4/10  2,3日前に次女から電話が有った。交際している彼を紹介したいとのこと。突然のことにビックリしたが、
結納をもすでに決めているようであった。時が過ぎるのが早い。20歳になったら、、などと思っているうちに、すでに
通り過ぎ、せめて娘達と旅行にと、それもかなわず、おじいちゃんになってしまうのか。いずれは長女も続くわけで。
自宅より窯場の方が話しやすいだろうと、仕事場で会うことにした。普通に話をしようと思いつつも、竹箒で、落ち葉を
掃くのみ、ソワソワ。(当人同士で決めたのだから、お互い協力してやっていけばいい。こちらは、見守っていくから。
娘を、よろしく。)などと話したような?気がする。その後窯場を一巡、薪窯を見て、仕事があるのでと二人は立ち
去った。車内のフロントガラスの隅っこに付いた、交通安全のお守りが目に入った。いつしか毎年初詣の際に娘が
買ってきていた。来年は買って来てくれるのだろうかと、ふと思ったりした。今日はこのまま仕事をするのも億劫になり、
自宅の屋上の朽ちた洗濯干し場の鉄骨を取り除いて台付きの簡易干し場に取り替える作業をすることにした。
窯場を閉め車に乗る。



  

  
4/13  今日は朝から雨が、降っている。このままシトシトと降り続きそうな天気模様だ。雨の日には、ゆっくり
午後から自宅を出るようになった。近くの書店を覗いてから窯場に行く。雨の日はヤチムンの仕事はせず、
読書や、用事、やり忘れた雑事を探し出しては、している。


  



4/20  窯場の中央にホルトノキの大樹がある。24年前ここに窯場を作る際、森の中で一番大きな木であった。
イタジイ、オキナワウラジロガシ、マテバシイ等のドングリの木は見られないが、山原の植物体系がココ石川市まで
繋がっているようでヤブニッケイ、アカギ、ホルトノキ、ガジュマル、ハギやクワ、センダン、クチナシ、クスノハガシワ
コバンノキ、リュウキュウマツ、モクマオの木々や、クロツグ、クワズイモそしてつる類のトウズルモドキ、シラタマカズラ、
ノアサガオ、タイワンクズが隙間無く覆いつくし、ジャングルの程で密集していた。ホルトノ大樹を残し、工房と窯の配置を
描きながら、ユンボ運転手とお祓いをした後、木を倒し森を開けた。倒した多くの木々は窯焚きの薪に使用した。
真ん中には三枝の天に延びた見事なホルトノキの大樹が残った。今日はひとまず終わって、明日から土地の整地をお願い
したのだが、今日で明日の準備を有る程度したかったのか、一旦エンジンを切った重機にF氏は再び乗りエンジンを掛け
動かし始めた。土地を造成しやすいよう倒木を片隅に押しのけている。太陽は沈みあたりは暗くなりかけていた。
運転手は急いだのか、重機の作業が早くなった。さらに倒木を上に積み上げるため重機を上段に移動し、積み上げた後、
ユンボの刃を降ろしながら、回転を早めた時であったホルトノキノ三枝の一本を引っ掛け、簡単に枝をもぎ取ってしまった。
一瞬であった。しばらくは声がでない。固まってしまった。「明日から、、、と言ったのに」睨みつけるや 運転手のF氏は
「すまん、すまん、、」と言い、エンジンを切るや、急いで帰ってしまった。翌日から、F氏は体調が悪くなったと、交代し
て来た運転手が、残り一週間の作業を終えた。ホルトノキの残った二本の枝は今では成長が薄れ、幹の横から出てきた
枝が末広がりに成長している。かって、もぎ取られた枝跡には7年前より移植したサクラランが毎年咲くようになった。



  


4/27   外食で、月2度は「カレー一番館」で食事をする。駐車場に車を止め、「一人ですか」の案内で席に着く。
野球帽を取り、メニューを見る。店員が注文を聞きに来た。顔を上げると、斜め向かいの車椅子に座って
食事をしている母と娘が目に入った。あるいは祖母と孫なのかもしれない。老母は、カレーライスをうまく匙で
口元へ運べず、こぼれ落ちる。向かいに座った娘が、中腰で口元やテーブルをふいている。(おやっ)
と思った。見覚えのある懐かしい顔であった。大分老けたなと思ったが、明らかに他人なのだ。しかし、
よく似ていた。まだ健在であれば120歳を超えるのだから。小、中学生の頃であった。自分を養子に引き
取った養父母はその頃、小さなマチヤグァー(雑貨店)をしていた。わずか3坪程のマチヤグァー、大通り
でもない裏道なのだが、百メートル内の同通路に3,4件も民家の間にポツン、ポツンとイセンマチヤグァー
が店を出していた。どの地域に行っても当時はそうであった。店内には多種類の生活用品が並べられていた。
野菜、豆腐、缶詰類、タバコ、酒、金物、日用雑貨、米や赤豆などは升箱で、石油コンロの石油も一升ビン
で計り売りをしていた。パンツや肌着、髪ネット、衣服のゴム、クチャの髪洗い粉、各々瓶詰めしたバラ売りの
お菓子、島線香,板チリ紙もバラ売り。そんな小さな各々のマチヤグァーへ穴の開いた棒状のフーを売りに
来るおばさんに良く似ていた。フーは大きな風呂敷に挟まれた格好でおばさんがフー、フー?言いながら
運んでいた。ビニール袋一杯に詰めたフーの上から、蚊帳を二等分した大きさの、白い木綿風呂敷で包み。
結んだ大風呂敷に、W字にした腕を通し、挟まれた格好で運んでいた。学校が終わり家に帰るころ、風呂敷
を解き大きなビニール袋からフウを取り出していたり、決まった箇所の店の棚に置いていたり、フーの代金を
貰っていたりする時に会った。言葉をかけることは、ほとんど無かったが、常にやさしい笑顔の目を返して
くれた。いくら軽いフーでも、大風呂敷に一杯入ったフーを眉間に皺を寄せ、少し片足にビッコを引き
ながら次の店まで行く後ろ姿を見ていると、手助けをしたい思いに駆られた。


    


5/2  洗濯機から洗物を取り出し、取りまとめたハンガーに洗濯物をかけ、窓を開けたカーテン吊りのレールに
洗濯物を掛けていく、9時半を回っていた。後は食パンを焼き、サンドとコーヒー、いつもの流れだ。突然けたたましく
電話が鳴る。電話は昔からの黒電話、今風には換えずにそのまま使っている。92歳の叔父さんからの電話であった。
このところ月に一、二度は掛かってくる。今では身近に、声をかける親戚は92歳の叔父さんと身内のみとなった。



  



5/15  養母の命日である。養母方の親戚から電話があった法事の三年忌を終えた後は、一日、十五日、仏壇に手を合わせるのも忘れがちに
なってしまった。二、三日前に電話がなければ、そのまま窯場に行っていた。養母の妹で、アメリカ人の医者と結婚していた娘が
旦那を亡くし後、アメリカから帰沖していた。養母の位牌に線香をあげに来ると言う。養母の兄弟、姉妹は七人で女子は二人
養母は長女であった。今は皆故人となった。アルミサッシ戸を開けくまなく掃除機を通し、雑巾がけをする。


  



5/23  梅雨に入って、4,5日は、快晴であったが、今日は朝から一日中降りそうな雨模様。2度目の瓦に載せた
天干しの陶土は適度の固さに乾きそうも無い。雨が降るとかえって水分を吸い込み陶土は柔らかくなる。雨読晴陶。
本音は休みたいのだ。土間に囲炉裏の有る展示室は今天井から埃が落ちてこないよう、電信柱の桁に角材を載せ
ベニヤ板で覆ったのでゴミは落ちてこない。今はコーヒーを飲みながら落ち着ける。ヤチムンをやり始めの頃は
今年は何回窯焚きができるかに、向かって、成形しては窯焚きをするのみ、その中から焼きの良い
作品が生まれることを願ってただひたすら窯焚きの回数を重ねていた。若い頃は体力もあるしそれもできたが、還暦にもなると
体力不足は気力だけではカバーできない。薪窯は総てに体力、陶土を作り、薪を準備し、成形して、窯焚きを
する。農作業、土木作業に等しい。自分としてはその流れの中で、釉薬の上焼きではなく、無釉の焼き〆に気持ちが
動く、それも縄文土器の躍動感、土器から感じられるエネルギー。作品を置く空間も大事で生かすも殺すも、プロヂュース
にかかる。今回の窯焚きの主な作品は一応作り終え、後は組んで窯入れをする小物を作れば、薪は年度初めにすでに準備
をしてあったので、乾燥期間内に窯の修理をすれば、窯焚きができる。一息ついて、小物を作らねばと思うが、作り始める
までが難しい。


   


5/27  河瀬直美監督「殯(もがり)の森」第60回カンヌ国際映画祭でグランプリとのこと
平成14年11月頃に「火垂」を撮り終えた後に一日体験陶芸でスタッフと電話で予約のあとヤチムン作りに
来窯場した。その節は養母の体調が悪くなった時期で、窯場を閉める日が多かった。予定日にも母は体調を
崩していて、十分に対応することが出来ずに迷惑をかけたように思う。初印象は驕りぎのない普段着の人。
精神性の世界。人間の内面にある哀れ、悲しさ、愛おしさ、素直さを描写する映画を一貫して製作し続けている。
その後ホームページを時たま見たり、月刊誌「群像」に連載されたエッセイを読んだり、気鋭の女流監督に注目していた


  


5/31  「般若心経」、四国のお遍路めぐりが、特集で組まれた月刊誌、季刊誌等を書店でよく目にする。現代の
世相を反映してのことか、興味が無くもないので、手を出し、立ち読みをする。すでに買って読んだ内容と
似通っていても、これはとおもう人物が口上を述べたり、切り口が違ったりすると、つい又買ってしまう。
晴れた日は、ホルトノキから紅葉した落ち葉を履き集める。1年を通して紅葉し葉が落ちる沖縄では数少ない
紅葉する樹である。庭を掃いた後ポットから湯を注ぎコーヒーを作り、展示室片隅の机に置き、仕事前に
写経をする。まるで坊主の修行をしているかのようだ。



  


6/6  六月に入った。今日は雨模様で天気が悪いようなので、自宅でホームページを更新することにした。
休の日は、つとめて仏壇に食事を作ってウサゲル(供える)ようにしている。養父母と祖父の弟夫婦
の四つの位牌がある。祖父の弟夫婦はクリスチャンの洗礼を受けていないが、ハワイ帰りということでクリスマスには
お供えをしている。あと清明祭、盆、ジュウロクニチなどの行事は出来るだけ受け継いでいこうと思っている。
ほぼ仏教なのだが、キリスト教も入って宗派はチャンプル教である。