2月某日

自宅で養母の介護と、ヘルパーが来る午前中の時間帯にウオーキングをすることが日課になった。

ウオーキングは毎日の介護の気分転換と、その後の焼き物の仕事を続ける体力維持に欠かせない。

窯場を閉めてから、1年近くに成ろうとしている。ほったらかしている窯場に、半月の間隔で伸びた草を刈りに行く。

雑草の勢いに追いつけない。それでもガムシャラに、草刈機のエンジンを蒸かし、回転台に付けたナイロン線を回し、草を切っていく。

伸びきった雑草は、切った後うまく飛び散らず、草刈機の回転台に絡みつき、何度もエンジンを止めた。そのつど、草の下から飛び上がる

無数のヤブ蚊の大群が、服の上からでもおかまいなしに刺してくる。燃料を使い切るまで草刈機を回転させるつもりであったが

あきらめ、工房に入った。赤瓦屋根の工房内は、外と温度差が2.3度違い、ひんやりと涼しい。玄関戸を開けただけの外からの光線

では真っ暗闇で見えない。すべての窓をあけ、仕事をしている時でも、少し暗いので常に蛍光灯を点けている。

奥のロクロ台の片隅に積んだ陶土を、埃を払いのけ、ビニールの上から指で押し付ける。成型できないほど硬く成っている。

しばらく「土」から離れていると、触りたい反面、鬱陶しい気持ちにもなっていて、冷めた距離感で見ている自分に、戸惑った。

囲炉裏側の椅子に腰を下ろす。情熱が薄れているのではと焦る。何かにつけこの椅子に腰を下ろす。思索し、疲れを癒し、

あるいは怠けたりする場所で、小枝の薪を燃やし、火箸で灰を成らしている内に、気持ちが落ちついてくる。

これまで一番長く居座ってきた空間である。今日はスンナリとは馴染めず、落ち着けない。

腰を上げ、外のホルトノキに移植したサクラランを見にいく、花の咲きそうな気配を感じる。




ウオーキング場所(泡瀬運動公園内の草花)



1月の中旬より県運動公園内で再びウオーキングを始めた。日曜日を除いて毎日1時間半で8キロ歩いている。
                             
公園内は十分な広さがあり、海と雑木林とを回りながら歩けることは、格好のウオーキング場所である。




グンバイヒルガオ(泡瀬運動公園内)


1/21 自宅天井コンクリートの補修工事後のペンキ塗りを終えた。旧正大晦日、燐家の親戚

よりクァチイ(ご馳走)がくる。線香をつけ仏壇に供える。その後、ウサンデー、サビラ

(仏に、頂きます)と言って、母とクァチーを食べた。


栴檀の木(泡瀬運動公園内)

                             1/24 沖縄三越よりフャクス 紙上オークションで出展した壷2点売れましたとの報告。
                               「名士寄贈書画工芸作品展」のチャリティー展。毎日新聞社のF氏より伊勢市のT氏が
                               購入したとの封書が届く。   

                             
    
2/6 旧暦1月16日(昨年亡くなった人の正月)叔父さんがいるのでいくことになった。

母もその日は、ヘエーク、イケー(早く、行きなさい)とうるさい。


デイゴの花(泡瀬運動公園内)
    

2/24 母が今年も昨年同様2月下旬に転んで怪我をした。ベットの横に置いたポータブルトイレで便を

しようとした際、下に敷いた新聞紙に足をを滑らせ横転。(新聞紙はトイレで用をする前にほとんど失禁して

しまうためで、その後は、新聞紙の上に布をしいている。)ちょっとしたつまずきにも支えがないと、タチク

ンバイ(立ち続けること)ができず、直ぐ転んでしまう。今では立ち上がるときや2,3歩進むのにも介助

が必要だ。しかし本人はまだ大丈夫だと思っているようで、ふらつきながらも家の中で杖をついて歩く

し、用をたす。いつものように朝、2階の外階段を降り(今日は30分おくれたなと思いながら)急いで

下の母屋の玄関の鍵を開け、養母の寝ている部屋へ行くと異臭があり様子がおかしい「クヌ、 テイー

、トットラセイ」(この手を抜いてくれ)と言いながらうなだれていた。ベットから起きる為に取り付けた

取っ手に、右腕を肩の付け根までねじこんだ格好で体が反転、後ろ手になってベットの高さに

腕が吊られ、ぐったりとしていた。大丈夫かと思いながら、足元の便を跨いで抱きおこそうとするのだが、

  腕が取っ手から簡単に抜けない。しかも差し込んだ手が逆になっているため、戻しながら腕を抜か

ないといけない。ねじ込んだ腕はがっちり食い込んでおり、こちらは慌てていて、抜けないのなら取っ手

を一時も早く壊そうとするのだが、このときに限って、楽に起き上がられる様にと、取り付けた取っ手が

アダとなり悔やんだ。頑丈に壊れないようにと、木の取っ手は私がネジを電動ドライバーでしっかりベッドに

固定して作ったもので、そのドライバーがここにあれば逆回転し、直ぐ外せるのだが、窯場にしかない。

もはや腕を抜き外すしかなく、母を抱え込んで持ち上げ、片方の手で母のねじれた腕を元に戻しながら、

途中何度も力つき降ろしそうになったが、ふんばって、なんとか腕を取っ手から抜いた。

腕の皮膚が破れ筋肉がむき出しになっている。タオルで縛り、急いで救急車を呼び、ヘルパー

さんに連絡をする。救急車が到着、往診医師のいるT病院へ、処置をした後入院を進めるが、

本人はダメと言うことで、皮膚を縫い合わせ、腕にラップをして3時間後に帰宅。今日の分の

痛めくすりを処方され、しばらく傷が治るまで、毎日看護師(医師)が、往診するからとのこと。

私も今日より隣の部屋で、付き添って寝ることにした。


2/29 母、医師が驚くほどに傷の直りが早い、食欲があり、このまま、自然に、皮膚に

塗り薬をつけないでの治療が良いとのこと。




4/3 K氏より電話があり今日窯の掃除をし窯焚きの準備をするのでとの連絡がいったので午後

窯場に行くことにした。


4/9 やちむん塾生4.5人での窯焚き


4/17 やちむん塾生、窯出し