3/3 沖縄再発見一日帰り旅
旅はなにも、遠い地や時間をかければ良いものでもない。いかに、そこで何を感じるかなのである。
地元に住み慣れてしまうと、ついつい知ったかぶりの感覚で鈍感に成っている。そのことを、よそ者が気づかせてくれる。
窯出しを終え一段落。天気予報では快晴のようなので、やんばるにドライブでも行きませんかと誘いを受けていたので、
快く行くことにした。予報にたがわず快晴、北部には3年程以前住んでいたとあって、国頭の道路は詳しい、こちらが
案内される格好で、彼の車で北部を一回りすることになった。まず最初に向かったところは、東村のサキシマスサオウノキ
てっきり、西表島のマングローブ林近にしかないと思っていたが、本島内にも背丈を隠すほどの大きな板根を持ったサキシマスサオウノキ
が生育していた。幾層にも成った巨石岩が背にどっしりとあり、清水が流れ落ちている。これほど大きな板根を持った木がこんな
場所にこつ然と根を下ろしているとは知らなかった。森からウグイス、天上からは、サシバが鳴いている。岩より流れ落ちる清水を
飲んだり、板根でかくれんぼ。今なを旺盛に成長しているようで、クワーデーサー(和名モモタマナ)に似た緑色の実が
各枝に多数ついている。木の下では、板根の周りに種子が散乱、あちらこちらで発芽し、30cm程の苗木に成っている。
板根の側には祭壇もあり拝所(ウガンジュ)にもなっている。

  

  

サキシマスオウノキを後にした。東村へ入る途中、道しるべに立てかけられた幾本ものつつじ祭りの旗が、風にはたびいていたのを
見ていたので、ついでにそこにたち寄ることに。山の頂に盆栽ともカンプー(髪の毛を頭のてっぺんで巻きこんだ髪形)
とも思える形に色とりどりのつつじが、ぎっしり植えられ鮮やかに咲き誇っていた。ひととおりつつじ園を周り終わる頃、時は12時を
指していた。祭りは明日からのようで、食堂になるはずのテントの下は、荷物や人達でごったがえしている。
「飯はどおする、、、」 と聞く。昼飯は、其処で食べることを決めていたようで、彼は東村をでて高江に入ってから車をどんどん飛ばし
それでもずーと高江で、ずいぶん大きい字だなと、思っているうちに、40分はかかっただろうか。アスフャルト道路は切れ、
ようやくたどり着いた一軒屋。お茶屋「山甌」、他に家屋は無い。山と山の谷が沢となった箇所に高床式漆喰壁の木造家屋があった。
野菜カレーと、美味しいと言う石窯焼きのパンと自家焙煎のコーヒーを注文。ガラス窓越しに見える真っ直ぐに伸びた
杉の木とヒカゲヘゴの群生を見ながら食する。うりずんの季節、イタジイ、マテバシイ、コバンモチなどが混在する亜熱帯広葉樹林
の中で食事後の森林浴、(濃密な栄養素の入った酸素を吸収するかのように、自然にピクピクと鼻腔が開く)
考えてみると贅沢な時間なのかもしれない。

  
        
  
車は東村を後に今帰仁へ向かった。ここにきて自然に、木々めぐりにするかとなった。琉球松の大樹のある松林道を
散策する。その中で今一番目か二番目の大樹。以前竜巻にでも遭遇したのか、根元付近に捩れた跡が生々しく残っている。



        

最後は本部、海洋博記念公園近くの備瀬集落のフクギ並木を見ることになった。集落をスッポリ包み込んだ
フクギ林に入ると、まるで迷路のなかに入った趣で、同じ道を何度も回り続けているような気になってくる。
フクギは民家を台風や海の潮から、守ったり、日差を遮るために、植えられていて、独特の風情となっている。
集落を横切り裏の海岸に出ると伊江島タッチュウ(尖った山)を眺めることができる。民宿も2、3件集落に
あって、絵画や詩作に、しばらく泊り込んで没頭したい気がおきてくる。映画のロケ地としても格好な空間のように思える。
フクギ並木の集落を行きつつ、戻りつつ歩き続けたのか、迷っている内にじっくり堪能できた。タッチュウを見てスッキリ。
時は5時を指していた。そろそろである。本部といえば、と言うわけで、ガイド冊子によると、その名がとどろいて
いると言う、岸本食堂のそばを食いにと、彼の車は武者震いをして向かった。コンブとかつおがダシのベース?の
良い風味でサッパリしているが、まさにコクがたしかにあって、又食べに行きたくなる味である。
そば大600円を二人とも、お汁もすべて残さず飲みほした。〆に名護市在住の木工作家、津波さん宅へと
車は向かった。琉球石灰岩を積み重ねた柱の、一風変わった家屋である。工房、ギャラリー、母屋と順次に
「津波さん、津波さーん、、」と、注:さすらいのフォトグラファーほさかが呼ぶが、返事がない。家は開いたままである。
20分は経っただろうか、スポーツウェアーを着た気さくな方が現われた。木めぐりをして、〆にここへ伺ったことを申し述べる。
創作と生活面での苦労話など、話がはずむ。帰り路には各々買ったであろう木工作品を持っていた。暮れかけた
名護市街を通って、待ち合わせた21世紀の森公園駐車場へと向かった。
さすらいのフォトグラファーほさか氏は、あと二日間やちむん塾の工房で、土遊びをして、
(東京に出稼ぎに行ってくると言うのだが?)帰ると言う。塾の合鍵は以前から
持参しているので、私は窯焚き後でもあるし、あとしばらく、窯場を休むことにした。

注:(よそもの改め‘さすらいのフォトグラファーほさか‘)にしてくださいとのメールが早速ありましたので。
余談。「さすらいのガンマン」。昔、各映画館で盛んに映画が上映されていた頃、西部劇が好きでよく足を運んだ。
「荒野の七人」(ユル・ブリンナー、スチーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン)、「荒野の用心棒」、「荒野の決闘」
「駅馬車」、「シェーン」(アラン・ラッド)、「アラモ」、「夕陽のガンマン」、なんといっても「リオ・ブラッボー」
(ジョン・ウェン、デーン・マーチン、ウオルター・ブレナン、リッキーネルソン)監督はハワード・ホークス
解説なし。

   

余談のつづき映画についてである。


                    3/12  3月10日からロッキーがいない。その日は洗濯機を回し干してから家を出たため、
10時半頃に窯場に着く。いつもなら玄関前の棚の上で、ジーと待っていて、車が駐車すると
せいいっぱい前足を突き出し、尻を突き上げ背伸びをしてから降りてくるのだが、今日は現れない。
昨日は、だいぶ食ったためかそのうち現れるだろうと、工房の木戸を全て開け終わるが、出てこない。
穴窯の方に降りて行く、野良ペルシャ猫のボス(他にも、あと一匹いて、餌をあさりにくる)
が塾室の裏階段に居座っていた。さてはこいつに、縄張りを奪われ追い出されたなと思い、
石を投げ追っ払う。「ロッキー、ロッキー、」と何度も呼ぶが、それでも出てこない。


   
                                 
3/24 時たま、ロッキーの耳や顎に噛まれ傷があった。夕方になると野犬を見たりするが、あの傷は猫同士が争った傷だと思う。
ロッキーは外猫として飼っているので、帰る際には、餌と猫を外に出し、戸締りをし帰っている。
その餌をあさりに、野良猫、犬が来るようだ。元はロッキーもそうだったが、、去年の7月頃からいつ居て
8ヶ月間が過ぎている。冬場に入った昼食時には、囲炉裏に火を焚き、温もりながら食べた。
そして食後の30分の昼寝。伸ばした膝の上に飛び乗り丸まって、寝っていた。火のぬくもりに気づいた
のはその時期で、2/16の窯焚きには、焚き口に陣取っていた