蛙
瑕瑾(かきん)
大人になった作者が、子どものときのことを騙るという形で、叙述された一人称の作品です。いかに「勘違いしないで下さい。私は何も弁解をするのでありません」と断ったとしても、読者がそう取ってしまってはそれまでです。この作品は本来三人称で書くべきではなかったのかと、思います。一人称の良い点は、心情の描写が強くできることや、読者の感情移入を助けることなどです。一方、それは「主人公の主観によって語られた物語」(=真実かどうかは疑わしい)として捉えられる危険も持っています。いかに誰かを非難しても、いかに不幸を嘆いてみても、主人公の言葉はあくまで事実の一方の面としてしか受け入れてもらうことができません。
自分の考えを韜々と語れば語るだけ、作品に説得力が失われているように思われるのです。論の正当性や、視点の確かさとは別に、作品としての力が失われているようで、残念で仕方がありません。
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