あばら骨が痛んだ日
あばら骨が痛んだ日
梅松
文章全体には、投げやりな雰囲気があるのですが、その底流には主人公の優しさがあるように思われます。妻(といっても内縁ですが)の持つ真面目さを羨み、そう生きようと思いつつも、強くなれないことへの後ろめたさや自己不全感が静かに語られています。男と女が一緒になるということの意味の一つは、自分に足りないもの(あばら骨)を補完することです。自分への不全感を強く持てばそれだけ、女への愛おしさが募るものです。そんな無力ゆえの愛の形が丁寧に語られていると思います。