も牛も使えないのであろう。何より貧しくて馬も買えないのが普通のようだ。ここでも女・子供は良く働いている。男は集まってはバクチかお喋りが目立つ。

・これだけの耕作地があるので、最低の食べる物には不自由しない。だからネパールでは革命が起きないとも云われている。

・この農業の貪欲さ、日本の農業は果たして?と思われる。

5・外国で初めて入る、日本大使館

         

・カトマンドウで航空券チケットをチェンジしょうとしたが、タイまでは満席であった。明日もわからないと言う。観光で見るべきところも無い、買物もしたくない、「ふる里」や「桃太郎」の日本食堂の新聞も見たし、どうしょうか? そうだ! 日本大使館なら何か面白そうだ、と決定。

・アメリカ大使館など比較にならないほど、綺麗で立派だ。違うのは、入口の警戒。日本のはネパール警察がのんびりと構えている。こちらがニコッと笑うとニャッと応じる。一方、アメリカはアーミーが土のうを積んだ陰から睨んで構えている。近づこうものなら「ババ〜ン」と打たれそうだ。とても緊迫感が溢れている。

・平和そうな日本大使館だが、入口は鉄格子でネパール人の警備の人しか対応してくれない。日本語は通じない。N田さんがすかさず流暢な英語と思われる言語で「アイ アム 日本人・・・ζεΩΨζΨΣθマガジン?」

 すると、鉄格子が開くではないか、通じた。

・入口受付で、名前・住所・パスポートNO・宿泊ホテル・TEL・・・を書かされる。二箇所も検問があり、書かされる。二階の図書室に案内される。色々なジャンルの本があり、退屈はしない。活字に飢えていた二人はむさぼり読む。何となく二等書記官になったような気がした。

6.すごい婦人がいたもんだ

・カトマンドウからタイ・バンコクまでの3時間ほどの飛行機の中、左に近畿ツーリストの女性添乗員、右には初老の婦人が座った。二人から質問が交互にとんで来る。素晴らしいお髭ですね〜。(25日で1cm位のびていた)ヒマラヤに登ったんですか〜、エベレストは大変でしたでしょう? エベレストなんて一度も云っていないのに、何時の間にかチョモランマになっていた。

・初老の婦人が語り出した。主人は痴呆で施設のお世話になっているんですよ、私のことも分らないので、側にいてもしょうがないので旅行ばかりしているんですのよ、オホホッ! ええ、80カ国回りました。大半の国は行きましたので、今回はエベレスト周遊の飛行機に乗る為にネパールに来ましたのよ。エベレストを右手で掴んで来ましたわ、オホホッ。

・先日はメキシコに行きましたの。そうすると、最近メキシコでは子供が誘拐される事件が多いそうで、アメリカでその筋のルート組織があり、臓器移植のための誘拐なんですって、イヤ〜ネ〜。金持ち日本人も、アメリカへ行く人が多いけど、裏ではね〜。北朝鮮以上よね〜。

・何とか、100カ国は行きたいのよ、と語る婦人。見聞の話は続き、知性と教養がほとばしっていた。おば様〜と後をついて行きそうになった。

7、すごい日本の青年がいたもんだ

  ・青年との出会いはアンナプルナ街道のゴレパニ峠(標高2874m)のロッジであった。宿泊者は私とN田さん、日本人の彼、韓国女性の二人とそれぞれのガイドとポーターである。街道で日本人は初めてである。韓国人はこの日も10人以上見た。

  ・富山県魚津市出身の彼は、北アルプスの立山の麓なのに一度も登っていないと言う。山は好きでないようだ。退屈しのぎに身元調査をしてみた。昨年の5月に3年勤めた会社を辞めたそうだ。石の上にも3年・・・だから3年は勤めたんです、ウゥ〜ム、理屈は通っている。

  ・退社してから、中国各地に行きました。そしてチベットに渡り、チベット問題の真髄を眺めて来ました。「チベット自治区」なんて言うのは言葉だけでした。評論家・櫻井よしこが聞いたら微笑みそうな青年である。

  ・昨年5月から1月の今まで8ヶ月、旅行しているの? いや、これからパキスタン、インドに行き、その後南アメリカを巡るんです・・・

   こちら二人は「唖然!!!」 今年5月には帰国して勤めたいのですが。

   また、世界を回る予定です。思わず若い時のNARI田さんを思い出す。

  ・持っていた「味噌汁の素」をあげると大変喜び、礼儀正しく何度も礼を言う青年。今時、素直で礼儀正しく、行動力のある若者がいるとは・・・

   彼と別れてから何となく心豊かに頼もしく、自分のことのように嬉しくなっていた。もっと味噌汁あげれば良かったな〜反省!

 終わり