新美南吉のふるさと
南吉の生家
niimi142s.jpg/南吉生い立ちの家碑 niimi145s.jpg/南吉生家
新美南吉は,1913(大正2)年7月30日,
愛知県知多郡半田町(現半田市岩滑【やなべ】
中町一丁目)に生まれました。
南吉の生家横には,新美南吉生い立ちの地
という記念碑が建っています。
父は渡辺多蔵,母はりゑの二男で,
本名は正八といいました。
家業は,畳屋(写真の右側の戸口)でした。
実母のりゑとは,
南吉が4才のとき死別しました。
niimi147.jpg/南吉生家 niimi152s.jpg/南吉生家
南吉が6才の時に継母となった志んは,
畳屋のとなりで下駄屋を営んでいました。
生家の一室には,
南吉の写真が展示されています。
南吉の養家
niimi129.jpg/南吉の養家 niimi133s.jpg/南吉の養家
南吉は8才の時,新美家(実母りゑの生家)の
養子になっています。
南吉はこの養家で数か月暮らしています。
裏の土蔵は資料館となっています。
 (かみや美術館0569−29−2626)
新美南吉記念館


niimi128s.jpg/ごんのふるさと中山 niimi125.jpg/新美南吉記念館
南吉は18才で半田中学校を卒業後,
小学校の代用教員を勤めるかたわら,
雑誌『赤い鳥』に,南吉というペンネームで
童話を投稿するようになりました。
『ごん狐』は,この頃の作品です

矢勝川のヒガンバナ
南吉は25才の時,
愛知県立安城高等女学校の教諭となりました。
しかし,1943(昭和18)年,29才の若さで
なくなりました。
平成6年,新美南吉記念館が開館しました。

新美南吉記念館 半田市岩滑西町1−10−1
      (0569−26−4888)
このページは,『南吉のふるさと半田』(半田市発行パンフレット)を参考にしました。
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