座る男
Tom
作者は社会と個人の関わりについて述べているように思われます。アブラゼミを殺して生きてゆくアブラゼミダケや、悪臭のために誰も自分を食べてくれないニオイコベニタケのような生き方を拒否した(あるいは社会から拒否された)男が、一人山に登りすべてが自分の中にあると信じて座り込んでしまう。誰とも関わりがなく、誰からも助けを受けずに生きていくことを選んだ彼は多分、満足の極みにいるのでしょう。彼にもやはり担子菌植物のように、世界中から養分を吸収してしまう貪婪な性質が残っていることには主人公は思い至っていません。これらのシチュエーションが、やや未整理ではありますが簡潔に纏められた作品といえると思います。
こうした作品は、そこに示されたテーゼに対して、読者が是非の感情を持つことで評価されるのでしょうが、それ以前に作者の判断が示されていないのが残念です。この状態では、作品の据わりが大変悪いように思われます。
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