7/9  窯場前にガマの出口がある。戦争時に付近住民300人が避難したと言う。ここ十数年本土修学旅行生の
追体験学習の場として活用され、出口の地権者がガイド料を貰って案内している。この地に築窯をして来年で30年に
成ろうとしている。その頃は奥深い北部の山原の森がここにあり、一軒ポツリとあった窯が、私と読谷村からと
三窯元になり、4年後に読谷村から又1人築窯をして、四窯元が農道入り口に「やちむんの村」の看板を立てた。
皆若く発展途上で、個性と個性のぶつかりをしながら競って薪窯を焚いていた。その頃はまだ、生活用水は雨水を
タンクにため不便をしていたが、四住宅いればと役所に水道を引いてくれることを依頼、近くて遠いゴルフ場より
暫定的に農業用のゴムホースで直ぐ引くこととなった。当時はヤンバルの植物体系の森がそのまま存在していて、
夜になると石川市外の灯りも見えない真っ暗闇の深い森で、出会う、ホタルや「お月さん」は幻想的であった。

  

7/16  5時に仕事を終え、それぞれの工房を閉めた。赤瓦屋根の工房は外を一周して外戸を閉め、屋内に入って内鍵
をかける。車とヒンプンの間で普段着に着替えトランクへ作業着を入れる。工房に入り米軍払下げ品、グレー色の
ガッシリとした机と壁板の隙間に、錠と一連の鍵が釘にかけてある。錠だけで鍵がなかった。今日自分の行動範囲を
追えばすぐ見つかると思っていた。「やちむん塾」の工房で三味線を弾いた。最近造った納屋に外壁を塗るため
クレオソートを一斗缶から小分けのため納屋で一連の鍵を使った。そして、工房内の机、囲炉裏の周辺、座椅子、
今日の動線をくまなく探すが、出てこない。大工仕事で、使う道具が無くて、半日、あるいは一日中、その道具探しで、
一日を潰してしまったことがある。道具は使い終わった後は常に決まった場所に置くクセを義務ずけ癖はついているの
だが、予定の作業をする際、以前やり残した作業をさし加えたりすると、早くやり終え本来の作業をしようと、付随した
鍵の使用は飛んでしまって、無意識に適当に鍵を置いてしまっている。何度も繰り返し探すが鍵は見つからない。
冷や汗で着替えた肌着がビショビショになる。5キロのワオーキングの後のようだ。囲炉裏そばの座椅子に足を投げ
出して坐する。これだけ探しても出てこないことが腑に落ちない。異次元に物品が移動したのではないか。
はたまた、ウガンジュ不足ではないかとまで思う。その時は虚脱状態で頭の中は真っ白になったのだ。
鍵はそのあと冷蔵庫からボトルに入った水を飲んだ後、何気なくつかんだボロ布の下にあった。

  

8/8 アルミサッシ戸を開け台所からの風を通す。店は休日なはずだが、決まった時刻に店主が通り過ぎていった。
すっかり頭部が白髪となり、歩きも遅くなっている。けたたましく黒電話がなった。 時間帯でどこからの電話かわか
っている。数十年前、電話局から電話機の切り替えの依頼があったがことわり、そのまま旧式の黒電話機を使用
している。金属音の響きは屋外からでも難なく聞こえる。決まって叔母が電話をかけ叔父さんに代わるのだが
「チカラン、ヌーイチョウガ、わからん」と言って又交代する。1年前よりあきらかに耳がとおくなっている。叔父は
名古屋のK製鉄所で工場長で定年退職し、妻に先立たれた後出身地のアワセに帰り、翌年から自治会長をした。
時期を同じくして期成会にも顔を出し、長年地域活動をしていた。半年前から、「ワンガル一番古株ヤル。アリン、
ムルワンガルサンドウ」と言いグチがよくでるようになった。今では自治会、期成会からも相手にされなくなって
いるのだが。「チブルヌ、ばかナトークトヤー」と言って落胆している。自転車に乗ることも危ないということで周り
から止められている。なにしろ、自転車で急に道路に飛び出したり、今にも倒れそうにヨレヨレと進行するので、
他の通行者や車の運転手には危なくてしょうがないらしい。最近はビジュルに「自転車がないので、掃除シーガン、
イカラン」とブツブツ言ってなげいていた。7人兄弟の内、実父4男(96)、叔父さん5男(93)の2人となった。
皆90歳近く生きているので長寿の家系統ではある。養父3男は75歳で脳梗塞で倒れ、自宅で5ねん、特別老人
施設で6年すごした後86歳で亡くなった。養母はカジマヤーを迎えた後98歳でこの世を去った。養父母の葬式や
親戚の冠婚葬祭は叔父さん夫婦が率先してやってもらった。天気もいいので実父を連れ出してドライブしよう
かとのことであった。いつものように、自宅に迎えに行く。

  


8/18  興南高校4強入りいよいよ準決勝、決勝、優勝となるのではないか。今の興南の戦いぶりは安心して観戦することができ
危なげない。常に先手を取って果敢に攻めの態勢で優位に持っていく。打順に関係なく1番から9番まで途切れなく皆打つ。
島袋投手の安定したピッチング。しかし、序盤で相手校が先に点を取りビクリとしたが、興南は動じず難なく点を取り返した。


8/24  ウンケイ、ナカビ、ウウクイと3日間旧盆が始る。仏壇のある家では、もっとも大きな行事である。旧7/7日に墓掃除をして、先祖
をお迎えし、仏壇に果物、重箱に御馳走を盛り付けて家で迎える。昨年は果物と盛り付けられた重箱をスーパーから買い供えたが
今年は三枚肉豚肉を2斤程買い蒸した後に味付けをし、ゴボウと昆布、コンニャクとで盛り付け、豆腐とソーメンの味噌汁にも三枚肉をいれた。
それと玄米ご飯。サシミにサラダを供える。旧盆初日のウンケイにてるや青年団の道ジュネーエイサーが仏壇に食事を出した後にすぐ来る
アルミサッシの窓を開けつんざく様な太鼓の轟音を、心地よく向かい入れる。興南高校の優勝のホテリがまだ体内に残っており相まって
気分が高揚しているのだ。それは道ジュネーエイサー青年団、見物客も一緒だ。