10/10雨が降っている。
朝、家を出る頃は薄っすらと青空であった。
山中の窯場につき、いつものように工房内の囲炉裏の自在に掛かっている、真っ黒く
煤けたヤカンを取り、水道水を注ぐ。拾い集めた小枝の薪の火で湯を沸かす。
ヤカンの蓋がカタカタと音を出す頃には降り始めた雨は止みそうもない雨となった。
台風16号で窯場のトタンの1/4が柱と共にえぐりとられ飛んだ。
その個所の柱とトタンを張り付ける骨組みを作り終え、昨日丸中商会より5.5mの
特注トタン板10枚を取り寄せ、すぐ張り付けられるよう、被害のなかった片方の屋根の
上に載せてある。今朝、屋根を仕上げるつもりであった矢先の雨に、まんじりともせず、
囲炉裏の薪を燃やし続ける。昨年の9/11米国同時多発テロ時、その時も台風がきた。
窯場の台風対策をし自宅に帰りテレビのスイチを入れるや、ハリウッド映画の予告場面
かと思えた。突き刺さるようにビルに激突した飛行機、そして炎上、ビル倒壊の映像。
現実の緊急ニュ−スと知り呆然とテレビを見続けた。




12/30大晦日の前日、さしみヤワ−ガルナイル(刺身は私がしかできない)
といって息を切らせながら大根との味噌和えを作り終え「エ-、イスグァ−ムッチクァ−」
(椅子を持てきて)と言ってだいぶ疲れたのか椅子に座り込んでしまった。
動けなくなった自分に腹を立てているようだ。



苦労をかけています。孝行をしなければと思っています。


2003/1/10増築した一袋の空窯焚き、ちょっと海坊主のような...
窯になってしまった。このやちむん塾登り窯は、一番袋から二番袋
にかけて直角に炎が通っていく構造に成っていて煙突は真横に立っている。



1/19 薪窯の内部は全体が何十回かの窯焚きによって中の表面が焼き固められ
焼き物に成っている。特に焚き口から格子を通って、炎が一番袋に昇って行く地表と壁は
薪の自然灰が、窯を焚くたびに衣を幾重にも着け、絶妙な色合いを生む。

小さな白い斑点は、沖縄で一番耐火土の高い前兼久(地名)土で、作品が地表と
焚き終わった際、付かないようその上に載せる為の目土。


1/28 やちむん塾窯を1/25.26に焚いた。窯焚き参加者6人、母の足腰が弱って
アルミサッシ戸の開け閉めができない為、今回は、窯場と自宅を2日間で4往復
(窯場石川市〜自宅沖縄市)しながら窯焚き。ついでに食事等の買出し、薪は台風で
倒れたモクマオ、イタジイ、ホルトの木。それに製材所のラワン、アピトン材の切れ端。
火力は松に比べて弱く、案の定1000℃を超える頃、焚き口袋に、燃え残り火の根詰まり
がひどく、通常30〜35時間で終わる予定が44時間かかってしまった。
しかし、焼き締め(南蛮)作品に限って言えば、最終的に1200〜1350℃に達すれば
温度が上がらず苦労して焚き続け時間が延びた分、大量に燃やした薪の作用で
良い作品が生まれることが有り、なんとも言えない。


名護城跡 琉球寒緋桜

2/3 朝7:00家を出る。9時半までに帰宅できるよう、石川市の窯場に昨日忘れた
デジカメの入ったバッグを取り石川市から高速道路に入り名護市に向かう、
17分程で着く。高速道路に入って直ぐパトカ−が後に見えたのでしばらく速度計を
見ながら進むが、気にかかり、速度を落としてパトカ−に追い越させ、
後に着けた。時速80k〜90k。パトカ−を追い越すことができず、後から
追いついて来た車が数珠繋ぎと成る。このままパトカ−に着いていけば良い。
名護城跡で一時間程度花見をして、直ぐ帰ろうと計画を立てる。(この一ヶ月間寒い
からとベットから起き出る時間が10時あるいは11時に成ったりする母に合わせ
こちらも急がして起こすのもどうかと思い、午前中は休んで午後から窯場に
行くようにしている。すこしぐらい遅れても良い)月曜日なのか人出がいない。
しかし観光バスが2台停まっている。側の駐車場に車を停め名護城跡の上の方を
見ると枯れ木のように枝だけが目立っている。聞くとまだ五分咲きだと言う
咲き始めの少ない桜も、それなりにいい。少々急な石段を一気に頂上まで登る。



2/10 焚き口袋が小さい為、火力の強い松材に比べ、他は根詰まりがひどく、
温度が上がりにくい、焚き口下を掘りロストル(酸素を取り入れる通気口)を作り
一番袋に酸素を送れるように改造。やちむん塾窯は、築窯して2ヵ年目で4回窯を改築
12回目の窯焚きを終えた。


2/15 情報誌会社で働いている長女が友達の結婚式に出るのでと
カナダから帰って来た。しばしおばあちゃんと談笑


2/23 午後5時窯場より帰宅。昨日カレ−を作るのでと調理台の側に椅子と杖を置き
休み休み、作っていたので、終わったのかなと思いながら帰ってみると、台所で
唸っている声が聞こえるが姿が見えない。くぐもった声で「ツグハル、、ウクセイ、、、」
(つぐはる、起こして、、)と下から聞こえ、見ると横倒しに倒れている。抱き起こすと脇腹
が痛いと言うので骨折かと思い病院に行こうと言うが大丈夫、行かないとのこと。カレ−
をつくり終え椅子に腰掛けようとしたおり、バランスを失いひっくり返って1時間そのままの
状態で誰か来るのを待っていたと言う。以前にも道路、路地、階段、玄関等至る所で、
転んでいるが、受身がいいのか、皮膚を擦りむく程度で大きな怪我は無い。今度は
ベットの側に倒れ「ウクセイ、、ビョウインカイ、ソウテイケイ、、イイチマデイシ、クチサン」
(起こして、病院に、連れていって、、息ができなくて、苦しい)と言うので、これは
と思い、119番に電話、救急車を呼ぶ。中部病院へ。肋骨が2本折れていた。歳でも
あるしこのまま自然治療と相成り、ついでに検診した結果、持病である腎臓の機能
が働いていず、カリウムの数値が異常に高く、すぐ透析をしなければ、急に心臓
が止まるおそれがある。とのことで、透析を受ける身内の許諾書と捺印を求められた。
この歳までなんとか健康に過ごして来ているのにカリウムなる数値を正常に
するという医師の言い分に疑問を持ったのだが、そのことを母に伝えて透析後
即入院となった。一週間程度入院療養してから退院したら良いと考えていたのだが、
母、カメはこのまま入院することに、納得せず、点滴を自分ではずしたりで、
医師のとめるのも聞かず、ここにおよんでも「ドウヌ、カラダヤ、ドウヌ、ユウ
シッチョン」(自分の体は、自分がよく知っている)と言う強情さで2日間入院後、退院。
透析は今後せずに、薬と食事、月2回の外来診察で何とか了解と言うことになった。


3/1 カメ退院後、在宅介護のヘルパ−をお願いする為、介護保険申請手続きをする。
市役所から聞き取り調査員が来て要介護の認定後、ケアマネ−ジャ−を決めて
ケアプランを立て、ヘルパ−にきてもらうまでに、1月かかるとのことであったが
2月より介護手続き前に一条園から週一回ヘルパ-に来て貰っていたので、
ケアマネ−ジャ−と相談、認定前に週3回に増やしていただいた。
そんなわけで、3月いっぱい窯場を閉め、やちむん塾を休むことを伝える。


3/8 7年前に購入したパソコンが調子悪く、フレ−ズが多くなっため、休んでいる間に
リカバリCDでパソコンを初期化これで5度目だが、手順を間違ったり、当然のミスに
きずかなかったりで、復旧作業に10日間もかかってしまった。


3/17 沖縄税務署で確定申告後窯場へ、本田氏が合鍵を持っているので
たまに工房を開けているようだが、庭の周辺は、雑草が延びるのが早い。
雑草を草刈機で刈りしばし休憩、このところ2ケ月程サキシマスジオ(模様はハブと
似ていて頭はアオダイショウのようで無毒のヘビ、長さ2.5m程)を見ていないので
陳列棚の奥の角や、屋根の軒の個所を見てみると、赤瓦屋根の軒の板間に這い
つくばっていた。もう8年前から家主のように住みついている。最初見た時は驚いて
おぱらっていたが、鼠が寄り付かないうえ、寝泊りしていないので住み込んで?貰った。
今ではこちらがなにもしないことを知っていて、たまに足元近くを通り過ぎたり、大雨の後
などに雨戸を開けたりする時、そこに這っているヘビを触って、こちらがビックリして慌て
ふためくのだが、あちらは逃げないのである。


3/24 ここしばらくは母の介護日誌としよう。実際介護ヘルパ-の方に助けていただく
しかなく、また、3/7に要介護の認定度を受けた際、「ヒサグァ-、ビケイド、ワッサル。
アト−、ムル健康ヤシガヤ−」(足だけが悪く。あとは皆健康なのに)と言う母は、介護
認定調査員の聞き取り質問に、すべて、ゆっくり自分で、できると答え。軽度の要介護1
の認定を受けたのだが、実際は無理で、週3回から日曜日を除いて、毎朝、ヘルパ-の方に
来ていただくことにして貰った。


3/31 4月からは、窯場を開けることにしている。やちむん塾生の方々に迷惑をかけながら
なんとか、窯焚きを5月の連休に焚くことに決定。


石川バイパス
石川市より後原に向けて、この一帯は一部具志川市が入り込んでいる。右のネット
はゴルフ場の打ちっぱなし、並んでレクレ-ションセンタ−と蘭センタ−の建物が有る。

4/7 石川バイパス(沖縄市後原〜石川市金武)が4月初旬より、4車線のうち
片側2車線が先に開通した。これまで、常に渋滞していた石川市東恩納
三叉路をさけ、曲がりくねった裏山道の近道から行き来していた。山を切り開き、
谷を埋め、道路造成にいろいろ問題が生じたが、一直線の大きな道路となって
延長開通した。私自身毎日通る道で、バイパスに入ってから仕事場まで、直結
になった感じで窯場にたどりつけ、新鮮でここちいい。


4/13 清明祭(シ−ミ−)。旧暦の3月吉日(旧暦の彼岸)に行われる。
その日が今年もやってきた。と思うほど1年の行事として沖縄では定着している。



4/23 5月2日、3日の窯焚き後更新す。
  孫から衣装、足腰は高齢のため衰えましたが、また以前のように
元気になりました。