国境の町にて

国境の町にて

の★

(一次予選得点:21)

 いつもとはちょっと違った世界を描いた作品です。作者の旅行体験が活きた作品といえるのかもしれません(ま、これは作品を評価する上では不要な知識かもしれませんね)。ともかく意欲的な作品だと思います。
 老人との出会いの中で主人公がある人格に嵌まり込んでいったのか、それとも本当に転生したのか。曖昧な感じで叙述されています。狙いではあるのでしょうが、それゆえに作品の見通しが悪くなったのも事実のように思われます。初めの部分が過去形で書かれていたなら、老人と会ったことで心情が変化したと理解でき、それなりにすっきりするのですが、あえて現在形を連ねているあたり、最後の文が事実であるというニュアンスにしたいのでしょう。「ああ、これは旭日旗じゃないか」という表現もその含みが強く出ています。あるいは老人の存在自体が主人公の作り出したもの、というところまで解釈の可能性は残されているようです。
 作品世界がやや不自然な感じもします。まず昭和十六年の老人の視点が今一つ不明確です。老人はこの場所で連合艦隊を見たのでしょうか。そのときそれが空母を伴った連合艦隊であると開戦前の十一月下旬に認識出来たでしょうか。行き先が択捉だということまで。だとしたらあまりに日本海軍の防諜能力が低すぎはしませんか。逆に、老人が艦隊の一員として参加していたとしたら「生涯の中で最も輝いていた上等の時節の記憶」とか「帽子を振りながら見送って」の表現にも説明がつきます。しかし、一方で今の情景とのリンクが弱くなってしまいます。また、海軍に奉職していた場合、死んでいったものへの思いを喚起するのは喪失機のほとんどなかった真珠湾ではなく、その後の珊瑚海会戦に始まる長い消耗戦ではないでしょうか。老人と主人公の気持ちの詳細がどうも読取りづらいので、この作品世界が分かりにくいように思います。
 最後にタイトルにつてですが「国境の町にて」とあえて言ったのはどういう意図でしょう。ここは日本国政府の公式見解では国境ではなく、事実上での日露国境です。また昭和十六年にはもちろん国境の町ではなかったのです。このタイトルをつけたということは、国境の町になってしまったこの町に暮らす老人の心情を、象徴的に示したかったのでしょうか。その点がやはり読み切れませんでした。