Around the World

一九九七

 その年は、僕らにとって、とても印象深い。アジアの片隅に、長く植民地として存在してきたこの妙に雑然とした街が、本来の持ち主の元に取り戻された年だからだ。その日が近づくにつれて、よそ者の僕たちまでもが、言い知れぬ不安と、妙な高揚感を覚えていた。日本人学校には、急に帰国する友人が何人もいた。もう四年間も一緒だった香織もそうだ。

 僕らの出会いも別れも、親の会社次第だ。この街に連れてこられて出会い、呼び戻されて別れる。ほとんどの友達は二年くらいでまた帰国してゆく。教師にしてもそうだった。だから、僕たちは、出会いや別れの運命に逆らおうとはしないし、だからこそ大切にもしてきた。
 香織がこの街で過ごす最後の週末に、僕は彼女と映画を見に行った。この街を舞台にした、古い恋愛映画だ。女を残してカメラマンは戦場に赴く。そして・・・。
 映画館を出て、日本資本のデパートに行き、屋台を冷やかして、夕食をとっても、僕たちは、ほとんど話をしなかった。何か言わなくてはならない、と思いながら、無言でいるその時間が、なぜか大切に思えた。
 「この街に、また来ることがあるかしら」
 「いつかは来るさ、きっと」
 「その時も、あなたはいるの」
 そんなことは分からなかったが、僕は無言で頷いた。この街も、僕も、何もかも変わらないのだと思えたから。その時、何かを言うことができたのかもしれない。しかし、何も言えなかったし、彼女も静かに笑うだけだった。
 真っ暗になるころ、僕たちは長い握手をして別れた。

 その数日後、香織はこの街を離れた。僕の母に一缶の手作りのクッキーを託して、さよならさえ言わずに。渡された少し形の崩れた菓子を眺めながら、自室で僕はしばらく泣いた。涙が溢れてどうしても止まらないのだった。醒めたようなつもりで、自分の未来を大切にしてこなかった自分が、愚かしくて、いとおしいのだ。
 ひとしきり泣いて、僕はクッキーを口にした。甘くてほろりと塩辛いそのクッキーを、食べながら、また泣けてきた。三つ目のクッキーを割ると、おみくじが出てきた。そこに書かれた「好き」の文字と、メールアドレスを見て、格好悪いと思いながら、涙がまた溢れた。