2/14分 を読んでの感想など
自分の作品がまだ掲載されないうちに、他の方々を批評するのは恐縮してしまうのですが、とりあえず、批評というより感想を書かせていただきます。より良い小説を書きたいというのが、私の願望でもありますので、あそこをこうしたらいいのにとか、ここはもっと丁寧に書いて欲しいとか、失礼なことも思ってしまいます。もしも、表現に不適切な点がありましたら、ご指摘ください。なお、作者名は敬称を略させていただきました。ご了承ください。
「一途」(とものり)
この作品が、単に「私は誰でしょう」的なパズルとしての面白さを狙ったものならば、900文字以上を費やすのは、冗長な気がします。あまり長いと、ネタがばれる危険性は高いわけで、かなりの技量が求められるのではないでしょうか。
もし、眼鏡と「君」の関係に、実際の人間を当てはめて書いているのならば、やや、眼鏡そのものに寄りすぎているように思えます。もしもこの文章そのままの感情を持った人物がいるとすれば、かなり危ない印象を受けてしまいます。この主人公は、自分の内面だけで物語を進めており、彼女の意志や、考えかたなどに十分な考察を加えていません。もちろん眼鏡ならばコミュニケーションの手段がないのですから当然ですが。というわけで、実際の人間関係の描写ならば、この作品は、思いのほかサイコな作品ということになりそうです。(作品の質が悪いという意味ではありません)
「一気の鬼」(kazunari)
この作品の評価は難しいと思う。台詞だけで構成されている作品の場合、その音声がどの程度想像できるかによって、読者に与える印象が違ってくるからである。たとえば、この作品の場合、読者の多くが(あるいは作者も)古舘伊知郎氏の声を想像するのではないだろうか。そうした場合、一定の効果はあるだろう。氏の流暢で勢いのある語り口が、文章以上の緊迫感を与えてくれる。しかし、正確には、それは古舘氏の芸なのであって、kazunari 氏のものではない。作者が、自身の芸としての何かを作品に与えてくれることを読者は期待しているはずだ。一方、古舘効果を考えずにこの作品を読んでみると、この作品が短編の本道である「シチュエーションを提示する」作品である事が分かる。ストーリーの展開よりも、「こういう大会があったら面白いな」というところがこの作品の持ち味なのだ。この方向は突き詰めていけば、かなり面白いものが書ける余地がありそうである。今後の作品には期待できそうに思う。
それから揚げ足を取るつもりはないのだけれど、「チャンピオンに挑戦者が挑みます」とか「お酒に弱いという弱点」といった重複的表現が気になりました。また「品物に目配せをしている」というのは「品物に目で合図をしている」という意味になり、明らかに用法が誤っているように思われます。短編の本道を行っているのですから、一つ一つの言葉に対して、神経質なくらいに気を配っても良いのではないでしょうか。
「今、坂を上る」(秀真 武流)
この作品には独特の味があります。話自体は、「坂を登る」「ドキドキする」ということなのですが、冗長感がなく、スムーズに八百文字以上を読ませてくれます。ただ、肝心の部分がぼかしてあって、今登っている坂はどんな坂なのか、その時のドキドキは何のせいなのか、といったことが良く分かりません。この作品の最も重要な部分は、最後のファインダーの中に、これから「光の道」が、いつかのように映し出されるのかどうかだとおもいます。「僕は、カメラを構え、ファインダーを通して坂の先を臨んだ。」という終わり方は、その先の情景を読者に想像させる力が十分にあると思います。肝心の部分がある程度述べてあれば、読者は鮮やかにその情景を思い浮かべられるのではないでしょうか。
もちろん、「この坂は、○○の比喩です」とか「ドキドキはいかに述べる2つについてです」などと説明してほしいわけではなく、読者にヒントを与え、素晴らしい結末に導いて欲しいと思うわけです。
また、文章自体については、かなり分かりやすいほうだと思いました。語彙の豊富な方のようで、文章も達者でいらっしゃるので、「ら抜き」「擬態語」については、もっと洗練された扱いがあってもよかったかと残念です。
「イマダ セイチョウ セズ」(Y)
この作品を読みはじめて「これは、まずいかな」という感じがありました。自分のことを、自分本位に分析して見せる自己満足型の典型に思えたからです。サッカーボールが転がってこようが、登場人物は実質自分だけ。そんな風に思っていたところ、最後で、「おじさんも、一緒にサッカーしない?」という台詞が出てきます。
この作品は、決して自己否定して見せる、形だけの作品ではない、と理解できました。この台詞のあとに何が起きるのかは、読者によって意見が分かれるでしょうが、私には、明るい展開が開けるように思いました。
三十まで成長しなかった大人は「成長しないで生きてきた」という経験をしているわけですから、もうすこし、屈折していたり、歴史を感じさせてもいいのではないかと思います。作者は、主人公のような年齢なのか、それとももっと若い方なのか分かりませんが、一読した印象では、かなり若いように思われました。
「失った物」(かんな子)
この作品は笑いを取ろうとしているのかどうか。素直に笑えなかったのは私だけでしょうか。なんだか、実話を聞いているような感覚です。ありそうな話です。前半でかなり頭髪に関する蘊蓄を語って、主人公の心境を描写しているにもかかわらず、最後が「俺は髪と仕事を失った」では、あっさりしていないだろうか。例えば「クビになりました」「末永く幸せに暮らしました」「実は転校してきたのです」などという典型的なオチに填ってしまって、作品が一気にオリジナリティを失ってしまったように思えます。
「歌姫」(からし)
うまい!千文字ちょうど。意図してやったなら、かなり書慣れた方ということでしょうか。主人公から見た世界だけを描いていながら、マリアのことも過不足なく述べてあり、世界が成立しています。語彙も豊かで重複表現を避けるなど、筆力を感じました。ストーリーらしいものはないのですが、そこにいたる主人公とマリアの人生を想像させるのが、味わいになっているようです。
ちょっと気になったのは「在りし日」という表現です。必ずしも間違いではないのですが、往々にして「在りし日」は「生前」という意味で使われますので、この文脈での使用は、読者のリズムを乱すのではないかと思います。「昔日」と直前で言っているので「マリアの歌に耳を傾け、想い出に浸る束の間の時間…」でも十分なのではないでしょうか。
「檻の中の独白」(おかみ ふみかつ)
独白中心の構成は、落語の文体そのものです。確かに、落語にはこういう話がいっぱいありますね。残念なのは、こういう作品は、語りの面白さが文字では伝わりにくく、落語を越えるのが難しいと思います。また、落語につきものの、落ちがないので、読後の満足感に欠けるのです。関西系のヤクザらしく「商売繁盛、笹持って来ーい!」などと言っていますが、なぜか標準語でジェントルに話しているのが、なるほどパンダになる人間なのかなと思えます。
あと数行加えれば大変面白いものになりそうな気がするのですが、いかがでしょう。
「傘ジャック」(未開騎士)
いたら迷惑なやつを描いた作品としては、大変うまく纏まっているのではないかと思いました。全体が台詞という点では、先に述べたいくつかの作品と同様の制約があるわけですが、饒舌な主人公に相手の態度や特徴をしゃべらせることによって、うまくクリアしているように思えます。さて、問題は読後感なのですが「こんな奴いたらいやだな」ということだけですよね。これはこれで成功なんではないでしょうか。ただ、このネタは一回だけしか使えませんよね。
個人的にMr.ビーンとか、ザ・ドリフターズの「迷惑な奴ネタ」は好きじゃないので、正当な評価ができないとは思うんですが、それなりに面白かったです。「炬燵はあたるから食えない」なんて古典的なネタも懐かしかったですし(こういうのは好き)。
「かさぶた」(純)
はじめは主人公が男性だと思って読んでいました。それはともかく、この作品も主人公しか人物が登場しません。全てが、主人公の作った世界に住んでいる感じです。もちろん、いじめが行われるシチュエーションですから、こうした描きかたになりますし、そうすることで、主人公の閉塞間が描けるのだとも思います。
文学作品で、こうした社会ネタを使うのを好まない人も多いと思います。それは、その事象に対する作者のスタンスが常に問われるからだとおもいます。「わたしはこう思う」が出せないと、単なる刺激的な現実におんぶされた作品になってしまうでしょう。この作品は、その点では、それなりの意見を述べようとしているようにも思えます。もうすこし、はっきりと主張を述べてもいいのではないでしょうか。
「逆転世界」(久遠)
ううむ。仕掛けはタイトルを見たときから予想できたのだが、評価となると難しいですね。もしも、正方向の物語を読んでいたら、それはそれで良くできたお話だと思うんですが、さて、逆転世界のストーリーはいかがでしょう。ロッドも生き返ってくるわけで、そのなかでも生きていて良かったと思える男の感性を「健全」と理解するのか「自己本位」と謗るのかは、読者によってかなり異なることのように思われます。
作者はあえて、そのあたりを読者に委ねているように思うのですが、私には荷が重い質問です。ううむ。そういう意味では、一定の成功なんでしょうね。
「恋を許されない人」(okuda hironori)
この主人公はホスト志望であって、ホストではないんでしょうね。訓練中ということにでもなるのでしょうか。あんまり、役に立ちそうにも思えませんが。この話は、男のことを描写するのではなく、女性を中心に進めるととても面白いものになりそうな気がするのですが、いかがですか?
「心変わり」(小野由梨香)
いわゆる「私はだあれ」ものです。構成もうまく、多くの人が正体を見破れなかったのではないかと思います。また、正体が明らかになったあとで、娘の父への執着(エレクトラコンプレックス)の問題をも提起しているのは、うまいともいえますし、作品の焦点がぼけたとも言えるでしょう。
私は、肯定的に捉えたのですが、読後感がさほど爽やかではないのは、仕方がないところでしょうか、爽やかなテーマじゃないから。
「この世の終わりに落日が」(逢鳥 司)
激しい文章で書きたくなる情景を、静かに描いてあって、手慣れた感じがしました。出だしを読んで、現在形のリズムをもった文章に素晴らしいものを感じたのですが、説明の部分に入ると、さすがに過去形に変わってきて、完全な散文になってしまいました。できればはじめの文体で全部を貫いていただきたかったのですが・・・。
「コピー社会」(mmatsu)
いわゆる「○○銀座」の拡大バージョンですね。福島県には、たしか「赤坂」と名乗る街があって、通りの名前まで「一ツ木」だの何だのと真似してあるそうです。東大そっくりの門を作った小学校とか・・・枚挙にいとまがないほどですが、さてこれを作品でどう生かすかというと、難しいものです。この作品では、記憶が定かでない状態を利用しているわけですが、本当のミソは、最後の「とは言っても、どちらも本物を見たことがないんですけどね」なわけですね。ショートショートとして完成度の高い作品だと思いました。
「性」(Bird)
ううむ、男中心の社会らしいですね。女性は人権がないのか?牛やにわとり並に扱われているのか・・・。ふつう「男の性」なんていうと、多少滑稽な物語になるんですが、これでは極悪な物語ですね。
「殺意」(MEGURU)
これは、文章通りに殺人計画を実行する女の話と受け取っていいものか、それとも、ひとりで殺人計画を演じる女のストレス発散法と受け取るべきなのか、ちょっと悩みます。もしも、本当に実行するならば、それが実行されたあとのことについて想像させてくれてもいいと思います。完全犯罪になるのか、それとも足が付いてしまうのか・・・。殺意自体がテーマだとは思うのですが、その殺意に今一つ説得力が欠けているように思えるのです。ことさら男を憎むのでもなく、対岸の明りにすら憂うつになる心情が、もうすこし丹念に描ければ、それはそれで成立するとは思います。
「思春期」(冬野朝彦)
アイディアで千文字を支えている作品。かなり丁寧に執筆されたのか、破綻なく物語が展開されています。はじめ、ミキと私の性が良く分からず戸惑ったのですが、最後の部分で説明されていましたね。そうりゃあ私に分からないわけだ。すこしミキの台詞が説明口調なのが気にはなるのですが、全体として「うまくできてる」作品だと思います。
「支配者」(takka)
無機的な会話、寓話に特有の言い回しなど、作者が意図してある種のニュアンスを出そうとしているのは分かるのですが、実のところ、その真意を読み取れませんでした。これは、私の読解力不足か、あるいは作品が理解を拒絶しているのか、はっきりと断言できません。単なるシチュエーションを隠喩的に描いただけなのか、何らかの主張があるのかが判断できません。よって、これは私には判断不能です。
「小説家しりとり」(ヤマワキ・トモヒロ)
この作品の最も重要なアイディアである「→」を、「。」(句点)に置き換えても、なんら問題がない、という致命的な問題があります。矢印に惑わされず、書いてある内容を吟味しても特段何ということも書かれていません。本来、プロの小説家しか体験し得ないシチュエーションを、プロの小説家なら書かないであろう方法で書くことが、説得力を失わせているように思われます。これなら、「有島武郎→尾崎紅葉→内田康夫・・・」といく方が、まだ面白いような気がしてしまいます。
「食事はまだですか」(よしよし)
精神の病についての理解が十分でないような気がします。ここで描かれているような症状の病気は、私の知る範囲にはありません。これはフィクションだから、という考えもあるのですが、この話の要点は「どちらが病気」という一点にあるわけですから、読者に判断させるためのフェアな材料を与えねばならないはずです。ほとんどを真実で固めて、一つ大きな作り話をするのが、小説を書くときの手法としては有効だと、私は思うのですがいかがでしょう。
「死を望むなら」(よしよし)
ううむ。真意が分かりかねるのですが。この死神(または天使)の言葉は、作者の意見と同じなのだろうか。同じなら、小説にする必要はないような気もするし、違うなら、この作品の大部分を占める対話(というより演説)の解釈が難しい。これも、やはり私には判断不能な作品です。
「親友」(よしよし)
この作者独特のものなのか、やはり難しい作品です。書いてあるままを受け取ると、小説というよりはエッセイか演説のようで、真意が分からない作品です。どうも、私は、こういった作品が苦手なようです。すいません。
「セクシャル イマジネーション ミュージック」(あざらこざらし)
導入は長いが、実のところ、最後の一行が書きたかったんですね。最後に電話してきた先生が男なのか、女なのか、そう言ったところを、すこし書いてからラストに行けばもっとセクシャルな雰囲気がでたのに、と思います。この作品のキモは、読後に自分もセクシャルな気持ちになって、作者とその感覚を共有すること、そして、ちょっと気恥ずかしくなることにあると思います。さて、皆さんは恥ずかしくなりましたか?
「絶対」(ヤマワキ・トモヒロ)
ありがちな結末ではありますが、それがさほどの欠点になっていないのは、シンプルな文章だからでしょうか。もっと筆力で長く引っ張って見せるか、あるいは余計な部分をどんどん削って百字くらいにしてしまうと、いっそう良くなるようにも思うんですが、結構難しいかもしれませんね。
「セピア色の猫」(大竹清治)
ストーリーは良くできていると思います。でも字数制限のためか、それをなぞるだけで、掘り下げることが不充分な気がしました。題名で「キキは今はいないんだな」と予想させていますから、なぜキキがいなくなったのかを、必然として感じさせる表現が必要なのではないでしょうか。キキがなぜ自分たちを助けてくれたのかを、なんとなく感じたいものです。また、猫の思い出を述べるために「辺りは地獄絵」にしてしまうのは、反則という気もするのですが、私も良くやることなので・・・。
「そしてまた君との物語がはじまる」(mats)
途中で結末が見えてしまいますが、それでも読後感は悪くないです。読者に結末が分かるのに、主人公がそれに思い至らないのは、すこし間が抜けている気もするのですが、そういう人だと思えばいいのかもしれないですね。気になるのは、主人公は自分の思いでばかりで、彼女についての記述がほとんどないことです。
「たからもの」(Hiraku)
ここの投稿作品は、なぜか殺人・死体遺棄ものが多いですね。それも男女の痴情のもつれ。この作品もそういう風に読みましたが、よろしいですよね。もちろん、それは主人公の描く幻影で、本当は何もないというのも選択肢でしょうけど。
どちらにせよ、こうした作品はストーリーを最後まで読ませずに、最後に「あっ」と言わせるか、筆力で心情を細やかに描き出すのが大事だと思います。どちらに比重を置くのかを誤ると効果が上がらないのでしょう。この作品は、前者だと思いますので、より慎重にストーリーを進めて、最後ももっとはっきり言い切った方がいいのではないでしょうか。
「妥協」(You)
ヤマワキ氏の「絶対」に通じる作品ですね。こちらの方がより長く引っ張っていますが、読ませる力があります。中盤でかなりくどい表現があるのですが、それも最後へ持っていくための手法なのでしょう。八百字以上をうまくまとめてあると、感心しました。
一点気になったのは「見取る」は「看取る」が適切だと思います。前者は「みてとる」という意味になってしまいます。
「?管理局」(Mいとう)
タイトルが、すでに出題になっているパズル的な作品ですね。読みながら、「人口管理局」「生命管理局」などが浮かびましたが、あれだったんですね。そうか、「た」行の作品でしたね・・・。どうやら、宇宙のかなり広い範囲で、「?管理局」が活動しているようですが、あらゆる生命体に普遍的に存在するものなのですね。この作品はなぞなぞなので、読者にどれだけ種明かし時に納得してもらえるかではないでしょうか。わたしは、ほぼ納得しました。
「小さな疑惑大きな真実」(TADA)
終盤の展開がやや飛躍してしまったように思います。ほとんどが会話で進行しているので、時間的な問題も処理しにくいでしょうが、刑事の質問の意図するところがなになのか、あとで読み返して肯けるものでなくてはならないでしょう。なにか一本調子で話が進んでしまったように思えます。
「地球からの便り」(黒瀬 翔次)
この作品の言わんとしているところが、正確につかめているのか、今一つ自信がないのですが、科学と自然の関わりについて考察をしてしまいました。そのあたりの記述があまりないので、作者の意図は断言しかねますが、そう言ったところを目指しているのではないでしょうか。また「大地」という語と「地球」という語が出てきます。これは、英語国民のアイザックにとっては、ともに the earth なわけですね。このあたりが作者の仕掛けなのかもしれません。
確認ですが、「蔓延な笑み」ってタイプミス+誤変換ですよね、たぶん。
「テスト」(Tera)
よくわかりません。ただ読むと言い訳男の戯れ言としか思えないのだが・・・。会話の時に、どちらがしゃべっているのかわかりにくいことがあるので、いろいろな読み方ができます。特に最後の台詞は、どちらのものなのでしょう。タイトルと内容の関係も今一つしっくり来ない気がするのですがいかがでしょう。
「出迎え」(交野太郎)
その時の情景が過不足なく描かれていれ、うまくできたスケッチだと感心いたしました。作者の交野さんはお幾つなんでしょうか。主人公と同じくらいの年なのでしょうか。だとすれば、米国での「おばあさん」の生活やら、日本にいる人々の彼女への態度など、おもしろいテーマがあるようにも思えますが、あくまで、出迎えのときの情景が全てを語っているということなのでしょうか。
細かいことですが、記述の中で、「おばあさん」と「祖母」が出てくるので、やや紛らわしい気もします。
「手をつないで」(あさ)
ある日の主人公と彼女のことが丁寧に記述されています。しかし、そこで述べられていることの何が本題なのかが、はっきりとしません。短編とはそういうものだ、という言い方もあるかもしれませんが、やはりシチュエーションだけを描くにしても、どの切り口で記述するのかという部分があるように思われます。「将来首都が移ってくる」といった記述が冗長だと言っているわけではありませんが、二人の間では常識でも、読者にわからない部分をもう少し丁寧に記述すると、わかりやすい作品になるように思えるのです。「ああ、なるほど手をつないで寝たいな」と思わせることが大切なように思うのです。
「天使のアミューズメント・パーク」(ぽんやん)
話の一部を抜粋したような文章に面食らいました。老人にあった場所はどこなのでしょう(ケニア?)。なぜ、子どもが現われ、消えたのでしょう。そもそも、このエピソードは現実なのか、主人公の妄想なのか。はっきりとはわかりません。「天使の遊園地」が何を意味しているのか、それも良く分かりません。ううむ。
「情け鬼」(北の魔王 DARL)
この話が全くのオリジナルなのか、何らかの下敷きがあるのかは不勉強で分からないのですが、こうした物語は、いわゆる典型的なパターンなのかもしれません。ルークスカイウォーカーの物語や、オイディプス王の物語など、父殺しの物語は数々あります。ある意味では、男の子の成長過程では不可避な物語なのかもしれません。