●愛のかたち(いわにし あつし)
アイディアが、途中で分かってしまいました。いわゆる「わたしはだれでしょう」ですが、一歩踏み込んで、本当に「愛のかたち」について考察する作品にしても良かったかもしれません。もっともそうしたら、別の作品になってしまいますが。こうした、アイディア勝負の作品は、全くわからなくても困りますし、すぐにネタが割れるのも困るという、微妙な物です。十分に構想を練ってから書いて、さらに推敲を重ねることでしか、成立しないと思います。
●赤紙(あざらこざらし)
本来はボランティアでなくてはならない行為を、国家の方針として強制することの意味を描いているようです。いわゆる、環境保護運動家の人や、徴兵体験者は、この作品に強い抵抗を覚えるかもしれません。この作品の主人公は、井戸掘りを「五十年程前の愚かな行為の尻拭い」と言っているわけですから。
●ANIMA(龍方 宮)
作品の評価と、作者の人生は切り離して評論するのが本道なのですが、この作品では、作者の人生がどうであったかが重要な気がします。もし、この文章を、主人公のような経歴の人物が書いているのなら、それなりに納得ができるからです。ただ、実際にこのような上昇志向の生活をしてきたならば、大学入学時点で疲れてしまうものか、疑問に感じます。私は、勉学に全力で取り組むのは、気恥ずかしい方なので、実際が分からないのですが、大学にはいったくらいのことで燃え尽きるのは、しっくりきません。実際そういう人がいるかも知れませんが、私たち読者にも「なるほど、その気持ちよくわかる」と思えるような、具体性のあるエピソードがあれば良かったように思えます。これでは、あらすじを述べているだけに思われました。
●蟻と一匹(takka)
大変に構成力のある文章だと感じました。蟻と犬の世界と、人間の夫婦の世界という、ともに外からは窺いにくいものを待避させているのは、センスもいいと思います。実際に描きたいのは、どちらの世界なのか、あるいは両方なのでしょうか。残念なのは、いぬが描き切れていないことです。蟻の考え方はある程度読取れるのですが、犬の方は、一体どんなやつなのか、想像しづらく思います。そのため、作品自体が、どこかそらぞらしい感じになっています。
●生きる燈(月代 さやか)
この主人公はかなり若いのだろうか。青年期に特有の「時間がない」という焦りが、随所に窺えた。「時間感覚はない」「でもまだ遠い」と、あの光に到達するための時間が残されているのかを、かなり気にしているように見える。こうした、焦燥感こそが、この作品の原動力であり、「螺子巻き人形のように、ぼくは歩く」というのが、作者なりの回答なのだろう。この作品は、そうした点では、破綻無く主張を述べていると感じた。
●医師控室(坂本 史)
作者が医師かどうかは分かりませんが、主人公は確かに医師らしい感じが出ています。特有の学生っぽい会話や、「薬と患者と昼食の煮物のにおいが入り交じって」といった描写は、リアリティが感じられます。腹部に症状のある急患に、虫垂炎処置の準備をさせるのは性急な感じがしますが、まずレントゲンの指示を出すのも適切だとおもいます。これらからすると、作者は、かなりこうした分野に詳しいか、勉強をなさっていると感心しました。勤務医師という、医療工場の工員のような生活をおくるものの抱く理想への思いが、いやみな感じでなく伝わってきて、好感を持ちました。 しかし、「遠くを見つめるM先生の瞳は、学生時代、ボディビルの大会で入賞したこともある厳つい体とは不釣り合いなほど澄んでいた」って、体格のいい人間は濁った目でなくちゃいけないの・・・そんな。
●いまは、もう(春夏秋冬)
ううん。演歌だねえ。ありがちな、酒場での女将と客のふれあい。互いに何でも知っていて、何も知らない、適度な距離感。こうした舞台は、古いけれども常に新鮮です。女将のことはほとんど何も説明していないけれども、客たちのことを描くことで表現しています。こうした女将は、主人公がどんなことになっても、最後には暖かく迎えてくれるという役所が一般的ですが、この作品では、あえて殺してしまうことで、その人間性を描いています。熟練した、筆力を感じました。
●裏庭で(アキ)
全体に、暖かみのある作品に仕上がっています。猫の視点で描かれた物語ですが、実のところ、その猫の彼への慈愛に満ちた視線が、この作品に安心感を与えているのだとおもいます。ただ、ミルクティーを入れているところに彼女が来る、という話ですが、それだけでこの後の展開を表現しています。ダージリンという香りだけの薄い色の葉を、ミルクで仕立ててしまうような、彼の優しさと幼児性がこの作品の持ち味なのだと思えました。少し気になったのは、チャイムが鳴ってから耳が立ったのに、その後草を踏む音が聞こえるのはわかりにくいと思いました。もちろん、門のところでチャイムを押して、返事を待たずに中に入ってきたというのは不自然ではないのですが、たとえば「返事を待たずに草を踏みながら玄関に近づく足音」などの表現が欲しい気もします。また、「私はノラネコだから」は、ややくどい気もしました。せめて「私はノラだから」位に押さえてもいいのでは。
●絵に描いたもち肌(久保田起生)
後半があまりに長いように思えます。前半の物語の密度に比べて、ソフトウエアの操作を述べているだけです。この表現では、主人公の感じている「やっぱり生身の女より興奮するぜ!」という感覚が、共有できないのではないでしょうか。いっそ、後半の部分を拡張して、前半をはしょるか、後半を1、2行にしてしまうのも手ではないかと思います。もっと、もっと隠微な世界を期待します。
●お気に入りの場所(いわにし あつし)
まったくコウヘイと社会の関係が書かれていないのが、特徴的に感じました。常に自分とばぁちゃんの関係だけが存在し、自分にまつわるエピソードもありません。つまり、それらは、コウヘイにとって重要ではない、あるいは望ましくないということなのでしょう。全体の表現は穏やかですが、裏にはいろいろな心理的な閉塞感が感じられる作品だとおもいます。社会はコウヘイにとって「お気に入りでない場所」なのですね。
●お友達になりたい? (夏人ウスキ)
これは、明らかに千字を越えていますので、その点では他の作品と同様には考えられないように思います。内容も、小説というよりは、エッセイのように思います。アメリカやカナダでは、こうした同性間のパートナー探しも、異性間と同様の方法で普及していますし、こういう勘違いも日本人にはありがちだとおもいます。つまり、こうした仕組みの面白さという点から小説を構成するのは、無理があるように思います。この仕組みの中で、何かの物語が生まれるとか、自分の内面を表現するといった取り組みが、この文字数なら可能に思えるのです。体験記や、エッセイとしては、もちろん悪くない内容だとは思います。細かいことですが、「つらつらっと簡単に」という表現は、わかりにくく感じました。「つらつら」には「滑らかなという意味があるのですが、一方で「念入りに」という意味もあります。前者の意味で使っているのでしょうが、一般的な用法とは思えませんので、「さらりと」とか「さらさらと」とか「ごく簡単に」「簡潔に」といった表現にすべきかと思います。
●鏡の国のひかり(独民)
意欲的な作品だと思いました。無理に結論を押し付けるのではなく、読者に考えさせようとしています。反物質の説明についても、「物質と反物質が出会えば光となって消滅するけど」と説明があり、読者に対して丁寧な表現になっています。展開が駆け足な感じがします。中間の「懐かしい口づけ。光に包まれながら、私は重力の衣服を脱ぎ捨てる。身体がふわりと宙に浮かんでいく。いつまでもこの流れに身をまかせていたかった」といった表現を、もっとしっかりと書き込んであれば、最後の自分の独白が、生きてくると思います。どのような価値に対して「自分でいる価値」を選らんだのかが描けていないと、最後の文は浮いた感じが否めません。
●影の実行部隊の行方(鳥沼 信吾)
現在、仮想戦記ブームがあります。過去や現在の戦闘や、社会の動きを自分なりに解釈してさらに新たな可能性を示すものです。これらの作品に共通しているのは、作者がそれらの事件や戦闘に思い入れを持っていることです。例えば、「第二次世界大戦で、日本はこうすべきだった」とか、「○○事件は、本当は□□の謀略だ」という立場を、本気であれ空想であれ、読者に訴えかけているわけです。こうした作品は、リアリティを含めた「説得力」こそが、命であろうかと思います。 この作品は、実際の事件を下敷きにした作品ですが、どうもリアリティが不足しているように思えます。これを読んだ人が、「確かにそうだ」と思えないのです。1994年のバルトでこうした戦闘があったというのは、認識が違いますし、傭兵部隊の編成で、30人という単位も半端に思います。ブタン弾というのは、わたしは聞いたことがないのですが、そんなに効果的なのでしょうか。もしかしたら「タブン」のことかとも思いましたが、それを携行するのも不自然といえます。バルトからルーマニアに歩くのもとんでもない道のりです。 あげていけばきりがないのですが、どうもリサーチ不足のような気がしてなりません。実際の事件には、当然関係者も存在し、世間の人々の知識も豊富です。こうした作品を書く場合は、いっそうの緻密さが必要ではないでしょうか。
●彼、来たる。(守美悠)
これはこれで完成した作品なのでしょうが、もうすこし書けたのではないかという思いがあります。前半で、何を言っているのかは予想が付いてしまいましたが、その時に「彼」が来るのか、またそれに対してどのように人々が対応するのかを期待して読み進めました。その点では、うまい展開だったと思います。それだけに結末の付け方に、未消化なものを感じてしまいました。前半が良かっただけに、もったいない感じです。
●眼下の敵(kazunari)
作者のテクニックを感じる作品です。話のストーリー自体は何ということもないものですが、筆致で読ませてしまいます。ただ、この長さの中で、叙述の主体が変わるのは読みづらいと思います。どちらかの視点で(タイトルからすれば下田氏か)一貫して書いた方が、ずっと分かりやすかったと思います。「何という動体視力と反射神経。迂闊に動けば殺られる」と佐藤氏に言わせるより、「奴は、こちらの力量をはかると、ぴたりと動きを止めた。四畳半のフィールドに静かな緊張が訪れる」と下田氏の視点から描く方が、佐藤氏の力量を際立たせられるように思います。
●関西おっさんシンドローム(メトロ)
スケッチとしてみれば、それなりに良くできていると思えます。以前も書いたのですが、話し言葉だけで構成する作品は、読者がどれだけ音声を想像できるかにかかっているわけですが、この関西ノリがうまく伝わっているでしょうか。私は神戸が長いのでまずまず分かりますが、その他の地域の人に分かるでしょうか。わたしの印象は、いわゆる上方落語の口調のように思えました。「ざこば」師匠の声が想像されました。この作品は、取りたてて何を主張しようというのでもないのでしょう。作者の技術が生きた作品と言えるでしょう。
●帰省(河口誠)
作品のシチュエーションは、いかにもありそうなもので、自然に入っていけました。改行が多く、少し文章がこなれていないようにも思えましたが、場面が絞ってあり分かりやすい表現だと思いました。最も大切な最後の部分が、説明が不足しており、読者に伝わりにくいのが残念です。作者自身も、言葉として整理できていないように思えました。伝えたい内容を気分のまま表現するのではなく、もう少し、苦しみ、自分の中で掘り下げてから書くことが必要だと感じます。
●気持ちいい・・・(いわにし あつし)
初めのほうで、最後のところが見えてしまったのが残念です。この作品は、ここではよく投稿されている「わたしはだれでしょう」のパターンですから、より技巧を凝らして書かないとすぐにネタが割れてしまいます。特にこういう隠微ものは、だれもが疑いながら読みます。「愛のかたち」とアイディアが重なってしまったのも残念です。向こうには、それなりに考えさせる部分があるだけに、不利だったのでしょう。
●口さみしい夜(おかみ ふみかつ)
手慣れた物語の構成です。たった一つの場面にたった一人の人物だけを描くという手法で、主人公の内面をうまく表現しています。実際の張り込みがこういったものかどうかは、よく知らないのですが、読んでいてごく自然に場面に入っていけます。妙に細部に描写がいっているのも効果的です。「大手情報産業の部長」「インスタント・カイロを更に二つ」といった何気ない表現に気を使っているようです。「スケープゴート」「ヒモと共謀して殺し、隣の県の山奥に遺棄した疑い」という表現は、やや類型的かとも思えますが、破綻のないうまい作品だと感じました。
●携帯電話(芹沢涼也)
まとまりのある作品です。スナイパーの心情がうまく表現できていると思います。ただ、意図的に仕事をしくじるというのがあまりに淡々と描かれすぎているようにも感じました。本来そうした行為は、自分の生命をも危険に晒すことなので、かなりの覚悟で行なったはずです。そうしたものが何かこの作品では希薄に感じました。彼女を格好よく描きすぎたのではないでしょうか。細かなところでは、ライフルを入れるには、チェロはいかにも大きいように思えるのですが。もっともこれは、映画や小説でも時々使われているので、典型なのかもしれません。でもチェロのケースってとっても大きくて重いんですよ。うむ。
●子供中心社会(mmatsu)
これは、いわゆるアイディア勝負の作品です。現代の家族のもっている一面を的確に捉えています。現実に、物を販売する際に「こども市場」はかなり重要視されていますし、「いちご世代」は広告のターゲットになっています。こうした現実をうまく表現していますが、最後の部分がなにかとってつけたようで、残念です。この終わり方では、せっかく具体的な情景を描いてきたのに、話題が一般論になってしまっているように思います。おなじような作戦をさらに進めるのではなく、何か変化や違う角度からの描写があれば、テーマが生きると感じました。
●子供でも分かる政治用語(kazunari)
これが、小説かといえば、そのようには思えません。各項目の説明が有機的に結びついておらず、並べ立てる意味がないと思えるからです。こうした政治がらみの用語をわざわざ選んだのですから、それなりに鋭い洞察が期待されますが、常識の範囲でしか述べられていないのが残念です。また、集団的自衛権の説明と、日米安保条約の説明が矛盾しているのは気になりました。まだまだ表現の仕方が工夫できるのにと残念です。
●こわいはなし(松澤 英二)
この作品の評価は大変に難しいように思われます。この作品には、二人の人物が出てくるのですが、いったいどちらの人物を描きたかったのでしょう。どちらが「こわい」人なのでしょう。このまま車にのって二人はどうするのでしょう。どちらかが殺されるのかそれとも・・。そうした部分の書き込みが不充分なので、作者の意図が読み切れません。「下北沢」とか「四刈」といった具体的な表現が出てきますが、それらもなぜそれなのかという理由があまり感じられないのが残念です。
●静かな放熱(雫石 潤)
あまりに長い時間の流れを、ただ説明だけで進めているため、あらすじを読んでいるような感じです。これだけの主題をしっかり書き込むなら、千字では苦しいように思います。ストーリーは大変にうまいのですが、それが具体的な場面に表現されていないので、自問自答しているだけのように見えてきます。もっとしっかり書き込むのか、あえて主題を絞り込むかを選択すべきでしょう。表現にも、ひとりよがりなものが見られて、効果的とはいえないと思います。
●重傷(池之上綾乃)
この作品が読者へ何かを伝えようとしているかといえば、疑問を感じざるをえない。受け取って欲しいものがあるのは、十分に分かるのだが、それを伝えようとしているかとなると弱いように感じた。例えば、前半と後半で文体を変えているが、それで何が表現できているかといえば疑問だ。いろいろな比喩を使っているが、本当に読者が理解できるのか。「分かって欲しい」という謙虚さ(あるいは傲慢さか)も大切だが、あくまで作者は「伝えたい」という熱情とそのための苦しい努力をなすべきではないかと思う。
●週末はピクニックへ行こう(おかみ ふみかつ)
この作品が、暖かな印象を与えるのか、それとも悲しい印象を与えるのか、読者による差が大きいように思います。この作品だけではなく、現代の家族のありようを描いた作品は、読者の置かれた環境により、さまざまな解釈を生みます。それは、これが誰もが抱えている問題であり、また解決されがたいものだからでしょう。こうした問題を扱う場合には、私はこう思うという点を、明確に述べる必要がでてきます。 曖昧なままでは、単に問題点を提起したに過ぎません。丁寧なぐらいに自分の主張が出てこそ、その作品の評価ができるような状態です。 この作品では、最後にピクニックに行くという提案がなされますが、これが家族を変えるのか、それとも一人相撲なのかは述べられていません。その先は読者に委ねるという態度も一つですが、できればこうした主題の場合は何かを述べる方が価値のある作品になるように思えます。
●祝福(のんべ)
作品の主題が、タイトルにあるのか、それとも主人公と彼女の関係なのかが、今一つはっきりしない印象です。大人の「祝福」が主題なら、うまい狙いだと思います。ただ、彼女との描写が長すぎるため、書き込めていないように思います。最後の数行だけしか機能していない感じです。バランスのとれた構成にすれば、味わいのある作品になると感じました。
●進化の行方( IKeda )
こういう作品は、設定が主題になってきます。進化の方向として、物質から精神へと昇華していくという方向性は、何となく分かるのですが、さてなぜ質量を減らす必要があるのかという点は読取れませんでした。「質量を失っていく契約」というのも誰かとの契約なのか、それとも神との契約という意味なのかわかりません。あれから、480年というのも、あれが2028年なのか1548年なのか分かりづらいようです。もうすこし、丁寧に物語を叙述していけば、設定が分かりやすくなると思います。また、推敲の過程で書き間違えたのか、初めの部分が重複しているのが残念です。読み返せば気づくものだけに、もったいないと思います。
●ストーキング(衣原海斗)
うまい展開だとおもいます。短い場面を描いているにもかかわらず、ストーリーを感じることができます。書慣れているという感じです。これからの話の展開も無理なく想像できます。主人公の視点からの描写が、一貫性を持っており、全体に破綻のない作品に仕上がっています。
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