7/5  マチダ機工から2トンユニット車を借り、助っ人、ユンボ技術者のM氏と3人で、イトマンの同業者の窯場へ
電気窯を取りに向かった。一度伺いはしたが、道案内出来るほど確かではない。それでもユニック車に乗った2人
にネットから印刷した目的家の地図を渡し、俺の車を追ってくれと伝えイトマンに向かった。途中、ニシハラで9時に
出発したことを、先方に伝え、自分も地図を見ながら運転してイトマン方向に進んでいった。那覇空港から下りてくる
西海岸線の道は知っているが、与那原からの近道はサッパリわからない。それに、車内は直射日光でむせ返えって
いる。一週間前給油所の紹介で電機修理店の工場で冷房のガスを入れたのだがガスの圧縮に無理があって入らな
いと言っていた。それでも入るだけ入れてもらった。コンプレッサーは作動しているが、圧縮機が寿命なのかエアコン
が効いているのかいないのか車の窓を開けたり閉めたり。

目的地のイトマン手前で後続のユニット車がガソ欠か給油所に入ったのでこちらも給油所に入ってイトマンの
サンエーで一旦落ちあおうと話をする。道を聞きながら待っている間に出口近辺が渋滞。先に出たユニック車
を見失ってしまった。サンエーからでは目的家からはだいぶ遠い携帯から連絡を取りいきつもどりついながら
アハゴン十字路で落ちあいなんとかT氏宅に辿りついた。






7/5にユニック車で運んでから助っ人と2人で小屋の壁面を造っている。棟梁?は自家用車がないので送り迎え、弁当、日当
日用品の買い出しまで引き受けての待遇。話にダジャレが多い、その分口の体操になる。窯焚きや、台風被害の修繕やらを
いつもやってもらっているので、頼みやすい。サルスベリの花は、助っ人の玄関横の道端に咲いていた。待っている間に撮る。
その斜め下の窪地にはガジュマルの木に覆われた円形のコンクリートの井戸がある。今は使用していないのかコンクリートの井戸の
蓋は誇りをかぶっている、






7/11  台風が襲来すると言うので電気窯の小屋作りの壁の基礎の部分をコンクリートとブロックで固めるだけにして。
周りのかたずけをし、掃除をする。電気窯にはブルーシートを被せロープでグルグル巻きにして雨でぬれないようにする。
風でふきとばされないよう端はしにブロックを載せる。




7/12  今日夕方から明日にかけて本島内に最接近すると言う大型台風。昨日はぐっすり眠り8時過ぎに起きた。久しぶり
に十分睡眠をとったので、疲れが取れ体が軽くさわやかだ。一昨日メガネ屋に注文してあったメガネができあがったとの連絡
を受けていたので、取りに行った。今使用しているメガネではハッキリしなくなったので、検眼をした。度は進んでいなかった。
老眼との関係なのか、近眼は歳をとる度に良く見えてくるのだ。新聞を見るときには、メガネをはずす。近眼と老眼併用の玉に
変え淵を飴いろの鼈甲にした。同じ傾向の予備は持っているも、黒ぶちの眼鏡もほしくなるものだ。しかし値段が高い。
メガネは他の品物と比較して非常に高いように思う。



7/13  本島には何事もなく先島を直撃して台風は通りすぎた。真夏の強い日差しが自宅のアルミサッシ戸から差し込んでいる。
裏庭のドアを開け、サッシ戸を開けて風を通す。棟梁?には来週お迎えにいきますので、と伝えている。小屋ができるまで
送り迎えをし、ダジャレを聞きながら、完成させよう。台風も去ったのでテクテクもせねばいけない。今場所期待の希勢の里
序盤3敗で横綱挑戦ふりだしだ。


7/14  ジジイになると日常で体を動かさなくなってくる、若いころは、球技をしたり、遊びながら、つりにいったり、泳いだり
運動になることをやっていた。やちむんをすることも、体を動かすことの一環と思うのだが。静の運動?、動の運動。
それをしないのだから運動不足になる。いまでは、時間を作って歩くのが唯一の運動か。





7/21  同業者より電気窯を安くゆずりうけてから、設置する小屋造りを、助っ人と2人で連日3つ年配の輩と送り迎えしながら
続く暑さの中ぐっしょり汗をかきながら大工仕事をしている、今日は投票後に、たまった作業着を窯場ので洗濯をして小屋完成まで、
明日からの大工仕事に備えなければいけない。N氏から古民家を取り壊した後のガラス窓枠、屋根に使われた
チャーギをつかってみた。後はヤチムン塾テラスからの梯子階段、反対側の壁、窯戸の囲いのレンガ壁だ。






8/1  小屋作りは叉、来週からしようと、助っ人に伝えた。まだ壁や、階段梯子周り、窓ガラス等一段落まで
終わっていないのだが、3日に親戚の結婚式にいかねばいけないし、かりゆしウエアを買いにもいかなければいけない。
あまり、バタバタせず、余裕をもって生活していきたいと思っているのだが。昨日は3時に大工仕事を終え、自宅隣家から
切り落とされ散乱した枝はしを特大のカマスに4袋入れ、窯場に持ち運ぶ。この枝木は洗濯干し場に侵入して洗濯物が
干せないと2回目の苦情がきていた、事前にジジカイからも連絡がきて、えだのすべてが切り倒されていた
日差が屋内にが入るのだが、こちらが悪いのはあきらかさらに根元から切り落とすことにした。




連日の猛暑で群生していたツワブキはゲンナリをとおりこし、ひん死、芝生も。毎日水を掛けているのだが、強烈な
日射にすぐさま干上がってしまう。日本列島の気象をみただけでも日本海側と太平洋側の異常な温度差、
地球環境の破壊、温暖化、資源の奪い合い等人間のオゴリのツケが自然環境の悪化に繋がっている。


8/16  甲子園 オキナワショウガク2回戦4対3負ける。競り合うと勝っていたように思うのだが、このところ執念の
ガッツが沖縄球児に見られ無くなっている。来年ガッツを期待したい。昨日ガラス産業に持って行った6つの窓枠
にガラスをはめ終わったのでとの連絡があり受け取りに行った。以前は2ミリのガラスがはられていたが、3ミリもはる
ことが可能とのことで、厚めを入れてもらった。

8/18  夏の甲子園も終わり、恒例の旧盆。七夕に墓掃除をし、先祖を迎える。明日はウンケイしかし、まだ仏壇
に花や果物を供えていず、昨深夜世界陸上を見た眼をこすり時計を見ると9時になっていた急いで顔を洗い
スーパーに買い出しに出る。177で天気予報を聞いていたが、気にしていた低気圧は発達していない。
しかし、車のラジオで台風がフィリピンで発生したとのこと。後で窯場にいって台風対策をしないといけない。




8/21  ナカビに次女家族が来た。ウウクイの日に長女家族がきたので、養父母とハワイタンメー伯父さん夫婦
また来年メンソウレーと言って、一緒に路はしで手を合わせ長女家族と送り出した。仏壇のある家に中元をもっての
親戚まわりは、親世代から子供の世代になっていて、義務的とはいえ大事とは皆思っていて、それでも親世代
のように親戚同士でのモアイや三味線で集まってユンタク等の機会を作っていないから共通の話題が少なく
とぎれがちだ。オヤジの世代にはウフヤー、門中墓まで皆で掃除をし先祖を迎えていたように思う。






8/31  昨日は本島に台風が来ると言うことで、対策をしっかりして窯場を休んだが先島から本島をさけ
日本列島を縦断との予報、温帯低気圧にかわったのかどうか?気象の変化が著しい。窯場に着き戸をあけて
いると、やちむん塾のサッシアルミ戸の前にアカショウビンがホシイカのようになって死んでいた。強い風にあい
小屋に避難しようとガラス戸にぶち当たったのだろう。アカショウビンはいまでも、雨の日の翌日に多く表れ、あの
独特な鳴き声を響かせ水辺の雑木を渡り飛ぶ。築窯した当時はここら一帯は鬱蒼と雑木が繁茂し、ヤンバルの
森の体系がこのイシカワの地区までみられたのだが、30年も経つと民家の建築が追いかけてきて、
夜は真っ暗やみだった森も人の気配で明るくなった。サンコウチョウは10年前までは、年に1,2度
見ることができたが現在はみたことがない。ホタルは変わらず見ることができる。