ウオーキング2

毎日歩いている。ただひたすら、時間があけば、躊躇なくスポーツウェアーに着替え、運動公園に出向く。体を動かすことで、 健康を維持している実感があるからだ。夜更かしをしたり、飲酒、暴食をすると、翌日の運動時には覿面に表れる。ここ2年は、 毎日休むことなく歩き続けているので、ほとんど飲むことはなくなった。今では帰宅し、スンナリと運動用のスポーツウェアー にきがえ、以前、特定検診時に保健士から受けた筋力トレーニングを室内で終え、運動公園にむかう。着替えると、言っても外出 時に着る服は、常に、スポーツウェアー一辺倒。しかも3着、同種同色であるから、自分では順繰りに着替えているが、他人から 見れば同じジャージをいつも着ている様に見える。すでに、中高年の仲間入り、高齢社会の幾末に我が身もベルトコンべアに乗っ かている。自分も仲間内に入ったためか、街中の中高年を目に留めるようになり気にかけ、歩いている姿や、顔の表情をも見るよ うになった。多くがジャージ姿で帽子をかぶり歩いている。自宅周辺で、同期生の顔を見かける時も多々ある。団塊の世代。 十字路界隈の市場近辺には軒が繋がるほど各家から同期生が学校に通っていた。しかし、半世紀も経た今は、 歯が抜け落ちたように界隈はゴーストタウン化した。 飛行機が高層ビルに激突した。炎上、ビルが倒壊。鮮明なドキュウメントタッチの映像がTV画面から、目に飛び 込んできた。ハリウド映画と見間違える現実の報道ニュースであった。十一年前に起きた出来事だ。9/11(同時多発 テロ)そして、昨年、東日本大震災が3/11に起きた。堤防を乗り越えた津波が一瞬にして家屋を飲み込み流していく。 難を逃れ、高台に避難した人々は、ただ、茫然と家屋や、車が流されていく様を、悲痛な思いで 見ることしかできない、無力感。絶望。無常。  (数日後に車の中でラジオ番組を聞いたのだが、パーソナリテーのタカハシゲンイチロウのラジオ番組に タニガワシュンタロウがゲストに招かれて対談しているのを聞いた。アシストのひとから、3/11後と前 とでは生き方が変わりましたかと言う二人への問に、タニガワさんは変わらないということを澱みなく言った。 (私は、まさかと、キツネに包まれた思いがしたが、その後、話がどう展開するのか、聞き耳をたてた。) ゲンイチロウは変わったとの意見、つまりは、過去にもこの歴史の中で、大きな災害が起きている。自分自身も 戦争などを経験している。過去の歴史から鑑みて、起こりうる結果だと、冷静に受け止めている。 これに対して、そう答えてくれたタニガワさんにゲンイチロウはホットしたと言う。


4/10 ポメラを買ったベストに専用のケースを注文しにいった。メーカーの専用となると、相当高いと言いながら、 店員は、ポメラの陳列された一群のコーナーに案内した。買った当日は一点だけが展示されていたと思ったが、ポメラの 一群のコーナーがあり、既製のケースも併設されていた。しかし、違った。形はポメラそのものなのだが、ワードや エクセルが組み込まれたパソコンを手帳形式に小型化したもの、その一群のコーナーであった。見た目はポメラそのもので、 インターネットもできる、縮小版パソコンである。2,3万前後、これでは、ポメラは3/1にならざるをえない。 「こちらは、専用ケースよりだいぶ安いですよ」メーカー取りよせとなれば、一週間もまたねばいけないこと、それに、高くつく ということ。既製ケースを購入した。ポメラの入ったバッグとデジタルカメラは決まって家を出る際は車に乗せ、持参している。 しかし、一週間も経つのに文字を刻んでない。日記を記することにこだわっていた時期があった。 日記をつければ、自然に文章をかけるようになるのではと、浅はかな思いのままに、書店に行って日記帳を 買い込んだ。その当時と変わらずじまいか。



  

4/20 雨が降り続いている。このまま梅雨に入るのか、窯焚きを一ヶ月延期したことで、その前にシーミー(清明際)を終え、 自宅も掃除をしなくてはいけない。窯場を掃除したりすると、決まって自宅がおろそかになる。窯場の清掃はいくらやっても 落ち葉の掃除はやれば一日ごしにあるし、草も一週間もすれば、延びてくる。ヤチムンを昨陶する合間合間に、他にも家の補修も どこか必ずでてくる。



  

4/28  今自分が何処にいてなにをしているのか?その立ち位置を確認したいと思った。はや還暦も過ぎ世に言う高齢者の中なのに、 それ相応の分別を持とうとは思わぬが、親達が皆亡くなった今、よかれ、あしかれ必然的に主体性を持って生きていくことに立ち向かわざる をえない。すべては、自分の意志で行動できるのだが、そう思えば行動すべてが、自己責任だし、志の高低も試されている。自分だけを 見ていては、今いる立ち位置を認識できない。親兄弟や、子供の歳を自分におくことで、第三者的に見ることでなんとか認識できる。



  

5/3  囲炉裏のある工房 かねて、築窯前から、囲炉裏を作ることにしていた。南国の沖縄では、ピンとこないが、ヤチムンをする雰囲気作りから すると似つかわしいのだ。それに、屋根は、沖縄の古民家、赤瓦屋根。工房を作り、屋根を葺き、ガランとした屋内で、囲炉裏を設置 する位置を最初に決めた。コザジュウジロ近くの自宅から車を運転してから、30分程、このあたりは、まだ北部の山原の植物生態系が 残っている森だ。屋内から、煙が流れている。囲炉裏の炎が見える。1・5m平方の四角く縁どった厚めの板は、電柱を真っ二つに割いき 平らな部分を卓上にした囲炉裏だ。卓上は、琉球石灰岩で下支え、四角はブロックを土台にしている。囲炉裏には炎があがっている。 杉の木が入っているのであろう、時たまポンポンとはじく度に炎が揺れ、焦げた木片を時折はじき飛ばす。囲炉裏を囲んで、土間には 風呂屋で腰掛ける高さの木いすが四方におかれている。工房の中央には、漆喰の壁があり、壁を背に囲炉裏卓上の一角には、 Blendyのラベルの付いたコーヒー瓶の中に泡盛で漬けられた唐辛子が黄土色になっている。他には陶器の急須、味噌カメ、菓子皿が置かれている。 指で持つ部分が朱色の昔ながらの箸の入ったガラスコップも置かれている。赤瓦むき出しの天井からは、電柱の梁にヤブニッケイの丸太が渡され自在 がつり下がりヤカンが掛けられている。そのヤカンは煤で真っ黒だ。囲炉裏の奥の角に、車から取り外されたイスが、置かれている。いすの前には床板 を敷き詰めた端から、屋根裏に梯子がかけられ、その梯子から、囲炉裏を挟んで小さな台が机となって突き出ている。イスと角度のあった傾きで、固定 されている。玄関正面の土間に作られた囲炉裏を挟んでL字型に床板を敷いた展示室。壁際には不定系に3段棚があり、無柚の焼き締めの 南蛮壷、花器が置かれ、床には分厚く切られたたらの切り株に泡盛のクースの詰まった2斗カメが8本置かれ、酒造会社の名札が付いている。泡盛の他 にも菓子皿や、カラカラ、鬼の腕等もある。車のイスに座し、真向かいの展示室を見通すと、掃きだしの引き戸が開いた外に、描きたい景色 が現れる。幾重にも野積みした赤瓦の上にビール瓶、一升瓶が転がっている。琉球石灰岩の岩山を抱え込んだガジマルが枝を広げ、風が強い日には、 揺れて木漏れ日が射し風を送る他は、太陽の光線を遮断したままの葉の間から、ウゴイスが顔を出し、下枝に降りてきて春をつげる。



5/16  コーヒータイム。コーヒーを煎れて飲む。束の間のひととき。休憩時にホッと気を抜き、くつろぐ時間だ。もちろんコーヒーを飲むのだが、 その雰囲気、間、がセットになった時間経過を心地よく感じながら、煎れたコーヒーカップを受け皿に置く。この上ない至福の時間を持つこ ととなる。もはや、集い、ひとときを過ごす場には、欠かせない。そのコーヒーの木が、窯場の広場になった土手に、二股に分かれた一株の 木がホルトノキの下で無数の枝に葉が茂って、毎年多数の花が咲き実をつける。背丈が大きく上に延びたものだから、1・5mの高さに、 剪定した。またもや、無数の枝がでてきて、葉が付き生い茂った。大樹のホルトノキの下は、土が肥えている。元々あったアカバナを取り除き、 土を耕し、コーヒーの種を蒔いた。種から何本も芽が出て、葉を付け広がっている。自然に鳥のフンで、蒔れたのかパパイヤも、何 本も芽をだし、葉をひろげている。 5/20  1、2日晴れたので、梅雨は終わったのかと、思いきや、そうではなく、土曜、日曜と大雨が降り続いた。まだつゆは終わっていないのだ。 来週に、残った一番袋の最終の窯詰めを終えて、再来週から窯焚きとなる。窯焚き の人数も確保しないといけない。 5/23  さわやかな朝、ガラス戸から太陽の光線が畳間に差し込む。今日は残った一番袋の窯詰め。予定では、一週間前に窯詰めは、 終わっているはずなのだが、天気予報の傘モークどうり、雨が降り続き、湿気で作品が乾燥していなかった。昨日は、世紀の天体ショウ の金環日食がスカイツリーの開園と重なり、イベントとしてにぎわった。東日本の仮設住宅からも中継があったが、日食グラスを通して 観察している人達の笑顔には、一抹の寂しさがにじんでいた。



    

5/29〜6/5まで窯焚き(3日目5月31日撮影)