さらさら
Matock
「二人を隔てるのは白い壁と、常識という日常だ」というのは、世間の常識とは違った存在である彼女の入院を示唆しているのでしょうか。だとしたら、なぜそれを主人公が許しているのかが疑問です。その気になれば、彼女とともに遠い街に行くことも可能でしょう。常識という日常の中に安住しながら、都合の良い部分でだけ彼女と関わっているように思われます。夫婦滝の物語が空虚に感じられてなりません。
(ここからMatockさんのコメント)
いくら彼女の才能を愛していても、まともに日常生活を営めなくなってしまったら、つまり自分一人で面倒を見きれなくなり、頼る者がいない場合は、入院という手段を取らざるを得ないでしょう。もっとも、そこら辺をきちんと描いていない僕が悪いんですが。
書いているときにイメージしていたのは、高村光太郎と智恵子夫人の関係です。決して都合のいい部分だけで愛する女性と関わろうとしている男の話じゃあない!
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