ゲッキツの花とイシガケ蝶
8/2 
旅行バッグはまだ居間に放り投げたままである。またバッグに詰め込んで旅立ちたい心境である。鉄の塊に乗るのは怖いが、
旅へ出たい思いのほうが強い。とにかく行って帰ってきたのだが、行った気がしない。遠い昔の思い出は、その地に立った際
一気に時空を通り越して蘇ったが、一瞬の出来事ととして通り過ぎた。今だ遠い昔の地に、そのままあるかのようだ。
昔に思いを馳せ追憶をすることは、やきものの仕事をすることと重なる。やきものの仕事をすること自体、過去を追憶し表現して
いるかに思える。今年は大窯を焚かねばいけない。大窯を焚くのは3年ぶりとなる。焚き終わってからまた旅にでよう。
今年は娘達と旅をすることを楽しみにしていたが、それぞれ休みが調整できず、難しいようだ。




ミーコ
8/2
三日前から居ついている。捨て猫なのか、げっそり痩せ細り、ヨタヨタと今にも倒れそうな歩きで、近寄ってきた。目だけがギョロリと異様に
大きかった。5本入ったエビてんぷら弁当の1本と、ご飯少々をあげる。一瞬匂いをかぎ猛然と三口で噛む間もなく飲み込んでしまった。
さらに、催促をするようにこちらの顔を見つめるので、後1本とご飯を多めに与える。それもがつがつと食べるが、ご飯は残してしまった。
まだ、生まれて一ヶ月程の子猫である。お腹を見ると十分に膨れている。また、エビをくれと、こちらの顔を見るが、頭をつかんで、残した
ご飯に鼻を押しつけてやる。前足をふんばってもがき、手をはなすや、一目散に後ずさりをしながら駆け抜けた。5m程離れたところで
食べ終わった口元を、前足で見繕いしている。三日目から、ミーコは窯場に車が着くや、草むらから飛び出してきて、あたりまえの顔を
して食事を待つようになった。




ルリフタモジ 自宅裏庭9/11撮影
8/16
養母が健在の頃、小さな裏庭にアジサイの鉢植えの花が大小合わせて十鉢程あって、時期になると、次々にしっとりと
鮮やかに咲いて、小雨の日にはいっそう際立、ちょっとした小さなアジサイ園になった。しかし、老いで、手入れがむつかしくなってから
アジサイの鉢植えを、ほしがる人に一つ、二つとあげてしまい。母に「もったいない」などと、文句を言うと、「花木の手入れンサンソウテ」(手入れも
しないのに)と言われ、セメント鉢の一鉢だけになってしまった。無くなったその後には、いつのまにか、インバチェンス、ニチニチソウが雑草
のように咲いている。アジサイの側にルリフタモジも一鉢、数本の柄に花が咲いていた。ヤームッチイケー(あんた、もっていけ)と言われ
アジサイの代わりに、私はこの鉢植えを持たされたことになって、二階のベランダに置いてある。その二階の鉢から株分けし、植えた鉢を
隣家の境界のブロック塀に置いた。母を介護するようになってから、「チュウ−ヤ、キュウヌ、ナンニチナトーガ」(今日は、旧暦の何日になっている)
と、ベットから声がかかる。早速、カレンダーで旧暦を確かめ、母に代わって、毎月一日、十五日には仏壇に、お茶、菓子、夕食時には夕食を供えた。
冬期以外はインバチェンス、ルリフタモジは常に咲いていて、何時でも生けることができ、いまではおおいに、助かっている。

明日から旧盆(ウンケイ)である。ここ沖縄で仏壇のある家は、墓参りをし、家で仏壇に御ちそうやくだものを供えて、
亡くなった親先祖を迎え、家族、親族が交流する場となる。一年で最も大事な行事である。お中元をもって
親戚が手をあわせににくるため、ウンケイ、ナカビ、ウウクイの三日間、仏壇持ちの主は家で、親戚の接待をしなければいけない。


8/23
いつもより一時間遅れて家をでたため、急いで窯場に向かう。窯場に着く一歩手前で、交通整理らしき人にこの先通行止で、迂回してくれ
とのこと。わけを聞くと木が高圧線に触れるため、台風まえに、木を伐採するよう指示されたと言う。道路上の木とはいえ、誰が指示したのか
いやな予感がする。急いでゴルフ場入り口から車をいれ窯場に向かう。見事に道路上真上に沿って土手の木も刈り上げられていた。誰の指示
で理もなく木を切ったのかと、怒り付けた後、現場責任者が平謝りに謝りにきたが、もはや後の祭りでどうすることもできない。
緑のトンネルがこれで後、3,4年経たねば元には戻らない。自分の頭を丸刈りにされた気分である。



台風13、14号が発生、薪と窯にブルーシートを掛ける。
9/4
13号は避けて通りすぎたが、14号はまともに本島に上陸しそうである。小窯、大窯、薪にシートを掛け、外戸の風の強くあたる箇所に
棒でタスキをし釘を打ち込む。半分が下駄になったやちむん塾の工房にワイヤーを掛け金具で固定する。
8月下旬に焚く予定であったが、雨の影響で薪がまにあわず、9月中旬頃に延期をした。3年ぶりの大窯焚きで
窯の補修後、水に溶かした耐火度の強い前兼久土で窯の内部全体を上塗りし、空焚きもしないといけない。薪窯は天気に
左右され、木の製材が少なくなった今、薪集めはたいへんである。焚き口用の薪は、友人の手配で確保できた。また経済連
より補助薪のバンキを4トン車で運んでもらうしかない。その後の釘抜きと、窯変用の細かい補助薪、、、。
窯屋根の古いトタンを、まだ替えていない箇所があって、そこのトタンの張替え、常にこの調子で、大工仕事は、いつものことである。
窯焚きは選挙、投票後の9/15から18日の予定なのだが。
                                   一週間の延期9/22〜25日窯焚き予定                                      
窯焚きが終わってから、日記は整理しよう。