エボン教を宗教文化人類学的に考える会

 さて、晏嬰さんはこういった問題に非常に興味がありまして放っておくとメイチェンなみに語ります。例えば日本で宗教なんて言うと、多くの人は『無宗教』と答えると思うんですが、とにかく、日本では宗教自体があまり意識されることはないわけで。でも、日本のそういう宗教観は世界中でも特殊なものなのではないかと思うんです。前置きが長くなってしまいましたが、ここでは宗教文化人類学的観点から、スピラの一大宗教である『エボン教』を分析してみたいと思うのでありマス。さあ、語ってもよろしいですかな?(笑)

 エボンの教えは、主に2つの軸から成ってマス。一つは、人々の『』の象徴とされる『シン』の存在。そしてその罪を人々が購ったときに『シン』は永遠に消えるという『救い』の教え。この、『贖罪』と『救い』の2点を核とする教義は、キリスト教と非常によく似ていると思うのです。一見、スピラは非常にアジア的な色付けをされた世界ですが、こうして見ていくと、エボン教の根幹はアジア的・汎神論的な宗教ではなく、どちらかと言えばキリスト教に近いことが分かります。これはもしかするとインターナショナル版にすることを意図したモノかも知れないと勘ぐっているのデスが。一見アジア風でありながら根幹はキリスト教的なエボン教は、英語圏の人々にとって異国情緒あふれる魅力と受け入れ易さを兼ね備えた世界観かも知れませんネ。

 そしてエボン教とキリスト教との共通点をもうひとつ挙げるとすれば、宗教と政治が密接に結びついている点。日本では政治は俗なもの、宗教は聖なるものというふうに政教分離がわりときっちり行われていたと思うのデスが、西洋では歴史を紐解けば分かる通り、教皇が政治的にも大きな権力を掌握していることがままありまして。中世、宗教改革が起こったあたりでは、政治に癒着した教会内部の腐敗が大きな問題となっておりました。それは1000年続いたエボン教内部でも起こっていることでして。自ら教えで禁じられているはずの機械を使用し、死人は異界へと教えながら総老師自身が死人であったり…ティーダたちの物語は、ある意味でスピラがその暗黒時代を脱するための宗教改革とも言えるのではと思うのであります。ティーダたちがスピラの死の螺旋を絶ち、新たな時代を拓いた後は、もしかするとアルベドの機械が徐々に受け入れられ、産業革命のようなものが始まるのかも知れませんネ。いや、その前にスピラ・ルネッサンスがあるかも(笑)。異界の皆さんはそんな事は関係なく死後の人生を謳歌していらっしゃることでしょうが(コラ)。エンディング後、異界でシーモアとアーロンの胸毛vs.美脇対決が始まってないことを切に祈るばかりです。そしてそこにチューリップの精ブラスカノリノリで究極召喚獣化したジェクトが乱入してとりとめもなくなってオチ。