3/3 物つくり、創作をする底には何があるのか。心動かす、何かを生み出そうと言うやむにやま
ない思いに駆られて物を作ろうとするのだが、そこまでの試行錯誤の工程を得て作品をつくる対象を見出せない。
作りはじめてイメージどうりにできたものは面白くなっかたりする。そうなると創作する気力を失ってしまう。



いつもの街が、、、

日常生活するうちに窯場には週に3日程度行くことになり、拠点は自宅に移っている。自宅ではTVを良く見るようになった。
ほとんどニュースの梯子なのだが。梅雨が終わり南から梅雨前線が順を追って北上して行くと思っていた。梅雨が終わった矢先に
直ぐさま台風が発生とおりすぎた。7月に入るや内地では降雨量が4,5日で一年分の集中豪雨。この予想だにできない天気
の変化は珍しくなくなっている。其の異常さで各地に川の氾濫や、土石流で車、家財道具、民家が流れていく。其の有様は
温暖化で地球規模で世界各地でおきている。内地では7月に入って西日本で集中豪雨が続き200人以上の使者が出て、
なお行方不明者の捜索が続いている火山の噴火、地震の発生も多い。沖縄でも竜巻は少なかったように思うが台風と共に
発生するようになった。

  
  


10/13 ときどき日誌の更新だけで、今では単なる日常生活を綴っているだけだ。ヤチムン日誌としては関係なくなってしまった。
台風24,25号で窯場に被害が出た。このところ、台風のことをよく書いている。毎年少なからず被害はでるが、想定内の被害で
収まっている。其のつど便利屋の相棒と修繕をしていたが、昨年享年75才で亡くなってしまった。これまで、いろいろやってもらた
ことに改めて感謝せずにはいられない気持ちだ。そんなおり、背中におでき、皮膚、皮下腫瘍摘出術で切った。眠る際床に当たら
ないよう横向きで眠るようにしていたがどうしても寝返りをしてしまう。10日ほどで直るとの医者の話であったが、2週間もかかってしまった。
話は前後するが、頻繁に起きる異常気象でTVでもみな天気予報士に聞き耳を立て熱心に聞き入る、自然災害の力の大きさに、
打ちのめされ脅威を感じる。小生窯場の建物被害は、これで3度目。同じ箇所に被害が出た。工房の北に突き出た赤瓦屋根軒の
部分と窯トタン屋根の端の平トタン延長して作った箇所。その下には昨年の台風で倒され枝を落としたムクの大樹が横たわっている。
製材所で板にしようと思っているが、ユニック車が入らずそのままの状態だ。



10/21 小生の誕生日である。72歳かと思い改めて高橋手帳で確かめると満71才である。なぜか1才生き延びた感じで
ため息が出る。正田美智子、皇后様が10/20が誕生日で其のことが穏やかな気持ちにしてくれる。小生が養子に入った
養父母の母屋の欄間には額に納まった皇太子殿下と美智子皇后の写真が飾られていた。養父母は戦前、フィリッピン
に移住し、ミンダナオ島、ダバオでマニラ麻を栽培していた。太平洋戦争が勃発、敵国人となった地で養父は戦火に巻き込まれ
片足に銃弾を受け養母が肩をかついで逃げ延びたと言う。終戦を迎え敗戦国人となって、無一文で引き揚げ横浜からオキナワの
久場崎に上陸した。地上戦を体験したオキナワ。戦前日本が占拠していたダアバオでは、皇民化教育がおこなわれていた。それが
逆転して敵国人として大変な生活を強いられた。それでも写真を飾っていたのは?テレビが普及し天皇誕生日に皇室の番組が
放映されるとよく茶の間で見ていた。其の名残が今日なのだ。