81岡崎宿 
岡崎市大平町〜根石町〜若宮町〜両町〜
伝馬通〜連尺通〜本町通〜材木町〜魚町
〜田町〜板屋町〜中岡崎町
 (下にウォーキングMAPがあります。)
ふらっと旧東海道
okazaki199.jpg/岡崎インター付近 okazaki193.jpg/岡崎二十七曲碑解説板
大平の一里塚を北東に進むと,
旧東海道はほどなく国道1号に合流し,
東名高速道路岡崎インターチェンジをすぎると
筋違橋東の信号付近から
再び旧道となる。


しばらく行くと,岡崎二十七曲碑解説板がある。
東海道を岡崎の城下町を通すにあたり,
城の防衛上27の屈曲をつくったという。

その曲がり角に建てられた二十七曲碑の
位置を示す説明がかかれている。
この交差点を北に行き,2つ目の角に
岡崎城東入口の標柱石がある。

若宮町から両町までは,わかりにくい。
okazaki190.jpg/伝馬通一丁目周辺 okazaki189s.jpg/岡崎宿の説明板
両町で伝馬通りに出て西に進む。
伝馬通一丁目周辺には,本陣や問屋場があり,
にぎわいを見せた場所である。
伝馬通りには,旧東海道と岡崎宿を説明する
説明板と関連したかわいいオブジェが
たくさん見られる。
しかし,説明板と場所の関係は皆無である。
okazaki182.jpg/岡崎宿西本陣跡 岡崎信用金庫資料館
岡崎には,はじめ中根甚太郎,浜島久右衛門の
2軒の本陣があった。
後,中根甚太郎,服部小八郎,大津屋勘助の
3軒が本陣で,鍵屋定七,山本屋丑五郎,
桔梗屋半三郎の3軒が脇本陣となった。

写真は,中根甚太郎本陣跡
岡崎信用金庫資料館(旧商工会議所)

大正6年,岡崎銀行本店として建てられた,
赤レンガと花崗岩の組み合わせによる
ルネッサンス風の建物。


okazaki192.jpg/籠田総門常夜灯 okazaki44s.jpg/本町通
1798年に,籠田総門付近に建てられた常夜灯。
現在は,籠田公園内に移設されている。

旧東海道は,
籠田公園を南北に突っ切っている。
籠田公園の北角を西に(左に)曲がると,
連尺通りである。
連尺通に交差する本町通
岡崎中心街は
東海道400年「岡崎」なる旗で飾られて
いるが,旧東海道を表す表示がわかりにくい。
okazaki167.jpg/三清橋 okazaki54s.jpg/岡崎・国道1号
三清橋付近

旧東海道は,写真の右の方(北)から来て,
この三清橋を渡り,
2本目の角を左(南)に曲がる。
しばらく行くと,岡崎城だ。

ガードレールの向こうに,二十七曲碑が見える。
三清橋を西に渡り,すぐ南(左)に折れると
国道1号にぶつかる。
近くの歩道橋から,東(豊橋方向)を写す。

国道1号を越すと,岡崎城はすぐ近くだ。

※この2枚のみ,平成13年10月の取材です。
岡崎宿ウォーキングMAP
okazaki-map.gif★今回(2回目)のルート
  藤川一里塚から大平一里塚を経て
  岡崎宿まで歩いた。
   約7km,2時間半
   平成13年10月28日ウォーキング
   【紫色のルートは歩いたところ

1回目自動車による取材
  平成12年11月

 ※このページは,
   大平一里塚から中岡崎駅まで
   (この区間約3km 1時間30分)
 時間のロスは二十七曲で・・・

岡崎宿は江戸日本橋から80里?81里?

下地一里塚の「江戸日本橋から74里」の標記を採用すると,
岡崎宿の東にある大平一里塚は80里となる。
したがって,岡崎宿は「江戸日本橋から80里と○○町」となるはず。

だが,池鯉鮒宿には84里17町とある。
岡崎宿と池鯉鮒宿の間には,矢作,尾崎,来迎寺の3一里塚がある。
とすると,岡崎宿の西に接する矢作が82里,尾崎が83里,来迎寺が84里のはずである。
では,江戸日本橋から81里目の一里塚はどこにあるのか?
岡崎宿内に,81番目の一里塚があったのだろうか。