若葉繁る頃
江田公三
 
 駅を出て、お堀を跨ぐ坂道を下ると、五月の細かな雨が私の身体
に纏わりつく。いつも通勤に使うこの道も、久しぶりに見ると何か
が違うように思える。重度の貧血で倒れて一週間もの間、自宅でぼ
んやりとテレビを見て過ごした。私達五人で始めたソフトハウスも
、今では五十人以上の人間を抱え込んでしまった。私達は全員、取
締役とかいうものになったが、それでもやはり現場を離れられずに
いる。だから、こんな退屈な生活には一日たりとも耐えられまいと
思っていたのだが、食べて寝るだけの生活も快適だった。今日は精
密検査の結果を聞きに大学病院へ向かっているというのに、心持ち
太ったように思える。
 お堀の向こうに、桜の老木たちが、透けるほどに薄い黄緑の若葉
を付けていた。眩しく緑光を放つ桜葉は、天から降注ぐ慈しみを受
け止めて、重く枝を撓ませている。近づくと、ころり、と転げ落ち
そうに膨れ上がった冷たい光玉に、葉脈がまあるく映し出される。
梢は、低く暗く濁った雲を越えて、行くほどに蒼さの増す無限の天
空を指し続ける。枝は、野放図なようでいて、規則的な分岐の繰り
返しで構成されている。幹が枝を生み、その枝が枝を生む、再帰的
な連続。部分が全体になり、全体が部分になる。全てが胚胎の内に
約束されている。その誕生も、死も、再生も。
 桜の寿命がどれくらいのものなのか、想像もつかない。しかし、
この老木たちは去年に比べて、あまりに多くの若葉を抱きかかえて
いる。この動かぬように見える生命に、生への執着があるものか。
一匹の毛虫であれ、その身に抱いて、己の命を分け与えたいと、桜
木は浅ましいまでに多くの、若々しい葉を芽吹かせた。生きようと
する思いを芯からじわじわと冷やしていく絶望のような雨が、身を
包む。時は、過去を緩やかに色褪せさせる。いつまでも、どこまで
も雨は続く。
 振り返り、遠く五月雨のけぶり越しに見る樹々は、光虫の巣のよ
うに静かに、しかし激しく燃え上がって見えた。その炎はあまりに
大きく、痛々しかった。