グランパラディソ(イタリア)  モンブラン(フランス


グランパダディソ

  モンブランで有名なシャモニーは例年は平均温度が5度位で寒く、フランス指折りの避暑地として有名である。しかし、2003年7月は平均37度で至上稀に見る高温のため氷河が溶解し、結果崩落の繰り返しでモンブランを始めマッターホルンも登山禁止となる。
止む無く、モンブラン登山の変わりにガイドから提案あり、イタリアの独立峰で一番高い「グランパラディソ」(4,061M)に変更。以下は山行記である。

イタリア地図 左上がクールマイユール その上モンブラン
























 イタリア地図
   左上がクールマイヨール
   その上はモンブラン
   さらに右上がシャモニー


























クールマイヨールは、イタリア・アルプスの指折りのリゾート地である。冬はスキー客で、夏は避暑客でにぎわう。フランスではモンブラン、イタリアではモンテ・ビアンコと呼ばれるヨーロッパ・アルプス最高峰の山が背後に迫り、雄大なパノラマを満喫できる。

フランス側シャモニーからモンブラン・トンネルを抜ければ1時間以内でイタリア側のクールマイヨールである。国境を越えてもパスポートを検問でサッと見せるだけでいとも簡単で、乗客のチエックもない。
また、ロープウエイはモンブラン超えで、1時間40分である。シャモニー(標高1030m)から最高所であるエギーュ・ドゥ・ミディ(3842m)を超えて、イタリア側のラ・バリュ(1370m)までは大パノラマであろう。日本の富士山(3776m)より高い所を超えるのである。本場アルプスは日本と比較にならない。

エギーュ・ドゥ・ミディ(3842m)からは、下方に大氷河が見られ、その氷河を渡って歩くアルピニストが小さく見える。。温度も低く、長く居ると高山病を併発してくるのでロープウエイで来る観光客はそそくさと下界に降りて行く。
   

















フランス・シャモニーの地図
 シャモニー(真ん中・標高1030m)から 左上のエギュディ・ミディ(3842m)を
 超えて、ロープウエイで左上から下へ下がるとイタリアのクールマイヨール
 へ行く。
 この下がトンネルで車で通行できる。




















スイスの地図






















 スイスの地図

















行 程

8/14  13:00   ~    14:00   ~    15:00      ~     18:00  

      シャモニー発  クールマイヨール イタリア・ポーの駐車場   山小屋・エマニエル小屋(泊)

8/15  4:00   5:00 ~ 7:00 ~ 9:30 1020 ~ 13:30 ~ 16:00  

      起床  山小屋発 氷河   岩稜   頂上   山小屋  駐車場

  


・ガイド  種村洋司、リヨネル(フランス人)

  ・メンバー 4名(当グループ)
        2名(京都グループ)・・・途中、氷河地区で体力不足と高山病でリタイア

 ・駐車場は35度前後、頂上はマイナス5度。最初は短パン・半袖、氷河からは冬山装備。

 モンブランのトンネルを通過しイタリアまでおよそ1時間、登山口のポーまで合計3時間、登山口から山小屋まで約2時間、37度の炎天下でグッタリ。しかしエマニエル小屋(2735m)の設備は良く綺麗であり3階建て、ホッとする。早速ビールやワインで国際交流。
エマニエル小屋でたらふく美味しいパスタ料理を食べた。山小屋の部屋は3段ベッドだが快適である。
     
  シャモニーからモンブランを望む    イタリア山小屋のパスタ   グランパラディソ・エマニエル小屋   小屋前でイタリア娘  いよいよ氷河

     
 グランパラディソ        頂上直下の鉄ハシゴ      この先の頂上にマリア像が        頂上          フランス人ガイド・リヨネル

朝食は豪華な夕食とは違い、パンと飲み物のみで無理やり流し込む。
歩き出して2時間、氷河が現れる。アイゼン・ピッケルの重装備。深いクレパスが数十メートルもあるように見える。
3,000Mを過ぎる頃から、雨、雪、猛吹雪、温度はマイナス5度、いったい8月というのに流石に本場アルプスと感嘆する。大阪から来たと言う二人連れは、この悪天とクレパスのナイフリッジ歩きの連続で体力を消耗し、へたへたと座り込みリタイア。

ありったけの技術と根性で我々4人はガイドのフランス人を先頭にピーク目指し、高山病に耐えながらも一歩、二歩・・・。頂上直下、100Mの岩陵の垂直の壁に来た。巧みにアイゼンを岩の合間に絡ませ慎重に、慎重に攀じ登る。手と足がしびれ、限界に感じたその時、ガイドのリヨネルが叫んだ、「ピーク!・・・ĎďøúďðĜ»ǾǼ
日本語は得意だが、フランス語はトンとわからない。

どうも頂上らしい。何と、吹雪の5M先に白い大きなマリア像が立っているでわないか!フランス語と日本語でたたえあう喜び、意味は互いに不明だが通じ合った。この山の二日間、季節の春夏秋冬を感じた。山は怖い、そして偉大だ。

山小屋に戻り、互いにたたえ合い、乾杯。フランス語で生ビールはプレシォーン、今日のプレシォーンは格別である。

 山小屋で同行の古橋さんが、何やらフランス・パリジャンにワイワイと囲まれている。高度障害で気が狂い、パリジャンの可愛子ちゃんのお尻でも触ったかなと心配した。みんな、古橋さんの足元を見て感嘆の声を発している。感嘆と言うより、尊敬の眼差しに近い。指差す足には、5本指の靴下がはかれていた。

ヨーロッパには靴下の5本指の文化がないらしい。当の古橋さん、次から次へと見学に来るパリジャンのため、直立不動でけいれんしていた。何処でモテルかわからないもんだな~と言うような顔をしていた。




モンブラン(フランス)2003年


 行定表
1.8/7 成田空港~フランス・シャルルドゴール空港~ジュネーブ空港---シャモニー
2.8/8 ブレバン(2525m)ハイキング
3.8/9 イタリア・クールマイユール、シェチェフ山(2343m)ハイキング モンブランをイタリア側かあら眺める。
4.8/10 バルム峠(2167m) スイスとフランスの国境
5.8/11 グランモンテ(3275m) 針峰群「ドリュー」を間近に見る。高度順応。
6.8/12 休養日 シャモニー見学。スネルスポーツでレンタル品借りる。
7.8/13 高度順応訓練日。シャモニー~エギュ・ドゥ・ミディ~エルブロンネル~バレブランシュ~シャモニー
8.8/14 -モンブラン登頂日- この所、気温37度平均でアルプスは崩落で登山禁止となり、イタリア・グランパラディソとなる。シャモニー~イタリア・クールマイユール~ポー~エマニ
      エル小屋
9.8/15 小屋~グランパラチディソ~小屋~ポー~クールマイヨール~シャモニー
10.8/16 モンタンベール(1913m) グランドジョラスの間近の氷河見学。
11.8/17 フレジェール(1877m)
12.8/18 シャモニー--ジュネーブ~フランクフルト
13. 8/19 成田空港



2003年8月7日、成田空港満席のANAは飛び立つ。

アミューズトラベルで高所順応訓練 山岳会仲間の4名は、何度も何度も打合せと用意を重ね、そのたびに酒も飲み、また飲み、富士山も登って高所順応、新宿の高山病対策
 低酸素質「アミューズトラベル」で駄目押し訓練もする。

 現地ガイドに報告の為、参加者名簿作成で判明。今回四人は偶然にも全員が血液型「O型」。そこで調べてみた、特性を。

 「O型」は、☆目的指向性が強く現状肯定的 ☆仲間意識が強い ☆感情
 があまり後に残らない ☆力関係を敏感に意識 ☆言葉使いが巧み ☆行動に原則を持つ ☆判断行動が現実的、とある。やや安心で
 ある。
だが、マイナス面。☆感情の現れ方がストレート ☆頭押さえられるの嫌う ☆欲望がストレート ☆勝負師性の激しさ、とあ
 る。ヤレヤレ!

でも、血液型の人柄はこうもいわれます。親分のO型、リーダーのA、親方のB,大黒柱のABと・・・。何とかなるか!!!?

シャルル・ドゴール空港ロマンチストとリアリストの二面を持った四人はヨーロッパへ12時間のフライト。ロシアのツンドラ地帯を横切り、ポーランド、ドイツの田園地帯を過ぎるとパリ空港。乗り換えてスイス・ジューネーブヘ。

 ジュネーブ空港、タクシー車でフランスの第一回冬季オリンピックが開催されたシャモニーへついに到着。ホテル10連泊、機中2泊、計12泊13日の山行が始まる。

 ホテル「ラ・アルヴ」レストランのウエイトレスはパリジャンヌそのもの、美しく愛らしい。毎朝、フランス語で「ボンジュール!、ĎďøúďðĜ»ǾǼ♪・♪・♪」(ニコッ!)

 特に私を中心に見ている、様に見える。何をオッシャッテいるのか、皆目見当がつかない。他のテーブルでの言動で判明した。

シャモニーのレストラン「アルブ」三ツ星コーヒーかティーかと聞いていたのだ。ニコッとした笑顔を見ると固まってボ~ッと男性どもは見とれている。すかさず、妙子さん登場、「テイーアンド・ミルク、
ĎďøúďðĜ»ǾǼ!」
話はついたようだ。後で聞いた。大学はフランス語選択だって、ムムゥ、やるな、お主!

 フランスパンは嫌いであったが、このパリジャンの笑顔のおかげで大好きになった。その後、帰国して3日間食べたら、また嫌いになった! 環境問題は重要なテーマだと言う事を改めて感じた。

 今回、現地のガイドに大変好奇心を抱いた。津田博(56才)さん、ヤスこと神田泰夫(55才)さん、カンペイちゃんこと、種村洋司(53歳)さん、そしてフランス人ガイドのリヨネル(45歳)の4人。

靴の品定めの手伝いをする津田さん今回のガイドは山岳会の仲間が利用している津田さん。日本には奥さんと子供が住んでおり、互いに休暇には行き来している。子供の教育のため日本に住まいを持っているようだ。夏休みには子供もシャモニーに来るので、フランス語はペラペラの様子。やはり語学は環境であろうか。
冬はガイドのオフシーズンなので、スネルスポーツの地下でスキーの修理をしている。
ヤスさんはスネルの店長。頼りになる日本人である。

カンペイちゃんはガイドの助っ人役で、今回同行してくれたユニークな人物。冬は岩手県でスキーガイドをしている。

いずれも団塊の世代の日本人で、30数年も前に夢と希望を膨らませて青春を実行した旧人類である。現地のフランス陣と結婚する人、同業の日本人女性と家庭を築いた人、日本とシャモニーでそれぞれ暮らす人、さまざまである。最初は片言も離せなくて苦労した人もいるよ
              うだ。

グランドジョラス

中でもヤスの奥さん、神田美智子さんは仏・独・伊・西の5ヵ国語を操り、スポーツライターやコーディネーターとして活躍している。記憶に新しい三浦雄一郎と父親、敬三さんが、親子三代でグランドジョラスの麓を滑走した企画も彼女がコーディネートしたそうである。(左の写真クリック)

このようながいどのおかげで、楽しくハラハラドキドキの安全登山とハイキングが出来るのである。ガイドの一人に聞きました。遠く日本から離れて何が食べたいですか?「ごぼうが食べたいです。フランスには無いんですョ!」今度、100円ショップで買っておこうか!

 訓練もかねて、トゥル・ド・モンブラン(ハイキング)で、フランス、イタリア、スイス(シャモニーは3国の国境にある)の800~2500Mの所を連日歩く。さまざまな角度からモンブランを眺める事が出来る。よく絵で見るスイスの丘をトロッコが走っている。花は綺麗で、羊らしき、牛らしき動物も和らいでいる。ハイジもいる。エーデルワイスもある。まさにそんな所でした。

   (クリックすると画像が拡大)

エギーュ・ドゥ・ミディ(3842M)はモンブランの直下で、何とケーブルカーを乗り継いで20分。富士山より高いではないか。さすが本場、アルプス!

聞けば、この下はトンネルもあり、イタリアの避暑地クールメイユールにも30分で行ける。この3、842Mの大氷河でアイゼン、ピッケル、そしてガイドを先頭に4人一組でザイルを3~5Mで繫いで、いわゆるアンザイレンで訓練をする。高所順応もかねている。クレパスを覗くと50~100Mはあろうかと、下はもうミ・エ・ナ・イ。

左からエギュ・ディ・ミディ(3817m)頂上からのナイフリッジを降りてくる。 モンブラン・タキュールの岩壁(人が張り付いている) バラブランシュでの氷河訓練  右はしがグランドジョラス (クリックで拡大)

数十年ぶりの猛暑とかで、シャモニーは連日37度。そのため、氷河は溶解し結果、崩落でシヤモニーの町から3,000M前後の山は白い噴煙があちこちで上がる。有名なドリューも連日の暑さで氷河が溶けて崩落、噴煙を上げている。この年のフランスは暑さで亡くなった人が3万人と報告されていた。

 「モンブランは中止にして下さい」ガイドクラブからの通達である。崩落で連日死亡者続出の為である。スイスのマッターホルンも登山禁止との事。代わりに、イタリアの独立峰で最高峰、グランパラディソ(4,061M)に変更した。

トゥル・ドゥ・モンブランと言うのは、フランス・イタリア・スイス3カ国のアルプス・ハイキングである。1周に2~3週間のんびりとハイキングするのである。我々もミニハイキングをしてみた。シャモニーの町から東西南北の岡を目指す。

町のレストラン  ロープウェイ   シャモニーの町  ホテルで自炊(ベジタブル宴会)  幼児も岩登り  

バルム峠の国境石碑で思いにふける男の子

冒頭の地図に有る、バルム峠(2167m)~フレジェール(1877m)~ブレバン(2525m)~モンタンベール(1913m)~グランモンテ(3275m)と回る。天候もよく、のどかで常にモンブランを眺めながらのハイキング。
牛もいる、羊もヤギも。岩のゲレンデでは小さな子供達が大人に確保されて岩登りをしている。
どの山に行くにも、ロープウェイが完備されている。登りにロープウェイ、下りは歩いてがポピュラーのようだ。

この時期のシャモニーは、夜9時頃に暗くなる。スーパーで自炊用のチーズや果物・野菜を買って毎夜ホテルで宴会をする。レストランへ行くと1人3000円はする。この時期の1ユーロは140円内外であった。

 グランドジョラスの末端のモンタンベール大氷河の深さは200M、北海道大雪山の万年雪とは違い、スケールの違いに只、ただ驚きである。


モンブラン登山はまたの機会に。日本アルプスと本場ヨーロッパ・アルプスのスケールの違いを見ることに意義があった。何度でも訪れたい本場であつた。


モンブラン遠征2008年


2003年7月に、第一回目のモンブラン遠征が天候不順で敗退となった。性懲りもなくリベンジを期したが、またまた天候が悪く4,400m地点で敗退。登頂率40%強という数字が恨めしい。折角だから「サンデー毎日」の仲間を誘い、隣国のイタリア、スイスの観光・グルメを挙行した。

 フランスはシャモニー、イタリアはクールマイユール、スイスがジュネーブ、ツェルマット、サース・フエー、周遊16日間を企画した。エージェントを使わず、自己企画をしたのでかなり安くなった。夕食はスーパーで買物をして自炊をしたので毎日が宴会のようであった


   

いよいよモンブラン登山開始 ガイドは津田博と種村洋司  登山電車に乗りニ・デーグル(2386m)へ   3時間弱でテート・ルース小屋上部  岩が降ってくるトラバース地点


   
絶壁の岩稜地帯を3時間アンザイレンで登る     グーテ小屋の内部(40人部屋・120人収容、夕食はスープ・肉料理で旨い) 小屋までは岩稜、小屋から上は氷河 

  2日目は朝2:30起床、3:45出発 6:30ヴァロ避難小屋(右端)の上4400m地点で強風トホワイトアウトでこの日の全パーテイが断念し下山。残り標高差400mあと2時間であったが。
                                                                               今年のモンブランも終了。