サボテン祭りの夜には

                              

  月の冴え冴えとした夜。サボテンの花が咲く。辺り一面の真っ白 

 な花が、冷たい銀の光を跳ね返して、砂の大地に集まった者共を浮 

 かれさせる。男も女も誰もが、何一つ言葉を発することなく、静か 

 に浮かれる。緩やかな風に乗って、鱗粉のような光の破片は遠く遠 

 く異国へと旅立つ。 

  

  私がその町に着いたのは、サボテン祭りの日の朝だった。無限に 

 続く砂の海に抱かれた、緑の小船のようなその町は、明日には消え 

 てなくなる蜃気楼のように頼りなげに私を迎えた。来て初めて、今 

 日が祭りだと知った。私が関心を持つのは、過ぎ去ってしまった人 

 々のことだけだ。歴史学を専攻した二十歳の春から、私の視線は過 

 去の人々にだけ向けられている。二千数百年前、この砂漠を縦断し 

 て南へ向かった人達。北方の海の美術と音楽と舞踊とが、この道沿 

 いに南の山へと伝わった。誰かがこの砂漠を歩いた。もっとも、そ 

 の頃は砂漠ではなかったのかもしれないが。 

  特別な日だとはいえ、町は意外に静かだ。市が立ち、祝いの食事 

 や髪飾りが売られていることだけが、祭りを予感させる。市に集う 

 人々は皆似ている。強い陽射しのせいか赤味の強い肌。碧眼は優し 

 い二重で睫が長い。髪は漆黒でみな良く手入れされている。ああ、 

 あの店の少女は、遠い昔にこの道のずっと北で別れた女に、どこか 

 似ている気がする。苦い記憶を仕舞い込んで、私はこの町でただ一 

 件の宿に荷を下ろした。 

  

 「黒い眸の人、祭りに行こう」 

  気が付くと、部屋は真っ暗だ。満月の上澄みだけが部屋に忍び込 

 んでいる。扉を叩く音と若い女の声。眠気をベッドからずるずる引 

 き摺りながら扉を開けると、先ほどの少女が、銀の髪飾りをして笑 

 っていた。 

 「黒い眸の人、今日はお祭り。さあ行こう」 

  町の外れの斜面を下ると一面のサボテン。窪地を覆う無数の巾着。 

 月の光が降り注ぐ。地平線から冷たい風が渡る。一瞬にして人々の 

 声が静まる。ポンという音がしたか、しなかったか。そこら中のサ 

 ボテンの頂に、真っ白な花が開く。溢れ返る銀の光。 

  少女の碧眼に、見開いた私の黒い眸が映っている。その眸に映る 

 懐かしい女の笑顔。 

 (また会えて良かった。今でも愛しているわ) 

  サボテン祭りの夜には、すべてが赦されるから。後悔からも罪の 

 意識からも解き放たれて、ゆったりと月の光を浴びる。さらりさら 

 りと光が零れるから。ひんやりひやりと透き通れるから。だから、 

 今夜はここにこうしていることにしよう。