風化

風化

あざらこざらし

 ちょっとストレートすぎるかもしれませんが、作品の意図は見えます。ただ、八月六日にきのこ雲を見るというのは、それ自体二次的な記憶のレベルですね。もし被爆経験のある人ならば、多分、雲よりももっと他の物を思い出すでしょうから。つまり、多くの「雲を見た」経験がある人は、記録映像として爆撃機からのフィルムを見た人です。それでも充分かもしれないのですが。つまり、主人公が生まれたとき、既に風化は進んでいたとも言えます。そのあたりが作品の重さに微妙に影響しているように思われます。
 こうした生々しくない感慨ももちろん貴重なのですが、不満を感じてしまうのは、評者の世代のせいなのでしょうか。