月命日

                              

  「道明さんも幸せよね。こうして、いつまでも憶えていてくれる 

 人がいて」 

  「忘れちゃ兄さんがかわいそうですよ。まだ、半年も経っていな 

 いのに」 

  月命日ごとに来てくれる義弟の言葉に、たしかにそうだと肯きな 

 がら、夫の記憶が日々に薄れていく後ろめたさを感じている。三十 

 になりもしないうちに交通事故で逝ってしまった道明を恨めしく思 

 った。もっと、たくさんの思い出をくれていたら、忘れることなん 

 かできないのに。一日中会社に行ったきりで、休みも寝てばかり。 

 思い出すものといったら、寝転がって車の雑誌を読んでいる子ども 

 のような横顔くらい。煙草臭い息。いつも白くなってる舌。せめて、 

 あの人が子どもでも残していてくれたら良かったのに、と何度も思 

 った。子どもがいれば、そのために生きることができる。 

  「義姉さんは、再婚するつもり、あるんだろ」 

  「みんなそう言うのよ。でもね、一度結婚を経験すると、もう一 

 度いろいろなことを繰り返すのが面倒になるものよ」 

  今から恋愛して、婚約して、式を挙げて、入籍してという手順を 

 踏むのは煩わしい。初めの段階の恋愛をするのさえ、億劫だ。 

  「兄さんもひどいよな」 

  義弟はそう言いながら、背広の襟を乱暴に叩いて見せた。肩身分 

 けで道明から引き継いだものだ。白の浅いリブのセーターに、厚手 

 の毛のジャケット。胸から肩にかけてのラインが、道明を思い出さ 

 せる。 

  「いまさら、恋愛するのも大変でしょ。昔なら、兄の未亡人を弟 

 が娶るという習慣もあったらしいけど、そんな時代じゃないし」 

  私の言葉に、義弟は驚いたように顔を上げた。膝を、つっ、と近 

 づけて、私の肩に手を置く。柑橘系のトニックの香りに混じって、 

 むっとする匂いが包み込む。 

  「道明さん……」 

  夫の服に染み付いた匂いなのか、それとも若い義弟の体が発する 

 のか、目眩のような懐かしい感覚に、切なくて体の芯が震える。目 

 の前の胸に顔を埋めて、思いっきり息を吸い込んでみたい。腋の下 

 にねっとりとした冷たい汗が吹き出して、息が詰まる。 

  「あはは、引っかかった。坊やね、まだまだ」 

  明るく言って、体を押しもどす。 

  「まいっちゃうなあ。来月から来られないよ」 

  頭を掻きながらそう言う、あの人そっくりの照れくさそうな笑顔 

 を見ていると、私の中でまた切なさがこみ上げた。