勝抜き小説合戦 98/02/20分批評
●ガ・ラ・ス(原 蒼太郎)
この作品には、教訓や主題を求めず、あくまで物語としての面白さを求めるべきでしょう。そういった意味では、まとまったストーリーになっています。しかし、透の困惑や、心境などは、読者の予想の範囲内でしか描かれていませんし、最後の落ち(ほんとに落ちてるけど)は典型ともいえます。「ガラス張りの展望タワー」が出てきたのでは、読者に気づくなという方が無理ではないでしょうか。たとえば、一見ガラスに見えないもの(グラスウールとか、釣竿のグラスファイバーなど)を使ってみるなどの工夫があっても良かったのではないでしょうか。
●究極への扉(霍四究)
菅原 博華さんの「兄貴」と似たような感じがします。あまりに多くの場面を描こうとして、それぞれの場面の記述が簡単になりすぎているように思います。どこか一つの場面だけを丁寧に描けば、この作品の言おうとしている部分は十分に、さらにはしっかりと伝わるように思います。
●蜘蛛の糸(TOTO)
作品のタイトル「蜘蛛の糸」をどのように取るのかで、かなり違った作品になるように思います。厳しい競争原理で成り立つ上の世界と、ただ待つだけの下の世界をつなぐものが、果たして、幸せの道なのかどうか。
どちらの世界を選ぶのかが、まさにいま問われているようにも思えます。原子力発電所を建設して便利な生活を築くのか、あるいは、生活は不便になっても、発電所の建設を放棄するのか。ガソリン車を作り続けて利益を上げるのか、それとも、いまから自転車だけで暮らすのか。牛肉の生産か、穀物中心の生活か・・・。いくらもあるこれらの選択に、資金や能力のあるものは、より便利な生活の方を選択するでしょう。そのしわ寄せは、貧困なものに行くのですから。一方、金もなく、能力も落ちてきたものは、安全で他者に迷惑をかけない生活を選ぶでしょう。これは、4、5年後のわれわれの姿なのかもしれません。
あなたや私が上の世界にいるのか、下の世界にいるのかは、本人が選ぶことですが。
●最終電車(たんぽこ)
この作品は、最後の部分で落とすのが目的なのでしょうか。このタイトルをつけたところを見ると、そうでもないのではないでしょうか。きっと、最後の一行の持つ、彼女への慈しみの気持ちが表現したかったのだろうと思います。
短い中に、彼の彼女への無条件な優しさが感じられるのです。でも、ひとこと。君の優しさは、彼女にとっての易しさかもしれないよ。恋とは、常に非対象性をもって存在するものだから。よく気をつけたまえ、と私は後悔とともに忠告するのです。
●サイダー(舞阪まりも)
わたしがこれを読みはじめて思ったこと。これって、東映マンガ祭。かの昔、東映マンガ祭の作品に、『空飛ぶ幽霊船』というのがありまして、「ボアジュース」を飲んだ市民が、次々に泡になって消えていくというものでした。こうした設定は、その他の作品でもよく用いられる手段ですので、ある種ありふれているとも言えるでしょう。
ただ、この作品は、単に陰謀を仕掛けた大企業による犯罪の恐怖とは違ったものを狙っているようです。日常に仕掛けられた罠は、一般の人々を被害者に、そして加害者にしていく。
そうした、社会的な構造について、何が善か悪か知り得ないなかで、社会と関わりを持っていかねばならぬ私たちの姿を描きたかったのではないでしょうか。「国家警察特殊部隊」なんていう、いかにもな正義の集団に彼を所属させるあたりに、皮肉な作者の視点が感じられるのです。
●残酷な話(KEI)
この作品も典型的な、「わたしはだあれ」型の作品です。いろいろな周辺を説明していきながら最後までネタを読まれないのが基本ですが、残念ながら最もありがちな結末になってしまいました。
わたしはかつて、これの全く逆のシチュエーションのゲームを作成したことがあります。銀河の海で「OMO」と呼ばれる生物を捕獲するマルチゲームです。漁業のシステムを下敷きにしたそのゲームは、ルールブックには書かれていないものの、実のところ人類を捕獲するというお話だったのです。
そんなわけで、私としても、妙に親しみのある題材ではあるのですが、この長さの中でその視点が十分に生かされているかは疑問に思いました。私のゲームは、そのプレイの時の不快さが狙いだったのですが、この小説は、不快でも爽快でもなく、緊迫感にかけるように思われたからです。
●邪魔者は消せ(大葉)
典型的なタイムリープものと思わせて、実は女性の恐ろしさを知らせてくれるなかなかの作品です。描写も丁寧で、またうまく読者に罠を張っています。
公園を出たところで女性にぶつかったことやその他の一致を、単に偶然とせず、何らかの説明がされていると良かったと思います。彼女が同じ行動を取る必然性があまりないからです。
全体的に見て、大変よくできた作品だと思いました。
●修羅の微笑(枕流)
作品のテーマとすべきものが今一つ伝わってきません。一度は、直接睨み合うような、直截な行動にでた妻が、とくに何をするでもなく死んでいくのが、さてどう理解したものかと思わせます。「八か月後、靖子は夫を許すことなく死んだ」というのが、単に心の中で恨みに思った、というだけではあれだけの言葉を吐く夫にとって何の苦痛でもないでしょう。
そうした彼女の行動につて、説明なり、作者の感慨なりが示されていないと、読者は理解の手がかりがなくて、困るのではないでしょうか。
●人生は楽しいですか?(紅葉)
死への恐怖から錯乱して、死んでしまう。往々にして用いられる手法だが、これは、取扱い注意である。人を殺せば確かに小説としての形はつく。何となく内容がありそうにも見える。しかし、だからといってこの手法に頼るのはどうかと思う。
本来なら、「何も生み出さずに死ぬ」ことへの自分なりの回答を示すべきではないだろうか。問題から逃げようとしても、何の解決にもならないことは、この作品にも言えるだろうが、それ以上の考察が作者になければ、実りある結末は訪れないように思う。これだけ、メッセージ性の強い作品を書いているのだから、苦吟してハッピーエンドであれアンハッピーエンドであれ、唸らせるラストを切り開くことを作者に望みます。
●そして、春へ(トロ)
これは、たぶん評価の分かれる作品ではないでしょうか。作品にオチや主張を求める人にとっては、全くつまらないでしょう。また、作品の世界が持つ味わいを楽しむ人には、それなりの評価が得られることと思います。
人間がただひとりで自然の中にいて、春の微かな匂いを見つけるという、実に爽快で暖かな独特の雰囲気が、うまく読者に訴えかけます。
この作品で何らかの高尚な理屈を求めても、何も得られないでしょう。ここで描かれている世界の心地よさが、主題なのでしょうから。
文章も丁寧で練られており、小道具の使い方も手慣れたものを感じます。観察眼の確かさが覗えます。
●誕生石(大石 水城)
こういう作品は、読者に作中の人物への感情移入をさせられるかにかかっているでしょう。恋愛は、かなり個人的な体験であって、必ずしもすべての人が同じように行動するわけではありません。ですから、これを小説に取り上げると、この主人公の行動は変だ、と感じる人が出てきます。作者は、なぜ登場人物がそうした行動をとったのか、しっかりと説明する必要があるでしょう。これは別に行動を正当化するという意味ではありません。そう行動したのは不自然だと思わせないだけの材料を、提示するということです。
私、個人としては、この二人の行動が不自然に感じられてしまいました。どうやら、彼女は喫茶店に入った時点では態度を決め兼ねていて彼との会話の中で、別れを決意したように見うけられます。そのような場合、最後の彼の行動で何かが変わらないのでしょうか。この結末ははっきりと書いていませんが、どうも彼と彼女は、そのまま別れたように見うけられます。
あと、細かなところで申し訳ありませんが、「コーヒーを一口口に含み」は、「コーヒーを一口含み」で十分ではないでしょうか。