長田に住む叔父が挨拶に来たのは、蒸し暑い夜も七時を回ってい たと思います。当時としては珍しい舶来の缶詰を、麻の信玄袋に一 抱えも持っていました。急に明日の輸送船に乗ることになったのだ そうです。叔父は郵船に奉職しており、船ごと徴用されていました。 今までのように内海を往来するのとは違い、明日の便では南方に赴 くらしいのです。詳しいことは言わなかったのですが、父の乗った 駆逐艦の沈んでいるあたりかもしれません。 「長田の家の鍵を預かって貰おうと思って」 上框で茶を一杯美味そうに啜ると、叔父は慌ただしく腰を上げま した。玄関を半歩出たところで上半身だけ振返り、私を見つめます。 「公三、お父さんに似てきたな。みんなを頼んだよ」 優しくそう言う叔父の顔の方が、ずっと父に似ています。私は何 か言わなくてはいけないと思いつつも、ぎこちなく肯くので精一杯 でした。 「じゃあ」 一歩進む間もなく、懐かしい広い背中は墨汁の海に沈むように消 え、もう再び浮かんでは来ませんでした。
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