死人はどこまでが幻光虫なのか

 今回の疑問は、死人はどこからどこまでが幻光虫でできているのか。つまり、渋殿は一度死んで、それから死人として再構成されたわけですが、その時、身に付けていたものまで幻光虫に分解→再構成されたんだろか、ということです。何故この疑問を抱いたかというと、それは渋殿が最後に幻光虫となって消えて逝くラストシーンで、渋殿は太刀や衣装ごと消えてしまわれるわけで…。この現象は、渋殿を構成する要素すべてが幻光虫でなければ起こり得ないことだからデス。これを論ずるには、まず、死人は『自分の肉体以外の物質を幻光虫に還元する能力』を有するのかどうかハッキリさせなくてはいけません。いくつか例を挙げて実証してみましょう。

 物質を幻光虫に分解する死人の例として一番分かりやすいのはシーモア老師だと思いまする。というのも、ガガゼト山頂で『シーモア:終異体』と対戦するにあたり、シーモアは機械兵器(幻光祈機)と融合を果たして襲い掛かってきますよネ。これはまず幻光祈機を幻光虫に分解し、自らの肉体も幻光虫単位に分解した後に融合する、という手段を取っていると考えられます。更に、ベベルのグレートブリッジで『シーモア:異体』と戦う時には、シーモアは側近のグアド・ガード数人とも融合を果たしていることから、どうやら無生物ばかりでなく、例え生物であっても分解し、融合できてしまうのではないかと推測できます。ちなみに、この時シーモアはキノックの遺体すらも分解→融合しているので、渋殿は表向き『旧友を殺された仇』と言って戦いに赴きますが、実際は『旧友を殺され、あまつさえその遺体すら幻光虫に分解され、力として取り込まれてしまった』ことのショックがあったと思いまする。そしてシーモアを倒せば、シーモアに囚われた旧友の幻光虫を解放してやることができるのではないか、という思いもあったのではないでしょうか。あくまでも憶測にすぎませんが。

 ゲーム中、シーモアは上記のようにかなり何でもアリな死人として振る舞いますが、それは『グアド族』で『エボンの老師』かつ『召喚士』という彼の特殊性も関係すると思いマス。グアド族はもともと異界の近所に住んでいるお陰で幻光虫の研究が盛んだったため、グアド・ガードのような一般兵すらも魔物を造り出して操ることができマス。そのため、幻光虫を合成する技術はシーモアも生前からよく知っていたハズ。その上、シーモアはエボン四老師のうち『司宮卿』と呼ばれるポストに就いております(シナリオアルティマニア参照)。この『司宮卿』とは、儀礼や教えを整備するエボン司宮院を統括する他、封印された歴史の記録に触れる権限を持っている役職です。この封じられた歴史の中には幻光虫に関する記述も含まれていた可能性が大きいと踏んでます。そして『召喚士』は召喚獣を使役する以上、幻光虫の実体化に関してある程度の知識と技術は持っているハズ。ここまで幻光虫のスペシャリストとしての資格が揃っていれば、死人(幻光体)になった時点でもう何でもありでしょう。これは。

 さて、死人は自分の持ち物や着ているもの一式を幻光虫にできるとなると、渋殿が『陣風』OD時にブン投げてしまう酒瓶が何故いつの間にか腰に戻っているのか、も分かってきます。投げたそばから幻光虫を集めて再構成してしまえば良いのです(笑)。幸い、バトル時には倒したモンスターのぶんの幻光虫も使えますしネ。結局コレが言いたかったがためだけに、上で長々と講釈たれてみたのです(笑)。そんなこんなで今回のFFX論考はこれにて了。