人生さいしょの疑問・・・

いまはむかし、、うん、はるか昔の幼稚園に行っていたころすっごい悩んだことがありました。

それは・・・
指導教官のやる「お遊戯」なる時間のときの最初に必ずといってやらされていた「右手をあげて」や「左手をあげて」という訓練でした。当時の指導教官はたしか(今にして思えばちょっとヒスのはいった)女性でその指示を下すときは園児に対して正対つまり正面を向いた向かい合わせの状態でのレッスンでありました。そして彼女はその右手という掛け声とともに自分の右手をあげるのです。彼女がこちらを向いて右手をあげるときその上がった手はわたしからみると右ではなく左側にみえる。。これが幼いこころを悩ませたのだ。要約すると、あのあがっている右手(こちらからは左にみえる)は指導上われわれにわかりやすくするために「わざと逆をあげて、、つまり左にこちらからは見えるわけであえて彼女が逆手をあげているならば同じ側の手をあげればよいのだろうか??ほんとうにただ単に彼女が自分中心に手をあげているとしたらそれを正面からみているわれわれはわかりずらくなるもんな。。」・・っと。裏の裏またその表っとさんざん悩んだ挙句おずおずと左手をあげるわたし。すると「逆だ!そうじゃない」っとピリッと背筋が伸びるような声が飛んできたものでした。右手とは常に自分を中心として正面を向いた左右軸を想定した際の片方を常に右、もう片方を左という定義がないままこの右手上げて左手あげての訓練だったのでこのピリッとくる声はなかなかプレッシャーだったのですが、一度注意されてその場はしのげてもあるひとつの危惧がこのお遊戯の時間の気分をブルーにしていたのでありました。その危惧とは「この訓練のときにせんせいが後ろにいたらどうしよう」・・である。彼女が後ろ側からこの訓練をしたらとうぜん彼女の右手は正面からみたものと逆の方向にあがってみえるはずである。もちろん振り向いて正対すればいつもどおりだが、しかし訓練中に振り向くなどの勝手な行動をしたらピリッとする掛け声が飛んでくるのである。今のところ彼女と正対している時には見える方角と逆の手をあげればよいことは確証を得られた。そろそろと手を挙げる・・ピリ声はこない・・正解だ(ひとり胸をなでおろすわたし)。補足すると、よくこの手の訓練のときに説明される「お箸を持つ手が右」っというのはまったく信用していなかった。なぜならピリ声のせんせいはともかく他の人はわたしと逆の手でお箸をもっているかもしれない。同じクラスのよしだくんは現にわたしと逆の手でお箸を使っていた。つまりよしだくんの右手とわたしの右手は違うということだろう。。お箸を持つ手が右手という定義はあまりにも曖昧すぎる。もしせんせいが気分で昨日からお箸を持つ手を変えて来たら、、もはやお箸を持つ手がこの訓練でわたしの助けになることは少ないと思われる。いまならこのような説明もつけられたが当時のわたしはこの疑問を上手に説明する(っといってこれが上手かといえばはなはだ疑問ではあるが・・)すべをもたなかった。ある友人にこんな話をしたところあまりのボケ加減に笑われてしまったのだが、しかし今思ってみてもCPUの処理能力に対して非常に占有率高くひとつのことをこれくらい悩んだ項目もないかもしれない。その後もっと大きく悩んだことがあったかもしれないがおんぼろあたまでもMS−Windowsがでるまえにマルチタスクは完成していたように思われるからだ。もしこの問題でなやんでいる全国のがきんちょがいたらやさしくわたしが培ったノウハウ(笑)をおしえてあげるつもりだ。当時は約1週間この問題解決をするのに悪戦苦闘し、またピリ声も4度ほど拝聴して当時のわたしの背筋はさぞやしゃきしゃきしていたことだろう。
(了)