釣り
山本セイ子
特徴のある冗長な文体に、良い意味でも悪い意味でも引っ掛かりがあります。ある日の事を描く事で、爺さんと主人公の二十年あまりの歳月を表現した作品です。ただ、描写の中心が爺さんのことになっているため、主人公の内面が表現しきれていません。文の中にもう少し、工夫がほしいところです。せっかく「若者の足なら歩いて10分、爺さんの足なら歩いて20分のところにある川」という気の効いた表現を使っているのですから、さらに「若者の足なら十分足らず、年配者でも二十分ほどの処にある川へ、二十五分はかけてたどりついた」としてみてはいかがでしょうか。(あんまり変わらない?)
少し気になったのは、爺さんの言葉です。私も若いので、昔の事はよく分からないのですが、学校に墨斗(すみつも)を持っていくという習慣があったものでしょうか。概ね昔の学校は教科書などを学校の机に納めて帰っていたように思います。このあたりは、地域や年代によって違うと思いますので、間違いではないかもしれません。
|