撮影

撮影

ARES

 結末が読取りにくくなっています。なぜそうなるのか、という必然性が感じられません。また、前半の二人のやり取りが最後の部分でどう生きてくるのかも分かりません。「撮影」というタイトルで、最後に「冷たく輝くカメラのレンズ」が出てくるということから、誰か(これが「シルエットになっているため顔はわからない人影」なのでしょう)がこの状況を撮影しているということなのでしょう。そしてその作品が上映されるとまた同じ事が起こるのかもしれません。通常のカメラでは映画館の暗闇は全く撮影できないでしょうから。
 文章では以下の点が気になりました。「ちょっと不安を覚えたが、可奈がここに一緒に来てくれたことを考えてすぐに機嫌を直した」は対応関係がおかしくなっています。これでは「不安」を打ち消す事が「機嫌を直す」ことになっています。「ダメだった時のこと考えるとつい足踏みしてしまう」は決断ができない事の比喩としては不自然です。「足踏みする」は進捗のない事自体をあらわす表現です。躊躇するのは「二の足を踏む」「踏み出せない」などとするのが普通でしょう。