9/1  8/30〜9/1ウンケイ、ナカビ、ウウクイと旧暦7/7日に墓掃除をして墓より祖先を家にウンチケイをして、旧盆を迎える。仏壇を持っている
恒例の大事な行事だ。親戚の面々もこの時は中元を抱えて来るので、供え物をし提灯等もつけて自宅を開け迎えなければいけない。
墓には8人兄弟の四男ハワイ帰りの祖父、伯父さん夫婦と養父母が入っている。親の代から比べて、親戚がお中元を携え
各親戚の先祖の仏壇にこれまで義務的に手を合わせていたのが、近頃は自身の老いを自覚するようになると、血縁のこととか、
家系のこととか、ルーツを考えたりすると、おごそかな気持ちになる。



  


9/5  読谷村喜名番所から一里、真栄田の一里塚、昔、首里王府の宿道が中頭から仲泊に抜ける西海岸道近くから
N氏のはからいで、運んだ赤土を一年間野ざらしにし、その後ブルーシートを掛け、風化をさせた。陶土としてあつかいやす
くするためなのだが。ナマケと思案の時間がそこには入っている。そんな原土をスイヒ漕に土と水を入れ攪拌しスイヒをした。
攪拌した泥水をバケツで汲みとり細かい網で作った濾し器を通して沈殿槽に流し込む。二週間後に水と泥土が分離した上水を
汲みとり泥土を天干し用の四方をブロックで囲み毛布で覆った漕にバケツで汲み入れる。さらに一週間後瓦に載せられる程になった
泥土を手ですくって瓦に載せ天日に干す。ロクロで成形できる硬さになったら陶土の完成なのだが、一日目ではまだ柔らかい。
側にはみで、分離し程よく硬くなった陶土を各瓦から一握り拾い集め早速土揉みをして、ロクロで挽いてみた。腰が従来の土と
比べかなり強い。ロクロ挽きでドンドン上に登る。挽き上げやすい。栄養分のタップリ入った密度の濃いチョコレートのような陶土である。
久しぶりに良質の土にめぐり合い興奮している。昔の喜名焼のように硬く焼き締まった逸品が生まれるのではないか。
その思いもあって、まずは伝統的な民芸調の水甕、ハンドー甕、古酒甕、酒器類順を追って作ることにした。


  


  




  


9/14  明日、明後日と台風だ。今年は沖縄に直撃が多い。しかも例年にないパワーの台風のようで、まずは、食事の買い出し
をしなければいけない。半月に一回はアワセギョコウに行きタマンをいっぴき三枚に下ろしてもらい、4,5日間さしみと魚汁で、白米と
玄米を半々にしたご飯と食する。そうしたかったのだが、海は時化て生魚が無く、ソーキ肉を2斤買うことにした。肉類は、魚類を務めて
多く食べるようにしている。肉も牛肉より豚肉だ。その時は野菜を多めに食べるようにしている。



台風15、16号と去った後、窯場の工房を開け、すべての窓を開け終わった後、何気なく傍の軍払下げのスチールデスクの下に
目をやると、ハブがトグロを巻いている。ビックリしたが、冷静にどうしようかと、思案する。明らかに、昨日の台風で、屋内に避難して
きたのだ。そのまま自然に外に出るのをまとうかとも考える。カエルを食するため、庭先の底の深い水甕や、水槽の中から這い
あがれずに、いたりするが、その時は棒を橋渡しにして逃がしている。多くがむだな動きをしない、ヒメハブ(ニイブイハブ)が多い。
しかし、猛毒を持っている。ヤチムンをする以前、爬虫類は苦手でヘビはその中でも特にそうであった、もともと海が好きで、
山中に入ること事態よそうだにしなかった。現在家主として、10年ほど前より、タイワンスジオウが天井の軒先に住み着いている。
コレがきてから、常に悩まされてきたネズミがすべて居なくなった。俊敏なハブや雨上がりに戸の隙間にいたアカマタもそうだ。
タイワンスジオウは外来種で退治しなければいけない品種のようなのだが、多くが2mを超え文様はハブ似ていて、頭は
アオダイショウのように細く地蔵さんのような顔をしている。


9/29  台風17号が直撃通過中。午前中から強風が吹き荒れ、正午過ぎに一旦目に入り、その後猛烈なケーシ風が吹いている。
一方通行の道上からどこの家の壁から剥がれたトタンか、カタン、カタンと鳴り響き今にも飛んできそうだ。そうこう10分も
経たないうちに、その一部が、我が家の門の鉄柵に引っ掛かった。危ない、すぐ向かいには車が2台駐車している。
幸いにもこちらの柵にひっかかたのだ。風が少し弱まるのを待って、野球帽をかぶり軍手をして、柵から取り外し、
足で潰しながら折りたたみ、玄関に投げ入れた。