最終講義

                              

  学生の疎らな階段教室をゆっくりと見渡してから、私は手にした 

 ものを掲げた。 

  「ここに一本のボルトと、一つのナットがあります。後ろの席の 

 人にも見えるように、かなり大きなものを用意しました。ボルトが 

 何をするものかは知っていますね。金具や部品を締付けて、固定し 

 たり繋いだりするものです」 

  ここで一息ついて、最前列の学生を見る。私が何を言いたいのか、 

 真面目そうなこの若者には理解できていないようだ。 

  「さて、あなたがたは、私が説明した以上のことを、勝手に判断 

 しているでしょう。このボルトと……このナットが一組のものだと」 

  そう言って、ボルトをナットに捩じ込んでみせる。しかし、微妙 

 に寸法の違うボルトは空滑りするばかりだ。 

  「君たちは、世の中が何でも都合よく準備されていると思ってい 

 ます。物理法則は綺麗な公式で表現され、テストの点数は正規分布 

 して、ボルトとナットは必ず寸法が合っている。そんな事は誰が保 

 証してくれたわけでもないのです。車がいつも左を通ってくれると 

 思ったら大間違いです。青信号で安心して渡る人間は命知らずとい 

 ってもいいでしょう。高校生達は万引きをするし、店員はレジの金 

 を盗む。飛行機の手荷物は必ずなくなる。そうなってもおかしくは 

 ないのに、私達はなぜかこの世の中を信じてしまっています。見か 

 けがどうであれ、すべての人が善人なわけではないのです。いや、 

 すべての人が悪人と考えた方がよろしい。動機なき犯罪などと言わ 

 れるが、なぜ犯罪をしないでいられるかの方が不思議なのです。何 

 もなければ犯罪は起こりうる」 

  学生は、これといった感想もないようだ。 

  「あなたがたには、当たり前のことかもしれませんね。世の中が 

 危うい思い込みの上に成り立っていることをとうに知っているのは、 

 若い世代でしょうから。それでは、今日はこの辺で終りにしましょ 

 う」 

  そう言って、私は講義を終えた。学生がてんでに席を立ち出て行 

 く。すべての学生が出ていった後で、私はナットをポケットにしま 

 う。そして、微かな笑みを伴って出口に向かった。昨夜あるところ 

 からはずしてきたボルトを弄びながら、