6/6  焼き物(陶器)には、一般に柚薬を掻ける上焼きと、無柚の焼き〆(南蛮焼き)がある。小生は、後者の南蛮焼き、穴窯で焼成している。 縄文土器に魅了されてから、そこからまだ抜け出せないでいる。3/11以降価値観が変わった。作品作りにおいては、創る意義を見いだせず、 意欲が無くなっていた。縄文土器を追う姿勢はかわっていない。逆に強くなった。この歳に及んで、表現する素材の土が、このところ、 薪窯では、体力的に負担を大きく感ずるようになった。表現する事に関しては、まだしも、これまでやってきた、素材の土において十分に 具現化しているとは、おもえないが、ここにきて体力的な、リスクの大きさを感ぜずにはいられない。体力的に負担のかからない小物の制作や、 電気窯での焼成も考えている。あるいは、別の表現方法も、ジャンルは問わず、制作の全行程を負担無く試みることが、できる素材。   4交代6時間で窯を炊く。9時からPM3時までは毎日ウルマ市のシルバー人材センターの人に入ってもらい、後の時間を3人で割り振りし、時間割 を決め順繰りに従来道理に交代で窯焚きをした。最初のスタート時の温度は100度C内で一日を終え、2日目から200度Cから300度Cに温度を 徐々にあげ、4日目間その温度で引っ張っていく。低温度で引っ張っても窯は熱くなっていく、今回も古酒壺なのだが、2年ぶりの窯焚きだ。 窯の構造は両側面は耐火レンガで築いているが、その上の天井はワラを混入した泥でできている。窯はもっとも原始的な構造の穴窯だ。どうして、 こうした非能率的な窯で焼成するのかと言うと、昔ながらの苦労して焼いた証の後味が、実に深みのある味わいとして目にうつるからである。 毎年、失敗したりで、課題がのこる窯焚きなのだが、今回は薪の火力の強さが大きく窯焚きを左右することを改めて強く認識させられた。 これまでの窯焚きで、解っていることなのだが、焚く時間の長さや、労力で補ってきた節があった。そこのところが、毎度の窯焚きで一番 注意しなければいけない、重要ポイントだ。南蛮焼き(荒焼き)は、焼きが作品全てを決めてしまう。作品の良し悪しは窯焚き。そう言う 意味でも焚く薪に注意する必要があるのだ。以前沖縄で個展をしていた内地の窯元が、同じ系統の無柚の焼き〆と言うこともあって、 個展後に訪ねてきた。展示室で話をしながら、窯をみたいとのことで、薪をつんだ窯に降りていった。窯の薪置き場に、松材と雑木が入り 交じって積んであった。しばらく、窯場をじっとみた後、「この薪で、窯焚きをするんですか、1300まで温度が上がるんですか」と、 疑問を呈してきた。そのときはは、「廃材でもなんでも薪にして1300度まで温度をあげ窯を焚いている。」とためらいもなく、言った。 その当時は体力もあり無理しての窯焚きで、一日や二日の延長があっても焚きとうしたのだ。やはり薪は、火力の強い松材のなかでも、 松ヤニの詰まった松で焚くべきである。雑木、廃材では火力は弱い。窯焚きの最後の攻め焚きの追い込みで投入する薪には、どおしても、 火力のある良質の松材がいる。そうでないと、肝心なつめで、予定温度まであげることができないうえ、質の悪いまきでは、温度を下げた うえオキが貯まり、根詰まりとなって、薪の投入度に温度が逆に下がっていく、悪循環となるのだ。それと、あるていど窯焚きの経験をつんだ 焚き人である。昔、壺屋ではヒータチャー(火焚き人)として、職人のように、窯を焚いて回る、専門の窯タチャーもいたようである。 焼成の良し悪しは、この窯焚きによってきまるのだ。 毎回窯焚きにあっては、今回も、まったくの、素人を、つなぎ人として入ってもらうことになった。窯焚きに関してはヤチムンについてある ていどの興味と関心があり、物作りの情熱がなければ窯を焚くことができない。


  

6/21 今年で65歳になる。嬉しいのかそうでないのか、年金受給の年なのだ。60歳になったころから、年金に関しては、受給者になったので、 提出書類を保険事務所へでむき、問い合わせたりして資料を提出したりしてきた。職歴を明確に年度順に並べて書いていく。これまで歩んできた 道しるべ。共済年金、厚生年金、国民年金。とあり、8年、2年、35年とほとんど国民年金がほとんどの年数をしめているが、厚生年金に至っては、 高度成長期に季節工として勤めたトヨタの生産ラインでの組立とサトウコウギョウでの鉄筋工である。 7/5 7、8年いや、10年はすぎてしまったのか。しばらく古酒壺を作る。と言っているうちに、しばらくどころか、当たり前のように、 酒壺作り専門の陶工になってしまった。生活に密着しているし、大作となる大壺の景色(窯 変)は魅力十分なのだが。 7/16  カレンダーを見ると、海の日で赤丸がつき休日になっている。。これは沖縄だけの休日なのかと、トンチンカンなことを思ったりして。 復帰して40年と言うのに、未だになにも変わらない差別あつかいの残った基地の問題、世界で一番きけんな飛行場として普天間の街の真ん中にある 飛行場は安保のもと、強固な米国への追従でオスプレイ配備を押し進める政府。沖縄との大きな温度差はもはや、同じ国民とは、みてとれない。 7/18  いつもどおり、スイヒを終え、一人分のアイスボックスからシークァーサーの入った茶をコップで飲む。汗で体に張り付いた ビショビショのシャツを脱ぎとり車のボンネットに張り付ける。シャツは湯気を出している。二枚目のシャツを着て、イスに腰掛ける。 体は火照って熱く、着替えたシャツもグッショリとなる。このまま日差しを受け作業をすると日射病になりそうだ。まだ下段の泥水層 が一杯になっていない。しばし休憩をした後に一杯にしようと作業道具はそのままである。台風の影響で、あっと言う間に空が暗くなり 集中豪雨で、窯場の通り道や道路が、滝や川に変わって崖下に水が流れていく、慌てて、車の窓を閉めカッパを被り道具をかたずけた。    7/21 原土を水で攪拌し、カスになって残った砂状の滞積物をスコップで一輪車に入れ、窯そばに埋め込んだ水瓶に入れる。窯焚き終了後 に焚き口、扶助薪投入口等をレンガデ密閉する時に泥土として利用する。喜名土3体2削りカス土体1木節粘土の割合で攪拌する水槽に一輪車 で運び入れた後に網を濾し沈殿した泥と水が分離した上澄みの水に水中ポンプを入れ水を攪拌水槽にそそぎ込む。攪拌は人力、ブロックで囲んだ 水槽の淵をテコにして船を漕ぐ要領で攪拌する。






8/6  台風9,10,11号と直撃は免れたものの、反し風で時たま集中豪雨があり、それとオリンピックが重なってTVをみつずけている。
ロンドンとの時間差で中継は深夜が多く、まいってしまう。小生のテクテクは4,5日間お預けをくっている。部屋でストレッチをするのみだ。


8/25  14,15号と台風が沖縄に、とくに15号の規模の大きい奴が、まともに直撃をするようで、明日が猛威をふるうようで、今日は窯場に行き、
スイヒをした泥土漕にトタンで蓋をしブルーシートを被せ、ブロックの重しを乗せる。薪もロープを掛けブロックを上に載せる。窯の作品の出し入れ
口はしっかり、板蓋をして、耐火レンガとつっかい棒で固定し閉じる。工房内のガラス戸は全て閉め外戸の風の当たる戸はサン板をタスキにドライバー
で固定した。対策をした後に2,3個パパイアを持って帰るつもりであったが、忘れてしまった。パパイアは全てだめでしょう。
工房の屋根瓦が飛ばないよう祈るばかりである。テクテクは今日は休み、夕食は昼食の弁当を半分残したので。