イエローブルボン

3/5  PCを起動し作業をしていて時たまWindow10のWebがでてきていたが、それが頻繁にでてくるようになり、ついうっかり
誤って、クイックしてしまった。そのままの流れでバージョンアップ。まだ次の段階のWindow8.1にもしていないのに、
ま〜あ試しにと変わった画面を見ると、スタートメニュウーがない。2,3日使っているうちに慣れてはきたが先に使って
いたWindow7にもまだ十分でなっかた。一ヶ月以内なら回復できるとのことで元に戻した。ついでにノートンもアン
インストールして再インストールをした。こちらはデスクトップの方。ノートパソコンの方は旧アプリが入っているので
対応上バージョンアップができない。



3/10 雨が降ると自宅で読書の時間となっている。晴れると気持ちよく窯場に出向き沐浴を促せる気持ちで心地よいが、
土いじりは停滞したままだ。日本の出番!と言う番組で、オーストリア人のユアン クレイグ ユアン窯14時間で
薪焼成できる窯を作っている。しかも薪も廃材でも焚ける省エネタイプ、14時間と言えば電気窯の焼成時間とほぼ
一緒である。一人でも楽に焚ける時間であるのだが。窯を縦につくりれば酸化焼成で効率よく焚けるのはわかって
いたが、南蛮焼きは逆なのだ酸化と還元をくりかえすため、還元焼成をすると不完全燃焼ですさまじい黒煙
を煙突からふきだすことになる。窯も非高率な古代の穴窯。どうにかうまくできないものかと思案している。




いつもの街が、、、、、

ミヤモリ書店の郷土史コーナーで沖縄タイムス自分史が目にとまり、時代と対比しながら、
人生の物語を蘇らせる冊子の趣旨に乗ってみようと購入。
若き20代の頃ダイガクを卒業し、其の頃は、皆一度は内地の企業に入社をして知識を広げようと
わが商学部は本土に就職する人が多くいた。自分も学生課に張り出された二社の面接を受けた。
タイルの製造会社とリクルート株式会社まだそのころのリクルートは起業したばかりの会社であった。
最近影響を受けた人物を書きなさいと言う欄があり、情報誌の関連性から「無思想の思想」を読んで興味を
持った大宅壮一氏のことをいろいろ書いたと思う。高度成長期でもあり難なく二社とも受かったが、出身地愛知県
の会社に決めた。復帰前、植民地のオキナワ、通貨はドル。英語がペラペラと勘違いしていたのかもしれない。貿易化に
配属され、まずは現場から仕事を覚えてもらいたいと、タイル積みをリフト車で運搬することに慣れたと思っていた頃、勘違いが
わかり退社することになってしまった。食いつなぐために、実家に手紙のやり取り、英語教材ウエブスターの販売、クリーニング
店でのアイロンがけ、いずれも一週間か10日間のアルバイト、どこも人手不足でひやといで働くことができた。其の後長期に働く
ためにトヨタの季節工に入ったが、3ヶ月働き其の時期の記憶は鮮明に思い出すことができる青春真っ只中であった。トヨタでは
二交代制で、昼、夜勤で夜勤手当があり工場内は油とススが時たま目に付いたがマスクをして、ベルトコンベアの流れ作業に
支障がないよう、班長が監視していて遅れそうになると班長が割り込んで手伝い、コンベアが停まらないよう生産ノルマがあった
毎日の現場であった。食堂で見たTVに三島由紀夫が自衛隊に突入して割腹自殺をすると、マイクを持って駕成り立てていた。
1970年11月25日このあとメモ帳にトヨタには12月は18日間勤務している。しかし、6日に豊田市(1500円)→大阪駅(8300円)
→鹿児島駅(4200円)→、ひめゆり丸で那覇港に帰沖しているのだ。その12月20日にコザ暴動がおきているがこの出来事をはっきり
おぼえていない。帰郷して失業保険を貰いながら、美里弾薬庫からの米軍の毒ガス移動、主婦をはねての軍事裁判の無罪判決、
社会が混沌しているなかで、デモに参加しては其の帰りに中の町で飲んで家に帰った後熟睡していた。翌朝にコザ暴動の現場
に行ったのだと思う。その日は年末で中の町は飲酒者が多くいた。二日酔いでボーッとしていて脳裏の
映像はかすんでいた。




4/8 南米ウルグァイ前大統領のホセ・ムヒカ「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれるようになったきっかけは2012年ブラジルで
開催された、「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で行った演説だ。「貧乏とは少ししか持っていないのではなく、無限に
多くを必要とし、もっともっととほしがることです。「質素な生活は自分のやりたいことをする時間が増える。それが自由だ。8チャンネルで
7時に来日緊急スペシャル世界一貧しい大統領×宮根×池上彰で問う 日本人は幸せですか?そのことを問いかけるために
日本に来日したと言う。番組では大統領を辞任してからの暮らしと、車一台しかもポンコツ90%を福祉団体に寄付をしていると言う。
大量に物質を生産し、それを消費するための経済社会で世界は動いているがそれが人間にとって幸せかと問う。若い頃にはゲリラ活動や、
独房での長きの刑務所暮らしをした真実をあぶり出しながら、人生を培ってきた哲学、思想が会話を貫いている。
其の言葉は柔和な顔から眼光の鋭い微動だにしない革命家の顔であった。



4/14 夕方9時のニュースをTVで見ている最中、チャイムが鳴り緊急地震速報の字幕が出て、中継が現場に切り替わった。
遠く離れたこちらには微動だにも感じなかったが、居間に釣り下がった二連蛍光灯の大きい上の輪がチカチカと点いたり消えたりした。
BST電気店にいって取替えようかなと改めて時計を見、閉店だ。と思い少し暗くなった部屋内でTVの速報をみている。
自然災害が起き身の危険を感じると身内の安否を真っ先に思う。