8/10 旧盆(8/6〜8/9)ウンケーの日に自治会の道ジュネーエイサーが夕方来たので窓ガラスを開け外気を呼び込む。
太鼓の音と三味線の音色、踊り人の掛け声が、コンクリートの建築物から大音響になって跳ね返ってくる。
ウークイの日夏の全国高校野球大会、沖縄八重山商高と千葉経大付高校延長十回9−6で勝利す。
2回戦相手は長野県代表の松代。


8/13 台所の丸テーブル上にスイカとパイナップルが乗っかっている。盆も終え仏壇に供えた果物の残りだ。
他に供えたバナナ、リンゴ、ミカン、ぶどう、マンゴウは、ウークイを終わった時点で、半分は娘達に持ち帰らせ、
残り半分は、ジューサーで処理をして、ポリ容器に入れ冷蔵庫に保管した。この処理方法が手っ取り早くて無難だ。
後は餅、三枚肉や昆布、ゴボウ等を3,4日かけ食べることになる。

   

8/24  納得の行く展示室になりそうである。大工仕事にこれほど時間をかけ専念したのだから、
とにかく以前は風が吹けば屋根裏からチリが振ってきた。いちいち掃除をしてから仕事をすることは面倒なことだ。
まだ30、40歳のやきものを始めた頃は、体力にまかせて夢中になって成形し、窯で焼成した。
大窯の容積を満たすために、毎回相当量の成形をし窯を焚いていた。体力が落ち思うように動けなく
なると、ブツブツと言い訳やら、小言が口からでるようになる。雑器から花器、オブジェの底には、サインを記してある。
これが一つ一つの作品として残るとなるとむやみに量を作ることはひかえねばと思う反面、
むやみに多数作った中から窯を焚き、良い作品が生まれることも確かで、相反する。
良かろうが悪かろうが動けるうちは体力に任せて動くことになる。まだ残せる作品が少ない今、他人からみれば、
ここで足踏みをしていず、作り続ければよいのにと言う連中が多いと思う。もう25年もの間やきものと付き合ってきた
のだから、ここにきて放り出すわけにはいかない。


   


8/31  展示室の修繕をほぼ終えほっと一息しているところ、建物も25年も経つと、直す箇所がいくらでも出てくる。
後は、軒の腐敗した板の取替えと、窯屋根トタンの残り10枚程の張替え。今回は助っ人を頼まず全て一人で大工仕事を
した。その分ういた工事費で旅に出ることにした。昨年、娘達とニューヨークに行くつもりでパスポートを作ったが休みの
日程が合わずにキャンセルとなってしまった。ペルーのマチュピチェ、ロンドンからユーロスター特急でパリ、ローマの
一人旅をと思ったが、大自然の旅には団体も、一人旅も変わりないとおもいベニスからスイスのサンモリッツ、氷河特急で
マッターホルンのシェルマット、イタリアのミラノからユーロスター特急でローマへのコースでキップを購入した。10月4日〜11日。
今年はまだ大窯を焚いていない。帰ってきたら急いで作り焚かねばと思っている。


  

9/7  この仕事は自由業なのできままに仕事をすることができる。しかも嫌いではないので毎日が充実はしている。
実際には焼き物作りを毎日しているわけではない。赤瓦屋根の台風で傷んだ箇所を、漆喰で塗り固めたり、コーヒーの木
マンゴーの苗木を植えたり、繁茂したたんぽぽの葉をつんで、野菜のおかずにしたり、芋、山芋、バナナ、パパヤ、ビワ
10日も経てば雑草は延びてくるし、それを刈り取るには草刈機で半日も費やしてしまうのだが、その後の爽快感は
気持ちがいい。あれこれやっていながらも、トッキョ、机を作ったり、木のオブジェを作ってみたり、思いつくままに
勝手に作業ができることが面白い。やきものは、素材が土で、木であれ、セメントであれ作ることにおいては
興味は変わらない。





9/10  手仕事の不思議

窯場からの帰り路、書店に立ち寄り、季刊銀花を買い求める。ほぼ読みたい箇所は立ち読みしたのだが、端縫いの
ボロ着、継ぎ接ぎのきものそして針箱。確か以前にも特集で買ったように思ったが、、やはり続編であった。
手仕事については、昔から気に成って尾を引いていた。手仕事をすることは、想いを繋ぐ作業を永遠としているように思える。
単純化されれば、されるほどにその作業は深まる。季刊誌にも載っていた針箱。実は全く同じ針箱とトランク、
白木の箱に納めた遺骨を持って、父母が生まれた遠い南のオキナワと言うところに母の死後、海を渡って家族で帰って来た。
酷い船酔いで辿り着いた小さな島オキナワ。不安な気持ちは車窓から見える別世界の景色に遠のいた。
それは綺麗に刈り込まれた芝生と住宅が金網に囲まれた中にあった。辿り着いた親戚の街は金網の中の住宅とは違って小さく
粗末な家屋が建ち並んでいた。しかし親戚の人達が溢れるほどの笑顔で迎え、子供心にも人情味の暖かさを感じた。
母は亡くなるまで毎日裸電球の下で、針箱を横において、ボロ着の継ぎ接ぎをしていた。灯りが消えてから眠った事は無く
そのことは、養子に入った叔父夫婦宅でパニックをおこした。叔父さん宅では消灯後に床に入る習慣で、
電気が消され真っ暗闇になると、息ができない錯覚に陥って呼吸混乱を起こした。




台風13号も遠のき快晴に成った青空の下で、綱を引っ張るや一発で草刈機のエンジンが鳴響いた。
しかし、草刈機のチョークの調子が悪い。回転を「強」にすると逆に回転が遅くなってエンジンが止まってしまった。
県道より窯場に入る手前に農機具、土木機械の修理、貸し出しをしている同期の輩がいるが、ここ2,3日
閉まっている。しかたなく「駅の道」にあるホームセンターに修理を依頼した。



9/28  10月4日からの旅行の説明会に那覇に出向く。海外の旅は24年前に中国国交10周年の旅以来である。
説明会時刻に合わせ、早めに仕事を終え、シャワーを浴びて出たのだが、手首が少々赤くなっていた。
2日前内地から金継ぎの生漆を買い抹茶碗とぐいのみを金継ぎした。その際かぶれるかなと思いつつ、素手で
生漆を塗り素早く手を洗ったのだが、その時かぶれてしまったようだ。風呂場で石鹸で特に念入りに洗ったことが
かえって災いとなってしまった。説明会を終わる頃から赤く火傷のように噴出し始めた。帰りがけに一番館でカレー
を食べるつもりであったが、やめ他で弁当を買い、薬局で薬剤師の言うドルマイコーチ軟膏を買い塗る。
塗った後もますます噴出し、手から体に広がりそうな気配。何度かかぶれは経験している。窯場のハゼノキの下で
大汗をかいた後涼んでいたりすると、体質的にかぶれやすいのか、かぶれる。2,3日おおいに火傷したように噴出した
あと、4日目にはきまってケロリと直ってしまう。